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日本気象学会は情報を隠そうとしたわけではない、少なくとも一会員の実感としては。

東日本大震災に伴う原子力発電所事故からの放射性物質の広がりに関して、日本気象学会(http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj/)の理事長が3月18日に会員向けに出したメッセージ [PDF](ウェブサイトに置かれたのは21日) 【および、4月11日に出された追加メッセージ [PDF](12日の訂正がある)】が、いろいろな文脈で話題になる。「気象学会はトップが会員に情報隠蔽を指示し、会員はそれに従った」といったふうに伝わることが多いようだ。それは会員のひとりであるわたしの受けとめかたとはだいぶ違う。

わたしは気象学会を代表する立場になく、また、当時学会を代表する人がどう考えて発言したか、他の会員がそれぞれどう考えたかを、積極的に調査しているわけでもない。身近な同業者ともそれほど密接に議論したわけではない。書くことができるのは、インターネットやマスメディアのたまたま目にふれた部分の情報をもとに、わたし個人が主観的に考えたことである。

まず、理事長メッセージは、放射性物質の拡散についての予測という性格をもった情報を出すことを抑制しているものだ。観測値については、予測のためには観測データを使用する必要があるという文脈でふれられているだけだ。会員のひとりであるわたしの印象としては、会員に対して観測値の発表を抑制せよと理事長が言っているとは思われなかった。【そしてこのメッセージは明らかに災害の非常時についてのものだった。気象学会がその後、平常時はこうしようというメッセージを出さなかったのでわかりにくくなってしまったが。】

理事長メッセージ以前に、外国の機関によるシミュレーションの結果がいくつかインターネット上で伝えられていた。放射性物質の放出量に関する信頼できる情報はなかったので、それぞれ任意に放出量を仮定してシミュレーションした結果だったが、専門知識のない人の間で何段階も伝わるうちに、実際に各地に届く量の予測値であるように解釈されていることがあった。また、数量を色分けして示す地図の色の意味がわからなくなっており、実際は微量なのに危険なレベルであるように解釈されていることがあった。このような状況を見て、気象シミュレーションを行なう能力のある研究者たちが、情報をいったん発信するとまちがって伝わることを防ぐのはむずかしいという危機感をもち、非常に慎重にしなければいけないと考えていた。わたしは、これが理事長メッセージの主要な動機だと思う。

理事長メッセージでは、「信頼できる単一の情報を提供し」と言っているが、それは「防災対策の基本は」に続くものだ。【行政に対する科学者の助言が「ひとつの声」になるべきだという議論を意識したものではないと思う。その後も、わたしの知るかぎり、放射性物質の拡散に関して気象学会としての見解をまとめて行政に提示しようという動きはなかった。】 気象に関する限り、防災情報は気象庁に一元化することになっている。情報の混乱を防ぐということのほかに、情報を利用したことによる損害の責任をとると言える責任主体は政府しかないということがある。理事長メッセージはそれからの類推で、原子力防災に関しては「文部科学省等」が整備している予測情報に基づくべきだとしたのだ。

防災情報一元化を強調する態度の背景には気象学会という人間集団の特殊性があるかもしれない。気象学会に属する研究者のほとんどにとって気象庁の業務(少なくとも気象観測とそのデータの整理)は不可欠の存在なので、気象学会にとって気象庁の重みは大きい。気象学会の意志として気象庁に正面からさからうことはむずかしいだろう。また、気象学会の事務局が気象庁内にあることは事実だ。しかし、それなどを根拠に気象学会は気象庁に従属している(気象庁の外郭団体にすぎない)と見るのは、(1960年代以前ならばともかく現状に対しては)適切ではない。気象学会はどちらかといえばアカデミックな学会であり、基礎研究の部分は、大学の教員および気象庁の一部ではあるが研究が本務である気象研究所の研究職員、その他の独立行政法人(たとえば防災科学技術研究所海洋研究開発機構、国立環境研究所)の研究職員などが主導している。応用技術的な部分もあり、その内では気象庁職員が業務でやっている仕事を紹介することも多い。その位置は、たとえば固体物理系の学会であれば半導体メーカーなどの企業に属する会員に相当するところだと思う。

実際、気象に関する限り、研究者が予測情報を出す必要はなかった。気象庁の観測・予報・通報機能は、津波によっていくつかの観測点がこわれたものの、基本的にそこなわれていなかった。

しかし、気象庁がしている放射能に関する業務はわずかだった。1954年のビキニ水爆の放射性物質の大気・海洋への広がりを世界に示した気象研究所地球化学研究部の放射能研究のチームは、最小限まで切り詰められていた。(研究所のあるつくば市での観測はしていたし、研究者は福島の調査でも活躍しているが。) また、気象庁本庁の国際協力業務の内で「環境緊急対応地区特別気象センター」としてIAEAの要請により全世界規模の輸送シミュレーションをしたが、これは空間分解能があらいので地方内の議論には使えず、しかも実際の放出量ではなく単位量放出(例、72時間で1ベクレル)を仮定したものだ。

理事長が「文部科学省等」と言ったとき想定していたのは、原子力安全技術センター(http://www.nustec.or.jp/)が担当しているSPEEDI[文部科学省の「環境防災Nネット」のサイトのページ]のシミュレーションだったにちがいない。気象学会員の多くはこれの結果が公開されることを期待していた。行政に働きかけた人もいたと聞いている(ただしだれがどこにどう言ったのかをわたしは確認していない)。

しかし、シミュレーション結果の公開は気象学会員の想像以上に遅れ、文部科学省から1例が報道発表されたのが3月24日、単位量放出を含む多数の図がオンライン公開されたのは(わたしの知る限り) 4月25日だった[文部科学省のサイトの中のページ]。遅れたおもな理由は次の2つだと思う。

1. もともとSPEEDIは行政機関に情報を提供することを想定しており、一般向け公開を想定していなかった。【地方自治体への情報提供についても、批判的報道によれば、図をファックスで送りつけるだけで説明がなかったそうで、あと知恵で考えれば態勢が整っていなかったのだが。】

2. 放出量は発電所付近のモニター観測(これもSPEEDI事業の一部)から求めることを想定していたが、今回の事故ではその観測あるいは通報が止まってしまい、他の観測で代用する用意ができていなかった。放出量を任意に仮定したシミュレーションをすることしかできず、おもに、単位量(具体的には1時間あたり1ベクレル)の放出量を仮定した計算を行なった。【多数の単位量排出のシミュレーション結果と広域の降下物モニターの結果をつきあわせることによって、いちおう根拠のある放出量推定値にもとづくシミュレーション結果が出て、1例が報道に公開されたのが3月24日だった。】このほかに行政の要請によっていくつかの仮想放出シナリオによる計算もされた[原子力安全保安院のサイトの中のページ]

あと知恵で考えると、行政も、気象学会員も、現実と違った放出量を仮定したシミュレーションの結果が伝わることに対して臆病になりすぎていたかもしれない。確かに数量の規模だけは現実的な仮想シナリオによるシミュレーションは誤解を招きやすい。しかし、単位量放出は、ある程度の数量感覚のある人にしか理解できないのだが、ある程度の数量感覚のある人ならばじゅうぶん説明すれば理解できたと思う。SPEEDIの当事者は忙しすぎたが、気象学会員のうちには、単位量放出を仮定した輸送シミュレーションについて、解説を書いたり質問に答えたりする能力と時間のある人がいたはずだ。しかしそういう人がSPEEDIとは何かを理解したのはマスメディアが結果の一部を報道してからだった。SPEEDIを知っている学会員が、一方で学会員有志に基本的情報を伝えて解説を用意してもらい、他方でもっと強く行政に結果の公開を求めればよかったのかもしれない。

科学コミュニケーションの問題として考えてみて、次のことに気づいた。気象コミュニティは、気象予報士という制度を持っている。これはまさに科学コミュニケーター制度なのだが、気象庁の予報を解説することに特化した制度だ。それで、その範囲の外にある放射能の問題については動けなかった。個人として動いた予報士のかたはおられたと思うが、気象学者の側から、たとえば単位量放出の解説を予報士という集団にまかせられるという期待はできなかった。

ものごとは学問の専門分科の境界などかまわずに起こる。世の中には、専門分科にまたがったものごとを論じられる人がもっと必要だ。わたしの(2009年秋以来の)持論になってしまうが、人は複数の分野の専門家になることはなかなかできないが、複数の分野の専門用語体系を使える能力をもつ人(Collins and Evans [読書ノート]のいうinteractional expert、わたしの表現では「通門家」)になることはそれほどむずかしくないはずだ。今の社会は、たとえば気象学を理解するが「気象むら」の利害をともにしない人を必要としている。