IPCC第4次評価報告書 (AR4, リンク先はWikipedia日本語版)について、2009年末以来、いくつかのまちがいが報道された。そのうちには、確かにまちがいだったもの(下の箇条書きの1, 2。5もそうらしいが未確認) もあるし、不適切な点はあったがまちがいとまでは言えないものがある。わたしはあちこちに覚え書きを書いてきたが、まとめる努力をしてみる。このページは今後もう少し整理する予定。
なお、このまちがいの指摘をきっかけとして、IPCCの仕事のしかたを見なおすことになり、InterAcademy Councilによるレビューが行なわれている。(http://reviewipcc.interacademycouncil.net というウェブサイトがある。このブログでは3月11日、5月5日の記事で紹介したが、その後の議論は必ずしも追いかけていない。)
まちがいとして指摘された主要な点はいずれもIPCCの第2作業部会(気候変化の影響および適応策)の報告書であり、そのうちでも地域別の章に関するものが多かった。そこで、オランダ国立環境評価機関(PBL)が2010年7月にIPCC AR4の第2部会の地域別の部を評価した報告をまとめた(報道発表, 要点, 報告書PDF報告書PDF)。これに対するIPCC AR4の第2部会の巻の著者たちの応答はhttp://www.ipccar4wg2authors.org にある。
自然科学に比べて社会への影響は客観的な科学になりにくく、さらに地域別の章は各分野の専門家が必ずしもそろっていないので、まちがいのない報告をすることはなかなかむずかしいだろうと思う。
IPCC報告書は「原則として」査読済みの学術論文に基づいている。この原則に対する例外も少なくないことを忘れていた第1部会関係者による説明が、第2部会関係者を苦しめてしまったようだ。査読済み論文でない文献を使う際のIPCCのルールについては、1月25日の記事への1月27日補足で紹介した。
- ヒマラヤの氷河の将来見通し。第2部会報告書のアジアの章(第10章)。1月25日の記事、2月10日の記事参照。これは確かに重大なまちがいであり、手続き上も、査読済み論文でない参考文献(WWFの出版物)について編著者間で検討がじゅうぶんされていなかった。ただし、世界の氷河の将来見通しについてのIPCCの記述はこの部分に依存していない。
- 報道の例としては BBCのウェブサイトの2009年12月5日の記事 (New Delhi TVのPallava Baglaによる)をあげておきたい。なお、イギリスのSunday TimesにはJonathan LeakeとChris Hastingsの2010年1月17日の記事がある。これがLeakeによる一連のIPCC批判記事の最初のようだ。
- また、これに多少関連して、あまり報道はされなかったが、氷河のとけ水を水資源として依存する人口に関するまちがいあるいは不適切な記述の問題がある。1月28日の記事 (コメントも)参照。
- オランダの海面下の面積比。第2部会報告書のヨーロッパの章(第11章)。これは単純なまちがい。将来見通しではなく現状に関する数値。海面下の面積は国土面積の26%が正しかったのだが、洪水の被害を受けやすい(vulnerable)面積を含めた55%という数値をのせていた。これはオランダの国立環境評価機関(PBL)が作った資料にあったまちがいを引き継いだものだった。(気候変動・千夜一話の4月15日の記事参照。) PBLによる説明参照。
- アマゾンの森林の乾燥に対する脆弱性(vulnerability)。第2部会報告書のラテンアメリカの章(第12章)。査読済み論文ではない文献(Rowell and Moore 2000, WWFとIUCNの出版物)が使われており、それが適切かが問題になった。専門家、少なくともDaniel NepstadとSimon Lewisによれば、この文献の選択は最適ではないが、それを裏づける査読済み研究論文は存在するので、報告書の論旨を変える必要はないとされている。気候変動・千夜一話の4月15日の記事参照。
- この件をスキャンダルとして報道したSunday TimesのJonathan Leakeの署名入り記事(1月31日)については、発言を不正確に引用されたSimon Lewisが報道苦情委員会に訴えた結果、Sunday Timesが記事を取り下げるに至った(6月20日, ブログRealClimateの記事参照)。なお、1月31日の記事はLeakeがLewisに確認をとったあと書きかえられており、書きかえたのはLeakeとは別の編集者だという説もある。記事にはRichard Northという政治評論家(ブロガー)の調査を参考にしたことが述べられており、この人が論調に影響を及ぼしたことは確からしい。
- この件では2010年に新しく出た論文をめぐってさらに議論があり、3月13日の記事でふれた。
- アフリカの農業の脆弱性。第2部会報告書のアフリカの章(第9章)。査読済み論文ではない文献(Agoumi 2003)に基づく議論が適切かが問題になった。この文献は3つの国(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)を扱っている。その一部の国で2020年までに最大(up to) 50%の収量減がありうる、という記述があるのだが、「一部の」や「最大」が省略されてアフリカ全体の見通しであるかのように伝わり、それでは明らかに過大評価だとして問題になったらしい。ただし、要約には「いくつかの国で(in some countries)」、本文では「その他の国で(in other countries)」と書いてあるだけで国名も検討された国の数も書かれていないのは省略しすぎではないかとわたしは感じる。(気候変動・千夜一話の4月15日の記事のコメント3, 5、5月4日の記事参照。)
- この件もSunday TimesのJonathan Leakeの記事(2月7日)で広まった。それに基づいてドイツの新聞Frankfurt Rundschauが2月8日にのせた記事はのちに取り下げられた。(4月26日, Stefan Rahmstorfのブログ記事による。)
- アフリカの漁業への気候変化の影響。第2部会報告書のアフリカの章(第9章)。上に述べたオランダPBLの2010年7月の報告によれば、9.4.4節の「極端な風と乱気流が生産性を50%から60%減少させうる」(国立環境研究所訳)となっているところは、「極端な風と乱気流が50%から60%減少する見通しである」とすべきだったそうだ。
- 気象災害被害額の件。第2部会報告書の総論の章(第1章)。どういう議論があったかわたしはよく理解していないが、IPCCは、2010年1月25日に出した文書(環境省による日本語訳と原文PDF)で、Sunday TimesのJonathan Leakeによる記事(1月24日)の批判は不当であり、報告書はまちがっていないとしている。
- ただし、第1章付録(CD-ROMディスクに収録)の図SM-1.1は不適切だという議論がある(Roger Pielke Jr.によるブログ記事)。この図は参考文献にあったものではなく参考文献のデータから報告書のために作図されたものである。これまでのデータによる災害被害金額と気温が同じ時間軸に対して示されている。両者の間の因果関係はデータからはわからない(1月26日の記事の議論参照)のだが因果関係があると誤解されやすい。この指摘はわたしはもっともだと思う。1月27日の記事への7月1日追記も参照。
「いずれも温暖化の影響を強調する方向に偏っていた」という批評がされることがある。わたしも、その可能性があるかもしれないとは思う。しかし、むしろ、温暖化の影響は小さいと言いたいジャーナリストがあらさがしをしたものが英語圏のマスメディアにとりあげられた、というサンプルの偏りにすぎないのではないかと思う。
他方、「IPCC報告書、とくにその政策決定者向け要約(SPM)は、政府代表の承認を得るため表現上の妥協をすることがあり、結果として温暖化の影響が科学者の代表的意見よりも小さめに表現されている」と考える人は少なくない。しかし彼らはそのような批判を「IPCC報告書はまちがっている」という形では述べないのがふつうである。