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英語と日本語が混ざるとき

東海道新幹線の車内で英語のアナウンスを聞いた。録音にちがいないのだが、いくつかの駅でのアナウンスでは明らかに単語ごとに録音したものを機械でつないでいるのとは違って、文単位で人が続けて読んだもののようだ。それでいて、英語の単語は英語らしい発音なのだが、日本語の固有名詞(駅の名まえ)のところでは日本語らしい発音に切りかわる。

日本語の固有名詞が英語にまざるとき、日本語のローマ字表記の約束を知らないで読むと、ひどいことになる[別記事「You Know Park」参照]。しかし日本の交通機関のアナウンスでは、日本語での読みかたを知っている人が確認するので、そこまでひどくはずれたことは起こらない。英語ふうの発音といっても、日本語の発音の要素がそれぞれ英語にある要素で近似されるのだ。

東海道新幹線の営業が始まってまだ日が浅いころ(1960年代だったと思う)、新聞の囲み記事に「ニャゴウヤ」という見出しのものがあった、と記憶している。「英語のアナウンスの中でのNagoyaという地名の発音がそのように聞こえた。日本語話者の発音とかけはなれた発音で紹介することは外国人の旅行の助けにならないのではないか。」という趣旨だった。その後しばらくして(この囲み記事がきっかけかどうかは知らないが)アナウンスは日本語の「ナゴヤ」(など)の発音への近似の度合いが高いものに変えられた、と記憶している。

ところで、英語と日本語の発音の違いには、個別の音の発音に関する特徴と、アクセントやイントネーションに関する特徴がある。日本で育っておとなになってから英語を流暢に話すようになった人の英語は、個別の発音は日本語的で、アクセントやイントネーションが英語的であることが多いと思う(この両方の点で極端な例とそれほど極端でない例を知っている)。逆に、英語圏で育っておとなになってから日本語を流暢に話すようになった人の日本語は、個別の発音に英語的なくせが残っているが、アクセントやイントネーションは日本語的であることが多いと思う。

最近 [2014年] の東海道新幹線の英語アナウンスの日本語の固有名詞の発音は、個別の発音も、アクセントやイントネーションも、日本語的なのだった。ひとつの文の中で語ごとにこのような切りかえをすることは、だれでもできることではなく、英語と日本語の両方のアナウンスあるいは声優の訓練を積んだプロだからできているのだと思う。ただし、アナウンスとしてこれが最適かどうかはよくわからない。イントネーションに不連続が生じ、その効果は聞き手によって違うと思うが、わたしの場合は英語を聞く意識と日本語を聞く意識の間を行き来させられて疲れる気がするのだ。【[2022-01-03 補足] 2021年末に東海道新幹線にのったら、アナウンスは2014年ごろとはだいぶちがうものになっていた。どちらかというとつぎにのべる「一貫して英語的」に近いと思った。】

他の乗りもののアナウンスでは、一貫して英語的な発音であるものもあるが、わたしにとってそういう発音のなかの日本語の固有名詞は聞きとりにくく、やはり疲れる。【[2022-01-03 補足] ちかごろ (2021年) の JR東日本の東京近郊の駅のホームでの録音再生によるアナウンスがこの部類の典型的なものだと思う。日本語のアナウンスとは別の人に読ませている。おそらく日本語を話さない英語話者だろう。】

しかし、日本語の固有名詞のところも切れめなく英語の文に聞こえて、疲れないものがある。【[2022-02-24 補足] ちかごろ (2022年はじめ) の JR東日本の東京近郊の列車内での録音再生によるアナウンスはこちらなのだ。日本語と英語の両方を話せる人に読ませている。】日本語の部分は、日本語的な発音なのだが、[2014年の] 東海道新幹線の場合に比べると、いくらか英語ふうになっているようだ (まだ、個別の発音、アクセント、イントネーションに分けて検討してみていない)。英語の文としてつながって聞き取れるので、アナウンスの意味を理解するには、きりかえが明確なものよりもむしろこのほうがよいと思う。日本語中の発音を近似することと、英語の文の要素として適切な音になることとは、緊張関係にあって、両方を完全に達成することはできないが、うまい妥協がありうるのだと思う。【[2022-02-24 補足] ただし、これができる人はあまり多くないから、乗りもののアナウンスにいつもこれを期待するのは高望みすぎるのかもしれない。】