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自動車からふたたび鉄道へ、あるいは内燃機関自動車から電気自動車へ

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【この記事は、社会に対して意見をのべる態度で書いています。ただし、意見の根拠をしっかりのべることはまだできていません。まず基本的主張を明確にしようとしたものです。なお、わたしは、気候変動については専門家であり、気候変動の対策にかかわるエネルギー政策は、研究者としての専門ではありませんが、大学の講義であつかう程度には専門のうちとしています。】

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20世紀のあいだに、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンなどの内燃機関をつかう自動車が普及した。わたしが子どものころの1960-70年代、路面電車や軽便鉄道が廃止されてバスにおきかえられていくのをいくつも目撃した。鉄道の新設もあったけれども、それはほとんど新幹線と大都市近郊の通勤路線にかぎられていた。自家用車も普及した。2000年以後には、バス路線もへらされる傾向にある。運転免許の年齢制限にかかる子どもや、おとなでも運転ができない人、自家用車をもてない人にとって、不便な時代になってきた。

しかし、いま、情勢は、ある意味で逆転しつつあるとおもう。

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ひとつは、化石燃料にたよることがむずかしくなってきたことだ。ここで「化石燃料」は、石炭、石油、天然ガスをあわせてさしている。化石燃料がそういわれるのは、むかしの生物の光合成によってできた炭素化合物に由来するからだ。天然ガスの一部分は生物由来ではないかもしれないが、人類の歴史よりもずっと長い時代の地球のいとなみによってたくわえられたものを短期間に消費してしまうという構造は共通なので、ここでは化石燃料にふくめてのべることにする。

第1に、化石燃料は、人類が消費すると、補充されない。化石燃料ができるプロセスはいまも進行しているかもしれないが、それは人間が消費するペースよりはずっとゆっくりしたものだからだ。この意味で、化石燃料は非更新性 (non-renewable) 資源である。【いまでは「renewable」にあたる日本語表現は「再生可能」がふつうになっているが、ここではあえて「更新」をあてておく。】 そして、20世紀後半以来の消費のペースでは、資源埋蔵量は目にみえて減っていく。人類社会は持続可能であるべきだが、化石燃料をつかいつづけることは持続可能でない。

第2に、化石燃料を (すなおに) 消費すると、大気中に二酸化炭素を排出することになる。自然界には二酸化炭素を大気から陸や海に移動させるしくみもあるけれども、排出されたもののだいたい半分の量が大気中にとどまり、大気中の二酸化炭素濃度はふえつづけている。すると、地上気温の上昇を代表的症状とする (しかしそれだけではない) 気候の変化、いわゆる「地球温暖化」がおこる。地球温暖化の影響には人間社会にとって得になることもあるにはあるが、損になることがおおい。地球温暖化はなるべくちいさくくいとめるべきだ。そのためには、化石燃料をもやすのをやめる方向に、社会のしくみをかえていくべきだ。

第3に、化石燃料を産出できるところは世界のうちでかたよっている。石油で代表させて「産油国」とよぶことにする。ところが、世界には戦争などの紛争がおきることがあり、それに産油国がかかわることがある。紛争によって、化石燃料の産出がとまることもあり、産油国から消費国への輸送がとまることもある。産油国のおもわくで輸出がとめられることもあるし、産油国の国際法違反のふるまいの制裁としてそこからの輸入ができなくなることもある。化石燃料にたよりつづけることは、自分たちの国のエネルギー源を不確実にしてしまう。

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化石燃料への依存をへらすために、ひとつには、エネルギー資源の需要をへらす、いわゆる「省エネ」も重要である。それから、エネルギー源を更新可能エネルギーに変えていくことである。更新可能エネルギーには、水力、風力、太陽光、地熱、バイオマスがふくまれる。化石燃料以外のエネルギー源としては、原子力もあげられる。しかし、原子力には、放射性廃物が発生し、もし事故があれば広域に放射性物質による汚染が生じうるという問題がある。そして、更新可能エネルギーも原子力も、電力をおこすのにはつかえるが、内燃機関をうごかすのには直接にはつかえない。(バイオマスから内燃機関用の燃料をつくることはできるが、精製や化学反応のプロセスが必要であり、その過程でのエネルギー損失が生じる。)

そこで、輸送用の車両 (や、船など) の動力機関としては、内燃機関よりも電気モーターのほうがよいことになってきた。さらに、もし化石燃料をつかいつづけるとしても、火力発電で電気をおこしてモーターで車両などを駆動する方法もある。固定された発電所のほうが、移動するために軽くつくらなければならない内燃機関よりも、熱力学的効率を (送電損失があってもまけないほど) 高めることができるし、窒素酸化物などの大気汚染物質の排出をへらすこともしやすい。

問題は、電気をどのように供給するかだ。「電化」された鉄道では、架線あるいは給電用レールから車両に電流を供給している。そのようにしなくても、車両が蓄電池をもち、駐車中に電力網から充電するしくみがあれば、運行できる。かつては、蓄電池が電気容量のわりに重かったから航続距離を長くすることができなかった。蓄電池がしだいに軽く、安くなってきたので、電気自動車が実用になってきた。いま、世界のいくつもの国で、電気自動車は内燃機関自動車にとってかわろうとしている。電気自動車にはまだ、水没に弱いなどの問題がのこっているが、技術的対策は進むだろう。

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これだけならば、電気自動車にむかうだけで、鉄道が活気をとりもどす理由はない。

しかし、いまの日本にはもうひとつ、トラックやバスの運転手の人手不足という要因がある。

旅客輸送について、鉄道を廃止してもバスがあればよいとかんがえられてきたが、ちかごろ、バス会社が運転手を確保できないので鉄道のかわりをひきうけられない、ということが生じている。

貨物についてみると、もし、同じ時期に同じルートをはこばれるものがまとまった量あるならば、車 1台ごとに運転手をつけるよりも、列車にしたほうが、すくない労働力ではこぶことができるだろう。もっとも、線路やそのほかの鉄道設備の保守に道路の保守とは別に人が必要になる。だから、鉄道のほうが有利になるのは輸送の幹線にかぎられ、支線は電気自動車により、積みかえをすることになるだろう。

これまでの鉄道政策では、旅客輸送ばかりがかんがえられがちだったが、ここでふたたび、日本全国の貨物列車輸送網をしっかりさせるべきだとおもう。いま旅客専用となっている路線を貨物列車をとおせるように整備すべきところもあるだろう。貨物列車のくみかえができる操車場も不足するかもしれないが、コンテナの積みかえができる貨物駅がもっと必要なことはたしかであり、今後の鉄道沿線再開発の重点項目になるだろう。

なお、鉄道の機関車にも蓄電池をつかうことができるから、従来の意味で「電化」されていない区間を「電化」する必要はないだろう。ただし、旅客・貨物とも、駅には充電のための駐車をふくめて場所を確保する必要がある。