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「ぼくらの町は川っぷち」「ぼくらの空は四角くて」

作曲家の林 光 (はやし ひかる)さんが亡くなったそうだ。直接知っている人ではないので、亡くなったこと自体に感慨があるわけではないが、このかたの作品をめぐるわたし個人の思いを書きとめておきたい。

わたしが林さんの名まえを知っているのは、小学生のとき印象に残った歌について、中学生か高校生のころ作者を調べたからだ。「ぼくらの町は川っぷち」と、「ぼくらの空は四角くて」。どちらも峯 陽 (みね よう)さんの作詞。

ぼくらの空は四角くて」はまちがいなくNHKテレビの「みんなのうた」で聞いたのだ。東京のたぶん新宿の高層ビル街の風景を見せながら、少年少女合唱団の歌が放送されていた。「みんなのうた」は50周年でNHKのウェブサイト(http://www.nhk.or.jp/minna/ )の情報が過去にさかのぼって整備されている。「ぼくらの空は四角くて」が放送されたのは1968年で、西六郷少年少女合唱団が歌っていた。

ぼくらの町は川っぷち」はそれよりも前だった。NHKの「みんなのうた」のウェブサイトの情報によれば、1964年と1966年の2つの番組が作られている。わたしの記憶にあるのは合唱だから、1966年版か、別の番組「歌のメリーゴーラウンド」で聞いたものだろう。のちに西六郷少年少女合唱団のテーマソングとなった歌だが、1966年版は大阪放送児童合唱団が歌っていた。映像は川のある工業地帯の風景だったという記憶があるのだが、阪神工業地帯だったのだろうか。

そのころ、わたしは川ぞいの工場の社宅に住んでいた。ただし、工場に煙突はあったものの、「えんとつだらけの町」ではなかった。町の大きさのわりに工場の数は少なく、むしろ農村が残っていたのだ。だから、歌の情景と自分のまわりの現実は同じではなかったけれども、なんとか、自分のいる状況を歌ったものだとみなすことができた。ただし、これはわたしの個人的思いだった。学校ではこの歌は話題になっていなかったと思う。まだテレビのない家も多かったし、テレビでは民放(1局だけだったはずだが)ばかり見てNHKを見ない家も多かった。

しかし、社宅こども会で見た映画の中に、小学校の合唱団が出てきたものがあったという記憶がある。こども会のせわ役をしていただれかの親が選んだものにちがいない。話の筋は理解できなかったが、団員のひとりが家族の事情で別の土地に移ったが、結局もどってきたという設定だったと思う。その中で「ぼくらの町は川っぷち」が歌われていたと思うのだが、記憶があまり確かでない。いま検索してみると「ぼくらの町は川っぷち」という映画があるが、これは西六郷少年少女合唱団の指導者の鎌田典三郎さんの晩年につくられた記録映画なので、明らかに別のものだ。

ぼくらの空は四角くて」の新宿のビル街は、工場がある農村地帯に住んでいたわたしにとって別世界だった。しかし、同じ日本の中にそういう場所もできているのだという、いわば社会科の勉強にはなった。「スモッグなんかに負けないぞ」というところは(スモッグには有毒物質が含まれているという知識はあったから)必ずしも共感できなかったが、ではどう変えればよいかはわからなかった。

そして、わたしは小学校の合唱部員になった。市町村の大会には出るが、そこで賞をもらうほどではないレベルのものだったが。どんな歌でも合唱すればそれなりに楽しいのだが、自分から歌いたくなる歌はそれほど多くない。小さい小学校だったので、音楽の先生が代わると合唱部は器楽部に変わって、わたしは太鼓をたたいたり、アコーディオン(鍵盤ハーモニカだったかもしれない)をひいたりした。中学・高校では、音楽の授業の時間と校内合唱大会では歌ったけれども、そのほかで歌をうたうことは少なくなってしまった。

[林さんと関係ない話だがあとの話題の前おきとして書く。] 高校の音楽の授業で自由課題の時間があった。わたしは歌の作曲を試みた。「日本抒情詩集」という本を買って百ぐらいの詩に目をとおしたら、歌いたくなる詩がひとつ(だけ)あった。新川和江さんの「わたしを束ねないで」だった。同じ形がくりかえされているのだが拍数が違うことに対応するように、わたしなりに苦心してメロディーをつけた。ハーモニーもつけようとしたのだが、できあがったとは言えない。音とりに使った楽器はピアノなのだが、ギターを使う場合のようなコード進行で考えた。

1987年 (年代は林さんのウェブサイトhttp://homepage2.nifty.com/hayashi_hikaru/ で作品の年代として確認したのだが)、たしか憲法記念日の行事として、林さんと外山雄三さんの新作「五月の歌」の演奏会があるというので聞きにいった。こういう音楽活動はいいことだと思ったが、残念ながら音楽は印象に残らなかった。ただしこの場合、わたしには特殊事情がある。わたしの無意識にはわたしの「わたしを束ねないで」があったので、林さんの「わたしを束ねないで」を受け入れることができなかったのだ。

その後も、楽譜やCDの店で林さんの作品を見ると気にとめるようにしていて、たまにはCDを買って聞くこともあるのだが、(いわゆる現代音楽の多くに共通することだが)わたしにはむずかしすぎる。Wikipediaの「林光」のページにあげられている代表作品リストを見ても、知らないものが多いが、クラシック系のもので知っているかぎりのものはどれもわたしにはむずかしい。しかし林さんは映画音楽や放送音楽も書いている。NHKのドラマ「国盗り物語」のテーマ音楽は覚えている。これは林さんの作品だったのか。もっと驚いたのは、NHK教育テレビ(1965-1980年)の「みんなの科学」のテーマ音楽が林さんによるものだったことだ。(わたしの記憶は他の番組のテーマと混同している可能性もあるが) 短い曲で、器楽だから明示されたメッセージを含んではいないのだが、ノンフィクションの話が始まる前の導入にふさわしい曲だったと思う。