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日本語のローマ字つづりかたについての国の審議会のうごきと、それについてかんがえること (3) 2024年9月現在の総論

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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この記事の話題は [(1) 2024-02-24] [(2) 2024-03-16] やそのほかの記事からつづいているが、今回の記事だけで話題がわかるように書きたい。

日本の国の 文化審議会 の 国語分科会 は、4月から 2024年度にはいって委員がいれかわり、2024年 6月 3日に第1回の会議があった。つぎのページに、議事録はまだでていないが、会議でくばられた資料がおかれている。

この分科会の下に、「ローマ字小委員会」と「言語資源小委員会」がつくられたらしい。

ローマ字については、2024年 5月 14日づけ、文部科学大臣からの「これからの時代におけるローマ字使用の在り方について」という「諮問」が出されている。「諮問」の本文は「次の事項について、別紙理由を添えて諮問します。これからの時代におけるローマ字使用の在り方について」だけであるらしく、つぎのページから「理由」となっている。そのうち「ローマ字をめぐる検討課題を整理すると、主に次のような点が挙げられます。」につづく箇条書きを引用しておく。

1 将来に向けてローマ字つづりを安定させること
現状の社会生活においては、同じ音に対して幾つかのローマ字つづりが使用されている。これらを整理し、どのようなつづりが分かりやすく、かつ実際に使われるものとなるのか、また、日本語の基本的な音韻に過不足なく対応しているか等を踏まえた上で、将来に向け、できるだけ統一的な考え方を示すよう検討する。

2 国語を表記する上で十分な機能を果たせるローマ字つづりとすること
例えば、外国語の書き方の影響や情報機器での使用が容易でないことなどから、長音符号を使わないローマ字表記が広がってきた。音の長短によって語を判別することがある日本語において、伸ばす音であるかどうかの区別ができないつづりは、表記としての機能を十分に果たせていないとも考えられる。これらの解決に資するローマ字表記の在り方を検討する。

3 各分野で定着してきたローマ字表記の慣用を整理すること
例えば「judo」「matcha」のように、英語に準じたとも言える日本語のローマ字表記が国際社会で広く用いられるようになり、国内にもその影響が及んでいる。このような各分野における慣用をよく整理し、国語の表記との関係においてどのように位置付けるかを検討する。

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日本語のローマ字表記のしかたについての政策に関する、いまの段階でのわたしの意見はつぎの 3-7 節のとおりである。そのうち重点は、4, 5 節にある。

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日本語の書きことばは漢字かなまじり文が標準とされているが、表音文字による表記も必要になる。

必要になる文脈はいくつかある。

  • a. 日本語の文章全体を表音文字で表記したいばあい
  • b. 日本語の単語が外国語のなかにまじるばあい
  • c. 音声にどのように変換されるかを確実にしめすため (「読みがな」など)
  • d. 語の検索や辞書順整列のため (漢字では困難なことがある)
  • e. 個人名などの照合のため (漢字では困難なことがある)

日本語話者のおおくが「a」の需要をわすれているかもしれないが、すくなくとも、「国語」をまなびはじめている子どもむけや、日本語をまなびはじめている外国語話者むけのものはある。また、目がみえない人のための点字も表音文字である。わたしは、今後の日本では、さまざまな外国語の話者と日本語話者とがいっしょに生活するために、日本語の文章が表音文字でかかれたものがもっと必要になると予想している。

目的によって、のぞましい表記方式がちがうかもしれない。しかし、流通する文書が目的別にきれいにわけられるものではないから、なるべく汎用の標準をつくったうえで、 目的によって例外をみとめるのがよいとおもう。

表音文字としては かな と ローマ字がある。外国との関係でローマ字は必須となる。他方、日本国内での初等教育では まず かな をおしえるので、すくなくとも 子どもむけには、かな で書かれた日本語文がおおく存在する。したがって、両方を併用する必要があるだろう。

かな 表記には「現代かなづかい」という標準があり、現在の日本語圏では、歴史的文書の表記をたもったものやあえて芸術的表現をねらったものをのぞいて、この標準にちかいものが普及しており、ひとつのことばについての文字づかいのゆらぎが (あることはあるが) すくない。ローマ字表記は、1954年の 内閣訓令・告示 『ローマ字のつづり方』 (実質的内容は「告示」のほうにあるのだが、ここでは便宜上「1954年訓令」とよぶ) という国の標準はいちおうあるものの、現実につかわれるものはかならずしもこれにしたがっておらず、ゆらぎが比較的おおきい。

そこで、ローマ字表記の標準についての政策は、おおきくふたつにわかれるとおもう。

  • A. かな表記 (現代かなづかい) からの転写 (transcription, 「翻字」ともいう) として、あらたにきめる。
  • B. ローマ字表記の現状をもとに、すじがとおっており、まもりやすいものをえらぶ。

もし A の政策をとるとしたら、まず転写方式の原案をつくり、大量の事例に適用してみて改良する、作業が必要だ。今年度の 国語分科会 のすすめかたは、あきらかにその方向ではなく、わたしのいう B の方向にちがいない。

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日本語をローマ字で表記する方法には、いろいろなこころみがある。そのうちで、日本語の文章全体をローマ字で書くことができるような体系づくりがいくつかおこなわれてきた。16世紀後半のイエズス会の宣教師によるもの (仮に「イエズス会式」としておく)、1860年代のヘボン [James Hepburn] によるもの (改訂の過程をわけないで「ヘボン式」としておく)、明治期の 田中館 愛橘 [たなかだて あいきつ] ほかによる「日本式」などがある。これはいずれも、かな表記からの転写でもなく、外国語話者がきこえたとおりに書いたものでもなく、(それぞれの現代の) 音声による日本語がどのような音素からなっているかを分析して、それぞれの音素にローマ字の文字列をあてたものだ。

イエズス会はポルトガル語で区別されている音素を区別してポルトガル語でそれにちかい音になるつづりをあてた。ヘボンも同様に音素を区別して、英語でちかい音になるつづりをあてた。いずれも「タ、テ、トの子音」「チの子音」「ツの子音」を区別していた。それにたいして田中館たちは、動詞の活用の体系や五十音図という既存の標準を背景とした日本語話者の感覚にもとづき、タ行の子音は一定の文字でかくべきだとした。1937年の内閣訓令は、「日本式」の全体をひきついだわけではないが、この点では日本式と同じものを標準とした。それが1954年訓令の「第1表」にひきつがれ、「訓令式」とよばれている。「ヘボン式」と「訓令式」の対立は、音声言語の日本語を音素に分解するというおなじ原則のなかで、音素をどのくらいくわしく区別するかという具体化の段階でのちがいなのだ。【ここでわたしは「訓令式」「ヘボン式」という用語を、ローマ字による日本語の表記の総合的な体系をさすのではなく、音素の区別と音素へのローマ字列のわりあての方式にしぼってつかっている。そして「訓令式」を1954年訓令の「第1表」で代表させる。】

そして、さいわいなことに、訓令式とヘボン式が混在しても、おおきなさしつかえはない。一方にしたがったつづりが他方で別の意味になってしまうことはまずない。(中国語のピンインとウェイド式、韓国語の2000年式と1984年式などのばあいは、この問題があって、混在できないのだが。) 【さしつかえるのは、外来語などにかぎるとはいえ現代日本語の音としては無視できない「ティ」「トゥ」が「チ」「ツ」と区別できなくなることで、これについてはあらたに約束をつくることが必要かもしれない。】 1954年訓令では、「第2表」の前半にヘボン式の訓令式とちがうところ、後半に日本式の訓令式とちがうところがあげられている。この標準案をつくった人は、混在してかまわないというかんがえをもっていたと、わたしは推測する。そして、わたしは、今後も、混在をみとめるのがよいとおもう。それならば、1954年訓令をつかいつづければよく、あたらしい標準をつくる必要はないといえる。

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しかし、照合や整列のためには、混在をみとめられた複数のつづりをひとつにまとめることが必要だ。そのための標準はあったほうがよいだろう。1954年訓令をすなおによめば「訓令式」を標準とするべきだということになりそうだ。しかし、国の機関自体が、そのようにしてこなかった。パスポートでは国民にヘボン式をほぼ強制していたし、道路行政や鉄道行政 (民営化されたJRも国有鉄道の約束をひきついでいる) では地名をヘボン式表記してきた (ただしこれは日本語のローマ字表記というよりも英語併記という意識だったかもしれない)。国土地理院は、1984年にきめた標準では訓令式を採用したが、2004年にきめなおしてヘボン式を採用している ([(2) 2024-03-16] でふれた)。

利用実態からみて、ヘボン式のほうを標準としたほうがよいという意見がでてくることは理解できる。それでまずいのは、日本語学習者がおぼえる動詞の活用が ta, chi, tsu, te, to という不規則変化になることだが、適切な発音をおぼえることと組でかんがえれば、おおきな損失ではないかもしれない。

理屈のうえでは、「1954年訓令の第2表の前半を標準とし、第1表によることも許容する」とすればよいのだが、これはわかりにくいから、標準のほうの表にヘボン式、許容のほうの表に訓令式のつづりをいれて、標準文書をつくりなおすことになるだろう。まぎらわしさをさけるため、新標準には「訓令」「第1表」「第2表」ということばをつかわず、別のことばで表現したほうがよいとおもう。

ただし、1954年訓令の第2表の前半を採用したものは、ひろい意味で「ヘボン式」といわれるものにふくまれるとおもうが、「ヘボン式」の代表とはちがうようだ。わたしは「ヘボン式」のうちわけを確認していないが、ヘボン式がつかわれている事例のおおくにあらわれていて、1954年訓令には書かれていない、つぎのような特徴を採用するかどうかは、わかれみちになりうる。わたしの意見をふくめてのべておく。

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「ん」の音を、1954年訓令では、(第2表を採用したとしても) つねに「n」であらわす。ヘボン式にしたがった文書では、「m, b, p」のまえにくる「ん」は「m」とするばあいがおおい。

これは、タ行のばあいと同様、日本語の音素をどこまでくわしく区別するかからくる対立だ。

外国語話者からみれば、たとえば「にほんばし」の「ん」のところできこえる音は [m] であって [n] ではないので、ここは「m」でかくべきだと感じられがちだろう。

しかし、ちがうというならば、「k, g」のまえにくる「ん」の音も n とちがう。国際音声記号 (IPA) によれば [ŋ] だ。「にほんこく」 (日本国, Nihonkoku) の「ん」もこの音だろう。言語によってはこの音を n と区別する必要があるが、日本語では区別しなくてさしつかえない。(「Nihongkoku」と書けという人はあまりいないだろう。)

また、日本語話者の感覚としては、「にほんばし」はあきらかに「にほん」をふくむ複合語であり、「にほん」は nihon なのに、「にほんばし」となると nihombashi と m にかきかえるのは、(たとえ、発音は m になっているといわれても、また、「はし」 (hashi) が「ばし」にかわっているのはみとめていることを指摘されても) 納得しにくく、理屈で了承しても、無意識に n を書いてしまいがちだ。

わたしは、ここは許容をみとめるべきところとおもうが、標準としては、国土地理院 (2004年) のように、つねに n とするのがよいとおもう。

- 5b -
「ん」のあとに母音またはヤ行の音がくるばあい、「ん」を n でかくと、ナ行の音と区別がつかなくなってしまうので、分離記号が必要となる。1954年訓令ではアポストロフ (「'」) が採用されている。(記号の名まえはしめされず、記号を直接書いている。) 1937年の訓令ではハイフン (「-」) だった。

わたしは、ここも許容をみとめるべきところとおもうが、標準としては、(ひろく複合語をつくる際につかわれているハイフンよりは) ほぼこの目的でつかわれることがあきらかなアポストロフのほうがよいとおもう。国土地理院 (2004年) もアポストロフを採用している。(情報処理上の ASCII コードでアポストロフが引用符と兼用されていることによる不便がいくらかあるのだが。ハイフンのほうもマイナスと兼用されていることによる不便がある。)

- 5c -
長音については、訓令式、ヘボン式とも、i の長音は ii とするが、そのほかは母音字に補助記号をつけてしめしてきた。1954年訓令では、母音字の上に山形「^」 (フランス語でいうアクサン シルコンフレクス) をのせる形が採用されている (記号の名まえはしめされていない)。1937年の訓令では上に横棒 (マクロン) をのせる形だった。

わたしは、長音記号は、上の山形と上の横棒を許容し、母音のあとに「-」や「:」をつけることや、省略してしまうことは、のぞましくないとすべきだとおもう。標準として、山形と横棒のどちらがよいかの判断はむずかしい。現状でひろくみられるほうを採用するならば、横棒になるだろう。しかし、国土地理院 (2004年) は山形を採用している (とくに理由はのべられていない)。わたしは、情報機器をつかって書くたちばから、文字コードやフォントのつごうで、山形のほうがよいと言いたい。【アクサン シルコンフレクスのついたアルファベットは、文字セットのうちいちばん単純な ASCII にはふくまれていないが、つぎに単純な Latin 1 (ISO-8859-1) にふくまれており、それを表現できるフォントもソフトウェアもたくさんある。(HTML では「& o c i r c ;」をすきまなしにかけば「ô」となる。) マクロンのついたアルファベットをよびだすのは楽でない。 (HTML では文字コード番号をつかって「& # 3 3 3 ;」をすきまなしにかけば「ō」となるが、これはわかりにくい。) 】

- 5d -
促音「っ」のうち、つぎに「チ」 (チャ、チュ、チョでも同様) がつづくばあいは、1954年訓令で、第2表の前半を採用して、促音はつぎの子音字をかさねるというルールにしたがえば「cchi」となる。しかし、ヘボン式の慣例は「tchi」である。この件については、「チ」を「chi」とするならば「ッチ」は「tchi」とする、というルールを追加するのがよいとおもう。

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いまの日本語圏のローマ字のつづりに混乱がみられると感じられるおもな原因は、ヘボン式と訓令式の混在ではなくかな変換用ローマ字列 がまざることだとおもう。

それは、1980年代から発達してきた情報処理機器への日本語入力の方式が、「かな漢字変換」を基本としており、ローマ字入力は可能ではあるが、それは かな表記を よびだすための手段と位置づけられてきたことによる。かな変換用ローマ字列は、音素を文字列で表示するというレベルでは、日本式、訓令式、ヘボン式などと共通である (その混在をみとめることがおおい) のだが、それ以外の点で、どの日本語ローマ字表記方式にもしたがっておらず、かな 表記からの機械的転写のようなものになっている。そして、2020年代の現在、日本語話者がローマ字入力をする場面のおおくが (最終的に漢字表記に いたるにせよ いたらないにせよ) かな表記をよびだすことなので、ローマ字表記の形で発表することをもとめられたばあいも、かな変換用ローマ字列がそのまま出てきてしまうことがおおいのだ。

この混乱をしずめるひとつの方法は、かな変換用ローマ字列をローマ字表記の標準にしてしまうこと (上の第3節でのべた A の政策) である。しかし、いま、政策はそちらにむかっていない。

上の B の政策をとるならば、ローマ字表記された日本語文のなかに、かな変換用ローマ字列がまぎれこむことを、どのようなばあいは許容し、どのようなばあいは まちがいとしてなおさせるか、という問題がある。

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かな変換用ローマ字列とローマ字表記とのくいちがいの原因のひとつは、「現代かなづかい」が、表音主義の原則からはずれて、歴史的つづりを採用した部分からきている。ローマ字表記のほうは、訓令式にせよヘボン式にせよ、表音的にきめられている。

該当するのは、助詞の「は、へ、を」と、連濁の「ぢ、づ」だ。

わたしは、このうち「ぢ」は ヘボン式ならば ji, 訓令式ならば zi、「づ」は zu を標準としながら、di, du を許容するのがよいとおもっている。助詞の「を」も、o を標準としながら wo を許容することができる。しかし、「は、へ」については、「ha, he」というつづりは実際に ha, he と発音する語にかぎってつかい、助詞の「は、へ」は「wa, e」とするべきだとおもっている。

- 6b -
大量に生じるがむずかしいので最後にもってきたのは、長音、とくに o の長音をどうかくかだ。現代かなづかいでは、o の長音は、おおくのばあい (ひとつめの母音をア行のもので代表させると) 「オウ」のようにかかれる。(「オオ」とかかれるばあい、「オー」とかかれるばあいもあるが、ひとまずここの話題からはずす。) かな変換用ローマ字列では ou となる。しかしローマ字表記方式では (長音記号としてひとまず山形を採用すれば) ô である。ここにくいちがいが生じる。

政策として A ではなく B を採用するので、ou を標準とすることはない。問題は ou を許容するかだ。現につかわれているという観点からは、許容するしかないかもしれない。他方、かな変換用ローマ字列で ou となるばあいのすべてが長音ではない。ローマ字表記方式でも ou となるべきときもある。(たとえば、動詞「おもう」は omou であり、 omô とするのは規範からはずれる。) その判断を自動的にするのはむずかしい。したがって、わたしは、ローマ字表記で o の長音に ou をつかうのはのぞましくない、としたい。

【なお、母音の体系のなかで ou と ei の対称性が指摘されることがある。日本語話者のおおくが e の長音と認識する音のおおく (全部ではない) は、どのローマ字表記体系でも、ei とかかれている。ただしそれは、現代かなづかいでも「エイ」なので、ローマ字表記体系をかんがえる際には、長音ではなく、e と i がつながったものと意識されたようだ。また、ou のばあいは ou と au だったものが合流して o の長音になったという歴史的事情があるが、ei のばあいは ai は ai のままであり合流していない。したがって、わたしは、ei との対称性にもとづいて ou をみとめるべきだという議論は弱いとおもう。】

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日本語のローマ字表記には、音素の表記のほかに、わかちがき (空白をあけること) や ハイフンのつかいかた、大文字のつかいかた、句読点のつかいかた などの問題もある。ただし、これは、上の 3節でのべた B の態度をとるならば、第二次世界大戦後のローマ字文の習慣を事実上の標準としたうえで、そのつど読みにくい表現をさける注意をすれば、あまりおおきくこまらないとおもう。(第二次世界大戦前から「日本式」をつかっていた人たちの習慣はこれとだいぶちがっていたのだが、いまそれをひきついでいる人はほとんどいないだろう。)