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地震の予測(予知)は(ある意味で)できるかもしれないが、まだできていない

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【わたしの地震学に対する専門性は、大学の地球物理学の学部課程で地震学の授業を受け、その後、断片的に新しい情報をしいれてきた、という程度のものです。】

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1970年代以来、「地震予知」がたびたび話題になる。

「予知」「予測」「予報」、さらに「予言」「予想」といったことばは、同じではないが少しずつ重なり合った意味をもっている。そのうちで、地震については「予知」がよく使われるが、その意味には、話題になる場による違いや個人による違いがある。用語の意味について合意を得ないと、議論がすれちがいになるおそれがある。ここでは、とくに必要がない限り「予測」を使い、その意味は広めにとらえておくことにする。

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予測には、決定論(deterministic、「確定的」とも)なものと、確率論的(相互に意味が同じではないがstochasticあるいはprobabilistic)なものがある。... いや、もう少し考えてみると、この区別には、予測結果を知らせる(予報する)際の表現決定論的か確率論的かという問題と、予測の原理(根拠となる理屈)が決定論的か確率論的かという問題があって、両者は必ずしも同じでない。

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まず決定論的に表現された予測確率論的に表現された予測について、天気予報を例にとって考えてみる。「あす、東京で雨がふる」というのは決定論的表現の天気予報で、「あすの東京の降水確率は80%」というのは確率論的表現の天気予報だ。

決定論的表現の予報は、この例で言えば「あす」になれば、「あたり」「はずれ」を決定的に論じられる。ただし、論じるためには、予測対象となる現象をきちんと定義しておく必要がある。定義可能にするために、ことばの意味が常識と少し違ったものになるかもしれない。たとえば「あす東京で雨がふる」とは「北の丸にある気象庁「東京」観測点の雨量計で観測された0時からの24時間降水量が1mm以上である」ということだ、と約束することになるかもしれない(実際には複数の観測点を使ってもよいし、集計期間を変えてもよいが)。

確率予報は、1回ごとには、あたりはずれを論じることができない。そこで、確率予報の実施が提案された当初、「確率予報は検証不可能であり、気象庁は責任のがれをしている」と批判する人もいた。ただし、同一の母集団に属するとみなせる標本が集まってくれば、実現した頻度から現実の母集団の確率を推定できるという認識のもとに、予測された確率と現実の確率がどの程度近いかを論じることができる。ある年の3月の31回の事例をもとに「3月の日降水量の確率予報がうまくいっているか」を検討することはできるだろう。

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次に、天気予報の原理について、決定論的・確率論的という観点から考えてみる。近代的天気予報が始まった当初は、予報は経験に基づくものだった。客観的にしようとすれば、続いて起こる天気現象どうしの統計的関係に基づくことになるので、予測の原理は確率論的なものになるはずだ。(当時、確率の用語が使われたとは限らないが。)

第2次大戦後からしだいに、「数値予報」という、物理法則に基づく、原理的には決定論的な方法が発達し、温帯では1980年代ごろに、数日後までの、大規模(水平スケール数百キロメートル以上)の現象の予測については、技術の中核となった。しかし、初期状態の完全な観測ができないので、徹底的に決定論的な予測はできない。現在おこなわれている数値予報には確率論的な性格もある。決定論的に構成されたシミュレーションを多数回試みることによって確率論的問題にこたえようとする「アンサンブル予報」という技術も使われている。

温帯の大規模な天気について、たとえば「あす関東地方で雨がふる」といった規模の予測については、決定論的な予測技術が有効なこともある。「あす、関東地方のどこかで、水平スケール数km規模の大雨がある」というような予測ができることもあるかもしれない。しかし、関東地方のうちどこで、あすの何時ごろ、集中豪雨というのがふさわしい大雨がふる、というような予測は、今後、科学的認識が発達しても、確率論的にしか言えないだろうと思う。大雨を起こすような積雲対流の発生については、「成層が対流に対して不安定なときに起こる」という理屈がある。温度や水蒸気の分布が水平一様に近い場のもとで、いったん一様でない鉛直運動が起きると、積雲が発達し、鉛直運動が強化され、一様な場が崩れるのだ。しかし、この積雲対流の発生は、一様な場から見れば破壊現象のようなもので、いつどこで起きた鉛直運動をきっかけに積雲が発達するかは、偶然としかいいがたいだろう。ただし、その前段階の、水平に一様で積雲対流に対して不安定な「場」ができるという予測は、決定論的にできそうなのだ。

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地震のすべてではないが多くは、地殻の中で断層が変位すること(両側の岩石が相対的に動くこと)によって起きると考えられている。断層があらたにできる場合はもちろん、すでにある断層が動く場合も、岩石の破壊をともなう。岩石に力が働く。物理量としては、岩石内部に想定した面の面積あたりの力である「応力」(stress)を考えるのがよい。圧力は応力の面に垂直な成分にあたるが、ここで重要なのはむしろ面に平行な成分(「ずり応力」「せん断応力」などと呼ばれる)のほうだ。応力が強まっていくと、いつかどこかで破壊が起こる。もし岩石が均一な物体だったら、いつどこから破壊がはじまるか、決定論的に予測できるかもしれない。しかし実際の岩石は結晶の集まりであり、結晶内と結晶間で強さが違う。複雑な構造を人は知りつくせないので、いつどこで破壊がはじまるかは、将来とも、確率論的にしか述べられないだろう。

この意味で、地震を、決定論的な理屈に基づいて、決定論的な表現で予測することは、おそらく将来とも、(例外的に可能な事例はあるかもしれないが、原則として) 不可能だろう。もし「地震予知」が地震決定論的な予測をさすとすれば、「地震予知は不可能だ」という主張はもっともだと、わたしは思う。

しかし、地震の確率論的な予測はできるだろう。

まず、これまでに起きた地震に関する観測事実を、場所別、地震の規模別に分類して、頻度分布に関する情報を得ることができる。もし仮に、この経験的頻度分布が、地震が起こる確率分布を代表しており、その確率分布は将来も保たれるとすれば、場所と規模を指定した地震が起こる確率(の推定値)を示すことは可能だ。現実の予測でなく形式の例をあげれば「相模トラフでマグニチュード6以上の地震が100年に1回の確率で起こる」のようなものだ。(これも確率論的予測の一種ではあるが、このように、確率が時間とともに変化しないとみなしてその値を求めることは、「予測」とはあまり言わないし、「予知」と言うことはまずないだろう。)

地震の発生に関する科学的知見によって、このような確率論的予測を改良することができる。たとえば、継続的に力がかかり続けている場で、平常時は応力が強まり、地震が起きるのに伴って応力が解放される、というしくみがあると、応力が強まるにつれて次の地震が起こる確率が高まる、という半理論的予測モデルが作れるかもしれない。さらに、ひずみ計や、基準点の位置座標変化などによって、地殻変動のモニター観測ができれば、応力の変化、さらには地震の確率が、よりよく推定できるかもしれない。たとえば、「平常ならば『100年に1回』だった確率が『30年に1回』まで高まっている」と言えるかもしれない。近ごろ日本で「地震長期的予測」と呼ばれているものはこのようなものをさすことが多いようだ。(これは「予測」と言われることはあるが「予知」と言うことはまずないだろう。)

地震の発生に関する科学的知見がさらに豊富になってくると、地震の発生する確率が特別に高まるとき・ところを予測することができるようになってくると期待される。その技術は、大きな地震の余震として地震が起こる確率の高まりを別にすれば、まだできていない。今後できたとしても、確率の変化を予測する形の、しかも絶対確実ではない(からぶりや見のがしもありうる)予測情報を、人間社会が活用できるか、かえって混乱を起こさないか、という問題は残る。もし活用できるのならば、人間社会にとって、このような予測を開発する意義があるだろう。もし「地震予知」が、このような確率論的予測をさすとすれば、「地震予知をめざす研究をするべきだ」という主張はもっともだと、わたしは思う。

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確率論的な意味での地震の予測のうちでも、前の節の最後に述べたような、とき・ところを詳しく指定する型のものを実現するには、特定の場所(特定の断層の特定の区間)が動いて震源となる可能性を考えて、それが起こる確率を考える必要があるだろう。

特定の場所の地震の予測をしようとすると、地震が起こるしくみから考えて、本筋は、岩石にかかっている応力、それによる岩石のひずみや、部分的な破壊・流動などの状況を知ることだろう。「地震予知研究」として次のような現象の観測が行なわれているのは、この観点からもっともだと思う。

  • (予測したい地震よりは微小な)地震の活動
  • 地殻のひずみ、地殻変動 (地殻の部分どうしの相対位置の変化)
  • 地下水の水位や水質の変化 (これにはいろいろな原因がありうるが、そのうちで、地殻のひずみにともなう岩石間のすきまの変化をとらえられる可能性がある。) ラドン濃度の変化もこれに含められるだろう。
  • 地磁気、地電流 (これも地殻のひずみに伴って変化する可能性がある。)

専門科学者としてこれらの現象を研究する人のうちには、過去の地震の前兆とみられる現象を(事後に)検出したと述べる人はいるし、将来の地震予知の実現可能性を楽観的に語る人はいるが、前兆現象をもとに特定の場所での地震の予測を自信をもって発表する人はまだいないと思う。

このような意味での地震の予測の研究を進めたとしても、必ず実用的な予測に至るという保証はない。しかし、研究をしなかったら、予測が可能になるチャンスがない。このような研究は、純粋な科学研究として(社会がそういう研究に支出を認める範囲で)やるのはよいが、実用化に至ることを約束するようなふれこみで推進してはいけないと思う。

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世の中に、時期・場所を特定した地震予測情報が流れているが、それを出しているのは、地震観測の現業機関でも、専門的研究機関でもない、個人や会社である。予測情報を無料で出しているものも、お金をとっているものもある。

数字あそびや占いのたぐいと思われるものもあるが、地震の統計、地殻変動の観測、地球電磁気の変動の観測に基づくものは、因果関係のありうる地球物理現象に注目するという方向は悪くないと思う。しかし、現在の科学的知識のもとで、しかも少人数で扱えるデータ量の観測情報をもとに、有用な予測情報を出せるというのは、自信過剰だ。(実際に出せると思っているのか、無理を承知で強弁しているのかは、外からはよくわからないのだが。)

彼らは、これまでに予測に成功している実績があると述べていることが多いが、その評価は甘すぎる。

その批判の理屈を、ひとまず、決定論的な表現による予測のあたりはずれとして表現してみる。わたしのブログ記事[2011-09-10「2種類の「はずれ」をどちらもなるべく小さくしたいのだ」]のくりかえしになるが、そのときの「あたりまえ」という表現は「平常」と変えてみた。

予測 \ 結果事件あり事件なし
事件あり(A) あたり(B) からぶり
事件なし(C) 見のがし(D) 平常
地震予測ができると称する人は、A/(A+C) が大きいことを主張する反面、Bを話題にしないことが多い。しかし、Aを大きくすることは、「事件がある」と予測する回数をふやせば簡単なのだが、その場合、Bも大きくなる。A/(A+B) も大きくなければ、予測に価値はないのだ。このことは、地震学者のMamoru Kato (Twitter mkatolithos) さんがたびたび力説しておられるが、ここではわたしの表現で述べてみた。

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地震予測情報を流しているところのひとつとして、地震科学探査機構(JESEA、http://www.jesea.co.jp/ )という会社がある。

ここは主として、国土地理院が設置している電子基準点で、測位衛星(GNSS、そのうちにGPSが含まれる)の電波を受信し計算して得た位置情報の速報値のデータを見て、地震の前兆をとらえたと主張し、予測情報を出している。

その予測情報のあたりはずれを検証した記事が、「横浜地球物理学研究所」( http://blog.goo.ne.jp/geophysics_lab ) というウェブサイトにある。これは個人ウェブサイトであり、しかもその主は物理系の大学院を出ているが、地球物理を専攻した人ではないそうだ。しかし、JESEAなどの予測情報の検証に関する限り、ここの記事は、地震の専門家から見ても、もっともなものだそうだ。その要点は、わたしが上の7節で述べたように、JESEAの出す情報は「からぶり」も多いので有用な予測になっていない、ということだ。

また、国土地理院は、電子基準点データ提供サービス(http://terras.gsi.go.jp/ )に関連して、次のようなページで、「速報解」の利用に対する注意事項を述べている。

速報値に見られる基準点の位置の変位には、アンテナの保守作業や臨時の電波障害物などによる見かけのものや、道路工事や局所的な地下水変化など地盤の動きではあるものの地殻変動を代表しないものもある。国土地理院では、そのようなノイズ要因を検討したうえで、計算しなおした「最終解」を出している。JESEAなどの人々が速報解に見られるジャンプを地殻変動と解釈しているのは、国土地理院の専門家によれば、まちがった解釈なのだ。

JESEAの理屈の中心と目されるのは、この会社の顧問で、東京大学名誉教授でもある村井俊治氏だ。ただし社長は別の人だし、電子基準点のデータから地震予知ができるだろうという発想はもうひとりの顧問になった荒木春視氏によるものだそうだ(村井 2015, 23-26ページ)が。

村井氏はもともと、土木工学のうちの写真測量学を専門としていた。衛星リモートセンシングの活用に関する業績がたくさんある。とくに、グローバルな植生などの陸上環境のモニタリングに関する研究(村井ほか 1995の本に至ったもの)にはわたしも共同研究者としてかかわったことがあり、おせわになった面もある。村井氏はリモートセンシングの教科書づくり(日本リモートセンシング研究会, 1992, 2001など)や、タイにあるアジア工科大学院(AIT)での教育にも熱心だった。大学退職後も空間情報(地理情報)工学の旗振りをし、日本測量協会の会長を2007年から2015年6月までつとめている。

こういう経歴の人だから、GPSによる位置決めについて専門知識のある人と見られて当然だろうし、実際、(地震との関連ではなくGPS利用自体については)かなりの専門知識はあるのだと思う。もし、村井氏のような人からの呼びかけの趣旨が、「国土地理院が得た地殻変動のデータを地理院の専門家だけでなくおおぜいの人の目で見よう、それが長い目で地震予測能力を高めることにつながると期待する」というものならば、わたしも賛同したいと思う。しかし、村井氏は自分の説(もとは荒木氏の説だそうだが)への過信におちいってしまった。そして、長い経歴のなかで観測データからノイズを取り除く苦労をした経験はたくさんあるはずなのだが、今度の件では、いったん変動のシグナルをとらえたと思うと、地理院の専門家がそれはノイズだと言っても、反省することがなくなってしまったようだ。

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同様なものとして、電気通信大学名誉教授の早川正士氏が顧問になっている、インフォメーションシステムズという会社の事業である「地震解析ラボ」がある。これは電離層の変動に地震の前兆がみられるという考えのもとに予測情報を出している。しかし、横浜地球物理学研究所によれば、これも、からぶりが多く、有効な予測情報になっていない。

早川氏は電離層の科学に関しては実績のある科学者である。そして、地殻のひずみに関連する電磁気的変動が電離層に影響をおよぼすことはありうることである。しかし、電離層の変動には、太陽の変動と、雷などの大気中の現象の影響が大きい。それらと区別して、地殻に由来する変動のシグナルを取り出すのはたいへんなことだ。早川氏はそれを知っているはずだが、たまたま地震のあったときに見えたパターンが前兆だという説への過信におちいってしまったのだろう。

【[2016-09-07補足] 早川氏は2016年6月ごろに地震解析ラボから離れたそうだ。地震解析ラボは予測情報を出し続けているがその理屈はよくわからない。他方、テンガという会社が始めた「予知するアンテナ」という事業の予測情報に早川氏がかかわっているそうだ。】

とても残念なことだが、村井氏や荒木氏にも、早川氏にも、考えを変えてもらうのはむずかしいだろう。わたしとしては、世の中に対して、JESEAや地震解析ラボ【や「予知するアンテナ」】のいう「予知」や「予測」は予知にも予測にもなっていません、ということを伝えるしかない。

文献 (村井氏関係)