【科学技術社会論学会大会の中で、「(いろいろな専門に進む人に共通の)教養教育としての科学技術社会論的な教育」のような話を聞いた。また、一般人の「科学リテラシー」の問題のほかに、科学者が「社会リテラシー」をもつことが必要だが、それはどのようにしたらできるものか、という話題にも出会った。ここで「科学」という用語はどちらかというと自然科学 (工学・医学を含む)を念頭においているけれども、社会科学・人文学を除外するものではない。】
ここでは「専門家」という用語で、学者だけでなく、専門知識を応用して実務をする人も含めて考えたい。ただし主として学者を念頭におく。
科学であるかどうかはともかく、現代の専門は、細分されようとする傾向がいつも働いているようだ。それは専門知識というものが共通にもつ性格によるのかもしれない。同じ専門の人々は専門の用語体系(概念体系)を共有することによってものごとの評価基準を共有する。用語体系を身につけるには、整った形の教科書を読むような形では不充分であり、専門の先輩との相互作用のある場の中で例題を共有することによる訓練が必要なのだ。多くの専門家は経歴の間に一つだけの専門の訓練を受け、ほかの専門についてはしろうとである。
社会が求める問題解決は、専門分科の枠の範囲ではすまないことが多い。そこで「学際」的な仕事が必要になる。「学際」にあたる英語はinter-disciplinary [実際にはハイフンを入れないほうがふつうだがここではわざと入れている]で「専門分科の間の」というような意味だが、ほかにtrans-disciplinaryということばもある。「専門分科を超越した」というような意味だろう。わたしは、複数の専門分科がお互いに尊重しながら協力していくのがinter-disciplinaryで、専門分科の境目を気にしない態度で活動するのがtrans-disciplinaryだと思っている。しかし、ある人の用語では、学問的専門分科の境を越えるのがinter-disciplinaryで、学者とそれ以外の実務的な専門家とが協力して活動するのがtrans-disciplinaryというようだ。
いずれにしても学際的あるいはtrans-disciplinaryな仕事への期待はなん十年も前から述べられているのだが、実態は、専門集団間で弱い相互作用はあるもののそれぞれ自分の専門の仕事を続けているだけで、期待にじゅうぶんこたえていないことが多いと思う。
たしか1970年代後半、宇井純さんの「自主講座 公害原論」の講義の中での発言だと記憶しているが、「価値のある学際的な仕事が出てくるには『ひとり学際』、つまり、ある人が努力して複数の専門にわたる知識を身につけることが必要だ」という議論を聞いた。そのときは本気で受け止めなかったのだが、今は自分の意見としてそう言いたいと思う。
たくさんの専門(学問分科と実務的職能を含めて)にわたる課題の解決にあたる人に、それにかかわるすべての専門に詳しくなれと言っても無理だろう。しかし、「自分が育った専門のほかに、もうひとつの専門の用語体系を理解している」人があちこちにいて、二つずつの専門をつないでいれば、全体として意義のあることができる希望がある。
ひとつ博士号がある人がもうひとつ博士号をとるほどの勉強をすれば、どちらの分科でも堂々と専門家と名のれるだろうが、そこまで時間をかけられる場合は少ないだろう。むしろ、副専門について修士修了くらいの理解度をもつ人をふやすことのほうが重要だと思う。それにしても、博士級の専門実績を持っている人が修士課程にはいりなおすのはよほど強く必要性を感じた場合に限られるだろう。もう少ししきいが低い、一つ専門をもった人のための副専門の訓練の機会があったほうがよいと思う。たとえば、今どきの日本の大学の教員ならば、8月・9月・3月は授業がないことが比較的多いので(報告書づくりや学会行事などで忙しい人が多いとは思うが)、合宿研修の機会をつくれば参加する人もいるのではないだろうか。
わたしの専門分野である物理気候学(気候という対象への物理法則からのアプローチ)には、アメリカにGerald Northという学者(現在、Texas A&M大学教授)がいる。この人は若いころ、日本流に言えば、教養課程で物理を教える助教授だった。たまたま、大気科学(気象学を含む分野)の全国共同利用研究所であるNCAR (National Center for Atmospheric Research)が開いた夏の数週間泊まりがけの研修に参加したらにサバティカルで1年間滞在したら[2020-11-20訂正]、ソ連のBudykoとアメリカのSellersのそれぞれの論文をきっかけに「地球の気候は簡単に全球凍結に至るか?」という疑問が話題になっていた。North氏はBudykoとSellersのモデルを数理的にすっきりと定式化しなおしてその解の構造を示し、気象学会誌に発表した。その仕事が認められてNASA (GSFC)の大気の研究所で働き、TRMM (熱帯降雨観測衛星ミッション)の企画にかかわっている。この場合は、副専門を持ったというよりも、新しい専門に移った例と言えるだろう。そして、当時若かった大気科学の専門家集団にまわりの分野から参入する人を歓迎する態度があったからできたことかもしれない。しかし、副専門をもつ人を育てるための研修を考える参考になると思う。
各専門の全国センターと目される機関が、それぞれ、それを副専門としたい人のための研修の機会をつくることを、業務の内に位置づけてくださることを希望する。