macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

QWERTY (2)

[前の記事]に、思いがけず、参照した論文の著者の安岡孝一さんからコメントをいただいたので、もう少し調べてみた。(ただし「少し」であって「詳しく」ではない。この主題についてはわたしは気にかけつづけるつもりではあるが、本気で調べるかどうかは、まだわからない。)

Elsevier社から出ているResearch Policyという雑誌の42巻6-7号に「Discussion on QWERTY」という小特集がある。http://www.sciencedirect.com/science/journal/00487333/42/6-7
この雑誌をとっている図書館に行ったら読んでみたいと思う。オンラインでも買えば読めるのだが、1件35.95ドル(短いコメント論文でもこの値段)で5件買って読もうというほどの興味がわかない。(有料だから嫌っているわけではない。特集全体が36ドルなら買う気になると思う。) Google Scholarで検索してみると、このうちVergneの論文は印刷前の原稿の形で別のウェブサイトに置かれていた。Kay (2013a, b)の論文自体は見あたらないが、それを参照しているKay (2013c)の講演予稿が見つかった。

Kay (2013c)は、Yasuoka & Yasuoka (2011)をも(発表年を2009と書いているが)参照している。Sholesがキー配列を決めた際の判断基準は明確には記録に残っていない。前の記事でわたしが参照したYamada (1980)を含むいくつかの文献は「英語で続けて現われやすい2文字をround basket上で反対側に置いた」という説をとっている。Yasuoka & Yasuokaはこの説を否定する判断をしている。たとえばEとRは続いて現われやすいが反対側に置かれてはいないのだ。Kayはそれを認めながら、「英語で続けて現われやすい2文字がround basket上で隣どうしになるのを避けた」という説をたてる。ただし、Kay (2013c)が実際に数値を使って示しているのは「QWERTY配列のround basketで隣どうしになった文字が英語の文章で続けて現れる頻度が少ないこと」であって、それを部分的に変更した配列でもDvorak配列でもこの頻度が多くなるという結果も得たそうだが、(Kay 2013aを読むまでは未確認だが)考えうるあらゆる配列のうちでQWERTYが最適だと論証できたとは考えにくい。

なお、Kayは「Sholesは店頭で実演する人の便宜のためにTYPEWRITERという文字列を打つのに使うキーを同じ段に置きたかった」という説は採用して、配列の選択範囲を狭めている。他方Yasuoka & Yasuokaは、当時の商品名は「Type-Writer」であったのにハイフンは同じ段に置かれていないことなどを理由に、この説はあやしいとしている。

ここまで読んだわたしの判断としては、Kayの論証は不完全なのだが、「Sholesが配列を決めるにあたってはキーと印字部をつなぐ棒がからまないようにするという目標が重要だった」という説は(「反対側に置いた」という不要な枝葉を否定すれば)もっともである可能性が高まったと思った。

Kayは「Sholesの判断基準を前提とすればQWERTY配列が最適だった」と言っているようだ。とくにKay (2013a)の題名を見ると、Kayはこれが唯一の最適解であってそれに決まるのは必然だったと主張しているようだ。わたしがKay (2013c)を読んだ限りでは、その主張が論証されているとは思えないし、常識的に考えて最適な配列はひとつにはしぼれないと思う。しかし「QWERTY配列がSholesの判断基準で誤差の範囲で同程度に最適とみなせる配列の集合に含まれている」という意味ならば、(実際そうだと納得したわけではないが)ありうると思う。

さらに、KayはQWERTYが経路依存の例ではないと言っているようだ。「経路依存」という学術用語の意味は「最適でない技術にはまってしまう」ことを含むので、Sholesが生きていた1890年までの状況に限れば「QWERTY配列は最適(なもののひとつ)だったのだから経路依存ではない」という理屈は成り立ちそうだ。しかし、現代のコンピュータのキーボードについて、あるいはそこまで行かなくてもキーと印字部をつなぐ棒の配置が円形(round basket)から半円形に変わった以後のタイプライターについては、すでにSholesの判断基準は意味がなくなっているので、QWERTY配列が生き残ったのは経路依存だと言うべきではないか? ただし、Kayにとってのこの用語の意味がわたしにとっての意味と違うのかもしれない。

Vergne (2013)の論文は経営学の背景知識がないわたしにはあまり理解できなかったのだが、Kayの「QWERTY配列は経路依存の例ではない」という理屈を(わたしとは違って)認めたうえで、しかし経路依存は技術の発達過程にはよくあるのだ、と言っているようだ。

文献 ([前の記事]と重なるものは省略)

  • Neil M. Kay, 2013a: Rerun the tape of history and QWERTY always wins. Research Policy, 42:1175-1185. [わたしはまだ読んでいない]
  • Neil M. Kay, 2013b: Rerun the tape of history and QWERTY always wins: Response to Arthur, Margolis, and Vergne. Research Policy, 42:1195-1196. [わたしはまだ読んでいない]
  • Neil M. Kay, 2013c: The QWERTY Problem. Paper to be presented at the 35th DRUID, 2013. http://druid8.sit.aau.dk/acc_papers/rluar3kk4i5t4gelr7j36gx9hma5.pdf
  • Jean-Philippe Vergne, 2013: QWERTY is dead; long live path dependence. Research Policy, 42:1191-1194.