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「拡大されたピアレビュー」「第三の波」「相互作用的専門家」

[2014-07-21の記事]で紹介したPaul Edwardsさんの話のうちの、とくに、気候変動の科学的知見に対する専門外の人による「監査」の話題について、科学技術社会論のうちで考えられてきたほかの議論とのつながりを示しておきたい。

かつては、多くの人びとが、気候変動に関する科学と政策の関係を、科学者が自律的に科学的知見をまとめ、それを政策決定者が利用するという、(わたしが使いたいことばではないのだが、科学政策用語でいう) linear model [2013-11-19の記事参照]に近い形でとらえていたと思う。IPCCという制度の場合は、IPCC自体は専門家である著者集団と政策決定者である各国政府代表とがからんで構成されているのだけれど、まず科学者がそれぞれ自律的に研究をおこない、その成果である論文などをIPCCが参照して評価(アセスメント)をする、という構造はlinear modelの延長の発想でできていると言えると思う。しかし、実際にやってみると、評価に使われることを意識するせいで、研究の進めかたが偏るのではないか、という疑いをぬぐうことはむずかしい。

気候変化とその対策に関する問題は、Ravetz (たとえば2005年の著書)のいう post-normal science の条件にあてはまる。社会にとって重要な帰結をもたらしうる決断にかかわる問題であり、科学が提供できる知見が含む不確かさが無視できない。このような状況で、社会の人びとは、科学的知見を、科学者共同体内で同僚評価(peer review)されていることだけでは信頼できない。科学的知見を評価する仕事に専門外の人も加わること、つまり拡大された同僚評価(extended peer review)が求められる(それだけで解決するというものでもないが)。

2009年末にイギリスのEast Anglia大学の気候研究者の電子メールが暴露される事件があり、それに関する話題があちこちでまきおこった。Ravetz氏は、温暖化懐疑論者が集まるブログ WattsUpWithThat にゲスト投稿し(Ravetz, 2010a)、このようなブログにextended peer reviewとして期待していると述べた。それに続いて(わたしは追いかけていないが)コメント欄などでさまざまな議論があったようだ。2回めの投稿(Ravetz, 2010b)でRavetz氏は「温暖化懐疑論者のうちには『地球温暖化人為起源説は全面的な不正(うそ、いんちき)である』という確信をもっている人がいるが、自分はそういう人とは議論をかみあわせることがむずかしい」という趣旨のことを言っている。Ravetz氏自身は、気候科学者の仕事を、悪意はなさそうだが知見の確かさを過大に示しているところがあると見ていて、したがってextended peerによる批判が必要と考え、温暖化懐疑論者のうち同様な考えをもつ部分に連帯しようとしているのだ。Ravetz (2011)の論文でも主張は変わっていないようだ。他方、Ravetz氏のpost-normal science論に賛同しながら、むしろその発想を温暖化懐疑論よりも地球温暖化は重大な問題だという認識につなげて考えようとする人もいる。そのひとりのSilvia Tognetti氏はブログ上でRavetz氏との意見交換をしたが(Tognetti 2013a,b,c)、ギャップはあまり埋まらなかったようだ。

Harry Collins氏の「科学論の三つの波」論(Collins and Evans 2002, 2007; Collins 2011, 2014)を持ち出して考えてみると、上に linear model という用語を使って述べた、科学内のことは専門家の判断にまかせればよいという考えが「第1の波」であり、専門家の言うことを信頼できない専門外の人が別個に知識を評価しようとするのが「第2の波」、専門家と専門外の人とがかかわるextended peer communityが必要だというのが「第3の波」になるのだと思う。ただし、温暖化問題に関するRavetz氏の態度は、extended peer communityと言ってはいるが、例にあげた温暖化懐疑論ブログは、専門外の人が主導し、専門家が参加する気を起こしにくい場なので、「第2の波」的になってしまっていると思う。【なお、政治的な「右・左」「保守・革新」の軸との関係は単純ではない。ここではその議論は避ける。】

温暖化懐疑論者のうちには、気候科学者による学術論文を読んで論評する人もいる。(また、暴露されたなかまうちのメールを論評した人もいた。) しかしその論評を気候科学者の同僚が見ると、用語を論文の著者の意図とは違う意味に解釈した結果、結論の(賛成反対ではなく、文の意味の)解釈も違ってしまっていることがよくある。Collinsの用語を使えば、気候科学者は、気候科学の専門の暗黙の知識(specialist tacit knowledge)を身につけていて、それによって専門文献に書いてあることを理解する。この場合の温暖化懐疑論者たちは、専門の暗黙の知識を持たないで、専門文献を読んで知識を得るが、それは専門家のもつ知識と比較困難なものになってしまうのだ。(日本語圏では「こんにゃく問答」というたとえ話が使えるだろうか。)

Extended peer communityには、議論の対象となる分野についての(Collinsのいう)相互作用的専門家(interactional expert、日本語表現は別案を考えているがひとまず直訳にしておく)がいるべきだと思う。専門教育は、専門の暗黙の知識を身につけさせることと、専門家共同体への帰属意識をもたせることの両方の働きをしていると思うが、相互作用的専門家を育てるためには、前者には従うが後者には従わなくてよいような教育の場をふやしていくべきだと思う。

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