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不確かな科学情報を社会に提供すること - 地震発生見通しの場合

2009年4月6日、イタリアのラクイラ(L'Aquila)で地震災害があった。その前に、国は「大地震の可能性は低い」という情報を出していた。被災者たちが、情報源となった科学者を訴えて、裁判になっている。

この話は、科学者は不確かな情報をどう社会に伝えたらよいかという問題の事例として、前から気になっていたのだが、詳しく調べてこなかった。

2012年8月18日22時からのNHK BSのドキュメンタリー番組「訴えられた科学者たち -- イタリア地震予知の波紋」を見た。

【[2012-10-29補足] この題名に「地震予知」ということばを使ったのはうまくない。下に述べるように地震予知に関係はあるが、訴えられた科学者たちは地震予知をしたわけではない。】

ラクイラは中世以来の歴史のある町で、震災前の人口約7万人。2009年初めから400回をこえる小さな地震があり、とくに3月30日にはマグニチュード4の地震があった。それで政府は3月31日に災害対策委員会を開き「安全宣言」(これはNHKの表現で、わたしは必ずしも納得していないが便宜上使う)を出した。しかし4月6日にマグニチュード6.3の直下型地震が起き、住宅倒壊2万棟以上、死者300人以上の被害を出した。被災者が、災害対策委員会の5人の科学者委員と2人の行政官を過失致死罪で刑事告発した。裁判は2011年9月に初公判があり、今も続いている。

とてもややこしい事情がいくつもある。ひとまず、考えたままに書きとめておく。

  • 報道された「安全宣言」の言説は科学者が述べた科学的見通しからずれていた。【以下の引用はNHKのナレーションをさらにわたしが聞いたものなので正確ではないと思うが】。
    • 委員の発言の一例「群発地震中に大きな地震が起きる確率は3/1000だ」
    • 行政官によるまとめ「このレベルのエネルギー放出が続く限り危険は少ない」(行政官によれば、科学者委員はそれに反論はしなかった。)
    • 報道「群発地震はエネルギーを放出するから大地震につながらない」
    • (もし、議事のきちんとした記録がとられていれば、内容の変化の過程を確認することはもっとうまくできただろう。しかし、根本的な問題は、科学の立場からは大きな不確かさを含んだ形でしか述べられない問題について、市民をますます混乱させないためにはどのような形で情報を発信するべきかだろう。)
  • ラクイラの人々には地震防災のローカル知があった。
    • 「ゆれたら逃げて朝まで帰るな」などの言い伝えがあった。
    • しかし、次に述べる事情もあって、3月31日の時点では人々の間に異常な不安が広がっていた(街路に立ちつくす人多数)。
    • そこで政府は「安全宣言」を急いだわけだが、その結果、人々は平常よりも安心してしまって逃げることが少なかった。それで、実際に地震が発生したとき、被害が大きくなった。
  • 国とは別に、地震予知情報を出す研究者がいた。
    • もしこれがオカルト的なものであれば、国が科学者を集めてそれを否定する声明を出すのが順当だと思う。ただしその場合、その予知情報の存在を認識するならば、その科学的根拠の乏しさを論証する必要があるだろう。
    • 実際にあった予知情報は、ラドン濃度観測に基づくものだった。地下水中のラドン濃度は、事後的な研究では地震との関連が見られることも多く、日本では国の地震予知研究事業の要素としても認められている(ただし実務的な防災事業に組みこまれたわけではない)。(イタリアの国としての平常の地震防災の中でラドンがどう位置づけられているか、わたしは知らないが、番組を見た印象では、(研究行政は別として)防災行政はラドンを無視しているように思われた。) しかし、実際に地震予知に有効であるかどうかは、近い分野の研究者の間でも意見が分かれる。ラクイラの事例については事後的検証がされていると思うが、おそらく「ラドンに基づけば正しい警報ができた」とは言えないと思う。
    • ラドン研究者による地震予知情報が市民の不安を高めたようだ。どんな情報が出されたか、番組からはわからなかったが、災害対策委員会の委員から見て妥当な範囲をこえて危険を強調するものだったのだろう。しかしラドン研究者の立場からは警告情報を出しうる者の責任として危険側に偏るのは正当と考えられたかもしれない。(また、研究者としての功名心も主張を強調するほうに働いたかもしれない。長期的信頼度のためには偏らないほうがよいはずだが。)
    • 地震予知情報の報道されかたも、市民の受け取りかたに大きく影響したはずだ。
    • 国がラドン研究者による予知情報発信を抑圧したそうだ。(この是非については、研究者がどのような発信をし国がどのような指示をしたのかを詳しく知らないと判断がむずかしい。)

【このわたしの記事は、この問題を専門的に追いかけていない人が少し考えたことの覚え書きにすぎないので、この事例に関する情報源としてあてにしないでほしい。ただし、もし事実関係についての明確なまちがいが見つかったら訂正するつもりである。】