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消費税論議をとらえなおす

日本でいま最大の政治課題は、消費税の増税(税率上げ)のようだ。ただし、政党間の対立ではなく、主要政党がそれぞれ内部で分裂した状態にあり、どう落ち着くかわからない。

増税よりも先に支出のむだを削るべきだという議論がある。筋としての正論ではある。しかし、それは、日本という国(国民総体)のうちで機関としての国(政府)がやるべき仕事は何かの根本を大きく考えてくれないと困る。単純に公務員の人数を削れと言えば、国が何をやるべきかを整理するべき部署も、当面の定型事務をこなすだけの労働力しかなくなってしまう。給料を下げれば、転職可能な能力を持った人からいなくなっていく。

教育、健康保険、高齢者の年金、生活保護などは、直接の受益者のためだけでなく、病気や犯罪などの社会にとっての不安要因を減らす働きをしていることも忘れてはならないと思う。そして、それを実現することが、所得あるいは富を持っている人から税金をとる権力なしにはむずかしいことも確かだと思う。国あるいは(国の法律で権力を認められた)自治体などの公共部門の仕事となるのは当然なのだ。もちろん、要望にはきりがないので、公共部門でどこまでやるかを判断する必要がある。民主主義国なのだから、国民の総意を国会で集約するべきなのだ。

震災であらためて明らかになったが、現代人の生活は、上下水道、鉄道・道路・港、電力網・ガス網、通信網などのさまざまな構造物に依存している。川や海岸にも、堤防などの人工物がつくられ、それを前提としてその近くの人びとの生活や産業が成り立っている。20世紀の間は、ますます大きな構造物を作ることがよい政策とされてきた。世紀の変わりめごろから、その価値観は見なおされていると思う。しかし、すでに作られた構造物は存在し、しだいに老化していく。もはやそれが不要だとしても、新たな災害を起こさないように解体して廃物を適切に処理するために、労働と資源を投入する必要がある。今後も機能を果たし続ける必要があるとすればなおさらのことだ。このような仕事の多くは公共部門でないと果たせない。一部は受益者負担で民間部門でできると思うが、もしその企業が破たんして民間の引き受け手がなくなった場合のあとしまつは公共部門で引き受けるしかなくなるだろう。

災害からの「復旧」(必ずしももとどおりにすることではなく、生活が続けられるようにすること)は、公共部門でやらなければならないことだと思う。「復興」(産業振興)は、民間活力が主になるはずだが、それを政策的に誘導するための公共部門の仕事はあると思う。

したがって、税金は安ければ安いほどよいという理屈は、少なくとも現代の日本にはそぐわない。

日本の公共部門は赤字だが、国際的にみた日本は、貿易だけに限れば必ずしも黒字ではなくなったものの、資本収支を含めれば黒字だ。これは日本資本の企業に富が蓄積されていることを意味するにちがいない。日本政府の赤字体質を解消するには、(もちろん政府がやるべきでない事業を廃止するべきだが、おそらくそれだけではすまず) この民間の資金を公共部門に吸い上げる、つまり税金の総額をふやすという意味での増税が順当な政策だろう。

そのためには税率の意味での増税が必要かどうかは自明ではない。しかし、税率を下げるほうが経済活動が活発になってむしろ国の財政にとっては増収になるという理屈は「希望的観測」にすぎない。そういうことが起こるかもしれないが、必ず起こるという保証はない。日本のたいていの場所で、1日ごと雨の降る確率を年平均すると50%未満だと思うが、だからと言って「毎日歩いて通勤するのに傘を持つのはむだだ」と言えるだろうか? 赤字を避けたいのならば確実に増収になる手が必要だ。政策的に奨励したい民間の活動について選択的に税率を下げるのは別の問題で、政策論として支出のほうにあわせて考えたほうがよいだろう。

消費税は所得がない人も払わなければならない「逆進的」な税だから、その増税は避けるべきだという議論がある。負担能力の高い人から多くとるべきだというわけだ。それに従えば、所得税法人税、あるいは財産にかかる相続税などの税率を上げるべきだということになると思う。ただしこちらは、税の根拠となる情報の把握の確実性という問題がある。非常に富んだ人は、その富の一部を富を隠すことに投資できる。結果として、小さな富をもった人への増税になりそうだ。

法人税率が高いと企業が外国に出ていくから、法人税率は下げなければならないのだ、という理屈を聞く。雇われ経営者としては、経済主体としての企業の経済合理性による判断をしなければならないのだろう。しかし、株主が日本の人ならば、株主に対して、日本国内の雇用も考えるように求めることはできないだろうか。株主も法人ならば順次さかのぼって到達した個人株主に向けてだ。株主は、それにはいろいろなさしつかえがある、と言うにちがいない。国民全体の立場からみて、その理屈がもっともだと思われる件については、さしつかえをなくすような政策措置をしていくべきだ。株主の利害を反映している件に関しては、それをよく知って「アメとムチ」型の税制をくふうすることによって、税収を確保することができるのではないだろうか。

消費税の税率を上げるかどうかの判断は日本の税のしくみ全体の見なおしの中でするべきだと思う。しかし現実的には、ひとまず比較的小規模な消費税税率上げを決めたうえで、つじつまのあった制度改革案を複数の主体にそれぞれ作ってもらい、そのどれを選択するかを争点にして国政選挙をしたほうがよいのかもしれない。