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消費税上げに反対はしないが、それだけでない税制改革を求めたい

【わたしは経済、財政、税制についてしろうとである。それに加えて、わたしは、公務員ではないが、給料を国の支出のうちからもらっている立場にある。そして、自分の職はともかく、その同類の専門職が社会的に必要なものだと思っている。しかし、ここではなるべくその特定の利害を離れて、現代の人類社会にとっての政府・財政の必要性の総論にしぼって考えたつもりである。】

【他のことではわたしが賛同することが多い人が、消費税増税には強硬な反対論をとなえていることがある。そのうちにも、あらゆる税率上げに反対(ただし、国の財政規模が小さくなるのが望ましいという主張ではなく、減税したほうが経済活動が活発になって税収がふえるという理屈)の人と、消費税よりも所得税法人税相続税などを上げるべきだという人がいる。わたしは前者には反対だ。後者には基本的には賛成なのだが、消費税の税率上げもいくらかは必要なのではないかと思っている。】

【まだ考えが整理されていないところがある。この文章は今後大幅な改訂をするかもしれない。】

世界人類が物質やエネルギーを動かす量が大きくなり、人類社会が持続するための地球の限界に近づいている。あるいは限界を越えてしまっているかもしれない。
長期的には世界の人口が減るべきなのだろう。しかし人口が急に減るような事態は人道的に許されない。人口は急には変わらないと考えるべきだ。
現在の世界のひとりあたりの物質やエネルギーを動かす量には格差がある。日本の人はひとりあたり動かす量が多いほうだ。世界人類のうちの公正を考えると、日本の人の生活は、物質やエネルギーの流れという尺度で、もっと質素にする必要がある。

その条件のもとでも、経済価値の成長には、原理的には、限界はない。物質やエネルギーの流れの単位量あたりの経済価値を大きくしていけばよい。
しかし、物質やエネルギーの流れの単位量あたりの経済価値を大きくすることは、たやすいことではない。それが(努力すれば)実現することを前提として政策をたてるのは危険すぎる。
また、物質やエネルギーの流れの単位量あたりの経済価値を大きくすることが可能だとしても、それがいつも望ましいわけではない。

  • 金融には有用な役割があるけれども、世界経済の中で相対的に金融の力が圧倒的に強くなって、物質やエネルギーを動かす産業の活動が、金融を支配する人びとの意向によって決められるような事態は、望ましくない。
  • 情報・知識を扱う産業はまだまだのびると思うし、それは望ましいことだと思うけれども、物質やエネルギーを動かす産業が、情報・知識を扱う産業に従属してしまうような事態は、望ましくない。
  • 農業などの人が生きていくのに必要な食料を生産する産業は、貨幣の尺度ではかった(労働の、または投入資源の)生産性の改善があまり大きく望めない。経済全体が成長すると、その中の農業の重みがますます小さくなる。農業従事者の人口が少なくなることによって、従事者が貧しくなることは避けられるかもしれないが、農業に関する社会的意志決定は他の産業の思わくに左右されやすくなる。これは望ましいことだろうか?

政策をたてる際には、経済が成長することを当然の前提としてはいけない。つまり、経済が成長しなくても貧困が強まらないですむような社会をつくる必要がある。

経済活動には、市場経済と、政府に代表される公的部門の働きの、両方があるべきだ。完全な自由放任市場も、完全な統制経済も、望ましくないのは明らかだと思う。

政府には財源が必要だ。通常それは、税による。政府には、国民から、全面的信任ではないとしても、税金をまじめに払う程度の信頼を得ることが必要だ。(脱税する人が尊敬される社会や、政府の設備をこわす人が尊敬される社会では、政府は経済活動に対して期待される役割を果たすことができないだろう。)

政府はときには借金をして政策を実行するのに必要な資金を得ることがある。借金を返せなくなることは政府が信用をなくすことだから非常に困ったことだが、借金がどんどん増殖する事態でなく、しかも、政府が税を集め続けることができることについての信用があれば、借金があること自体は非常にまずいことではなく、借金を減らすことをほかの政策課題よりも優先させて急ぐ必要はない。

つまり、政府の収支は年度ごとにつりあっている必要はないし、借金が変動しながらもほぼ一定の規模で続くのはよいのだが、長期的にならしてみたとき、政府がすると決めた支出とほぼつりあうような税収が必要なのだと思う。

税率を下げたほうが、経済活動が活発になるので、結果として税収がふえる、という考えがある。そういうしくみが実際に働く場合もあるだろう。しかし、そのしくみは、あてにできるものではない。「税率を下げれば、必ず経済が成長し、税の対象となる経済活動の規模が拡大する」という保証はない。現在の税制のもとで税収の不足が続いているならば、なんらかの対象について税率を上げるような変更が必要なのだと思う。

税のうちには、現在の日本の法人税のように、利益をあげた場合に払い、赤字ならば払わなくてよいような制度もある。そういう税制によって「景気のよい」ときに税収も多くなるしくみはあってよいと思う。政府に「景気がよく」なるような政策をとる動機を与えることにもなるだろう。しかし、努力しても外の要因のせいで「景気がよく」ならない状態が続いてしまう可能性もある。税制の一部は、そういうときにも税収が確保できるものにしておく必要があると思う。利益があがらなくても、ともかくお金が動けばそれに対する比率で課税するような、いわゆる外形課税が考えられる。利益をあげていない企業に課税するのは酷なことだ。しかし、政策的に支えようと決めた対象が支えきれなくなるのも酷なことだ。消費税はこの外形課税の典型的なものである。この意味で、消費税を税体系のひとつの柱にするのはもっともだと思う。しかし、法人税を外形課税にすることも、国会が決めれば可能なことである。

市場経済のもとでは貧富の差の拡大が起こりやすい。物質やエネルギーの流れの総量に限りがあるもとで、貧困をなくすためには、富の再分配が必要であり、その働きは主として公共部門(国や地方自治体)が税と公共支出によってすることになるだろう。富の再分配に有効なのは、累進型の所属税、相続税などである。(一般)消費税は、所得に対する税額の割合が所得の低い人ほど大きくなるという意味で「逆進的」である。

合法な経済活動のうちでも、政策的に奨励したいものと抑制したいものがある。たとえば、再生しない資源の消費の大きい生産活動を抑制し、それを節約する生産活動を奨励すべきだろう。また、環境に有害な影響を与える活動を抑制すべきだろう。この抑制を税によってすることが考えられる。それを徹底させると、製品の生産・流通・消費・廃棄の過程で環境や社会に与える影響のうち価格に含まれていないものを外部不経済として評価し、それに見合った課税をして対策費用にあてることも考えられる。ただし、課税による抑制が成功して、その対象が減れば、その種類の税による税収は減ってしまう。税による奨励・抑制と、安定した税収源とは、両立しがたいのだ。

このように考えてみて、わたしは、税収確保のある一部分を、消費税の税率を上げることによるのはもっともだと思う。しかし、もっと多くの部分を、累進的所得税と、一部を外形課税化した法人税によるべきだと思う。また、消費税の税率を対象別に分ける(その複雑さを覚悟する)のであれば、資源・環境の外部不経済を減らす方向に誘導するような税率設定をすべきだと思う。