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いわゆるClimategate [クライメートゲート]、わたしなりの問題整理

1月29日2月22日の続き。菊池誠さんのkikulogの「地球温暖化懐疑論批判(2)」のコメントとして書いたことや、「気候変動・千夜一話」のブログのいくつかの記事、Mosher and Fuller (2010)の本の読書ノートで書いたことと重なるところもあるが、少し整理しなおしておく。このページはしばらく改訂を続ける。(複数ページに分けるかもしれない。)

イギリスのEast Anglia大学のClimatic Research Unit (CRU)の電子メール暴露をだれが実行したかはイギリスの警察が捜査中だがまだわからない。動機もわからない。

暴露されたメールの内容から、科学者の行動に不正(科学者倫理あるいは社会一般の倫理に反すること)があったという疑いがかけられたが、CRUの科学者に関しては、イギリス国会の科学技術委員会の調査報告、およびEast Anglia大学の要請による2つの調査の報告が出て、いずれも不正はなかったとしている。またペンシルバニア州立大学(PSU)でも2つの調査が行なわれ、いずれもMannには不正がなかったとしている。[2011-02-01, 2011-02-16補足: イギリス国会の委員会の報告書が2011年1月にもう1つ出た。East Anglia大学の要請による2つの調査を評価したもの。]

もちろん、どんな調査でもすべてを調べつくすことはできないので、なお疑う人はいるだろうが、とくに事件になっていない一般の研究機関に比べてよけいに疑いをもつ理由はなくなったと思う。

科学の内容について

とくに、「CRUがデータを捏造した」というのは「根も葉もない噂」と言ってよいと思う。捏造が疑われたメールなどの文言は、複数のデータ源による数値をつなげたグラフを作ったこと[注]と、研究の過程で使われる作図プログラム中に非現実的な修正をしてみる機能が(そのように明示されて)あったことを示すにすぎない。

  • [注] これは、次のWMOの報告書の表紙に使われた図のために、年輪からの復元推定結果を1960年で打ち切り、新しいところは機器観測による気温を示したことをさしている。この操作を報告書の図の説明で示さなかったことが欠点ではあるが、報告書の主題は1999年の1年間の天候の過去数十年の気候の中での位置づけであり、過去千年の気候復元推定に関する学術的議論に使われることは想定されておらず、また図の説明の紙面は限られていた。IPCC報告書の図では、第3次・第4次とも、復元推定結果と機器観測とは区別して表示されている。

そのほか、もしかすると何か方法上のまちがいがあったかもしれないが、意図的なものでなければ「捏造」と言うべきではない。もちろん、まちがった知見は修正されるべきだが、それは正常な科学の手続きで進められる。(批判者は反批判にこたえられる形で批判を示す必要がある。それは簡単なことではないが、それがむずかしいのが批判を排除する陰謀があるからだと見るのは行き過ぎた陰謀論だと思う。)

そして、もしCRUあるいはMannの研究成果がまちがっていたとしても、地球温暖化の理屈の基本はゆらがない。この点は「地球温暖化の考え方」として『化学』2010年6月号に書いた (雑誌のウェブサイト http://www.kagakudojin.co.jp/kagaku/ で読める)

地球温暖化の理屈は、エネルギー保存などの基本的物理法則と、二酸化炭素などの分子が赤外線を吸収・射出するという物理・化学的事実に基づく理論的なものであり、現実の気温が上がったことが観測される前にだいたい確立していたのだ。(二酸化炭素濃度の観測データは必要だったし、理論が構成された背景として、地質時代の気候変化の復元推定による「観測」事実がしだいに集まってきたことがあったのだが。)

20世紀後半の温暖化の検出とその主原因が人為起源の温室効果気体であることの特定は、将来の温暖化の見通しを得るために不可欠なものではないが、重要であることは確かだ。

過去1千年の気候復元推定は、この「温暖化の検出と原因特定」の傍証ではあるが、主要な部分ではない。(ただし、この問題を離れて考えれば、過去の人間がどのような気候変化を体験してきたかを知るのは気候変化研究の重要な課題にちがいない。)

温暖化の検出と原因特定の本流は、20世紀の気温変化について、理論に基づく数値シミュレーションと機器(温度計など)による観測データの総合とを比較することによっている。この観測データの総合にCRUが貢献していることは確かだ。そして、CRUによる集計は、公表時点での気候の科学の成果としては質のよいものだと評価されている。またCRUのほか、アメリカ合衆国NASA GISSとNOAA National Climatic Data Center、日本の気象庁でもそれぞれ集計が行われており、いずれの数値を使っても全球・半球平均気温などの数十年間の変化傾向に関する結論は変わらない[注]。そしてGISSやNCDCは公開された観測データだけを使った集計をしている。またGISSはデータ集計プログラムも公開しており、別の個人がプログラムの筋を追って書きなおして結果を確認した(http://clearclimatecode.org )。

  • [注] 個別の年について、1998年と2005年のどちらの全球平均気温が高いかといった比較をした場合には、どの研究者グループの集計を使ったかによって結果が違ってくる。観測点密度の低いところの気温変動をどう推定するかに違いがあるからだ。現在の科学的知見はこのような不確かさの幅を持ったものであることを承知して見ていく必要がある。

データの公開について

CRUがデータを隠したと言われたことについても、不正はなかったと認められたと思う。

情報公開法にもとづく請求に対して、CRUの研究者たちは、ある時期までは、国のお金による研究活動が行政情報公開の対象だということを認識していなかったらしいが、ある時期以後は認識している。また、Climate Auditというブログをやっているカナダ人McIntyreを中心とする人たちの2009年夏以後のCRUに対する情報請求の件数(7月・8月の間に70件...Russell報告書90ページ)は異常で、大学が拒否という結論を出したのも無理もないと思う。

科学研究について、とくに成果が政策決定に使われる場合、公開性や追跡可能性(トレーサビリティ)が望まれることは、CRUに対するそれぞれの調査報告書でも指摘されている。これは事件と関係なく以前から認識されていたことでもある。過去をとがめても実りは少なく、今後の研究の体制を組みなおしていくべきだという方向になっている。実際、CRUがやってきた世界の地上気温の総合については、今後はイギリス気象庁が中心となって国際共同事業として進めようという動きがある[追記: 8月1日の記事参照]。ウェブサイトhttp://www.surfacetemperatures.org にある趣旨説明の中に監査可能性(auditability)というキーワードも含まれている。

どのような公開性が望ましいかについて、これまでのCRUに対して批判的な多くの人が、McIntyreの主張を正論としてそのまま伝える傾向があった。しかしMcIntyreの気候の科学に関する知識は、全球・千年規模の気候復元推定と全球・百年規模の気温の集計の研究例を批判してきた経験によるものだけなので、数値モデリングや現地観測を含む気候の科学にそのまま適用できないところもある。McIntyreとは異質の有識者の考えを聞いて、実現可能な公開性の形を考えていく必要があると思う。

研究成果の数値データを公開することは今や当然と言ってよいのかもしれないが、研究材料となったデータや研究過程で使われたコンピュータプログラムを公開することは、常に要求されているわけではない。政策決定に使う科学にはとくに再現可能性が求められるので、公開を要求する場合もあってよいと思うが、それは研究を始める際の契約条件に入れておかないとうまくいかない。(プログラムやデータベースを知的財産と考える政策との兼ね合いも問題だ。気候研究の成果は、常に公共財でよいと思うが、商業財となることも期待されると無理が生じる。Oxburgh委員会の報告はこの問題点にふれている。)

また、材料となるデータには公開でないものがけっこう多いという現実がある。地球観測データのうちでは気象・気候データは比較的公開が進んでいるほうだ。天気予報などの公益的理由から、WMO (世界気象機関)の調整のもとに各国の気象庁間でデータを交換する約束があり、それに乗ったデータは(厳密にはもともと著作権の対象ではないが)パブリックドメインのものとして扱われる。(この体制が発達してきた歴史については、最近出た、Paul Edwards (2010) A Vast Machine (MIT Press)という本で解説されている。[読書ノート]。) しかし、同じ気象・気候データでも、国際的に交換すると決めたもの以外に関する扱いは国によってまったく違う。アメリカ合衆国連邦政府による観測データはすべてパブリックドメイン扱いだが(民営化されたものは別)、某国は観測データは国家機密としており外国に出すには個別に中央政府の許可を必要とする。日本政府はウェブサイトからの無料公開と外郭団体からの有料配布を含めれば大量のデータを出しているのだがドキュメントの大部分が日本語なので外国人からは閉鎖的に見えるだろう。CRUが使っていた観測データの一部はデータ提供元(おもに外国の政府機関)から再配布許可されていなかった。情報公開法を根拠に要求されても、CRUだけの判断で出せるものではなかったのだ。CRUの研究者も公開できるのが望ましいと考えて、提供もとの各国にそれぞれ再配布を許可するよう要請していた。

GISSやNCDCの結果を見ると、全球や半球の平均気温を得る目的には、公開された地点のデータだけでもじゅうぶんなようだ。それは、ほとんどすべての国が多少はデータを公開してくれているおかげだ。[2010-07-24加筆] CRUの集計のプログラムと(非公開分を除く)材料データもイギリス気象庁のウェブサイト http://www.metoffice.gov.uk/climatechange/science/monitoring/subsets.html から公開されるようになり、Ron Broberg による再現計算の報告が http://rhinohide.wordpress.com/crutemp/ にある (http://www.skepticalscience.com/Assessing-global-surface-temperature-reconstructions.html から情報を得た。)

ただし、たとえば観測点の都市化を評価するために近くの観測点と比較しようとすると、対象となった国によっては非公開のデータが必要となる。CRUのJonesを含む人々の都市の効果を評価した研究で、補助的情報を確認できないことが問題になっているものがあるが、それは対象となった国のデータポリシーのせいだ。

また、ここまで述べてきたCRUの気温データは、緯度経度5度の格子で整理されたものだが (http://www.cru.uea.ac.uk/cru/data/ でTemperatureとされているもの)、CRUはもうひとつ、緯度経度0.5度という比較的高い空間分解能の気温などの気候変数のデータセットを作っている (上記ページでHigh-resolution gridded datasetsとされているもの)。グローバルな気温変化を論じる人が「CRUデータ」と言ったら前者(現在最新のバージョンはCRUTEM3)だが、気候変化の生態系や社会への影響を論じる人(IPCCならば第2部会関係者)が「CRUデータ」と言ったらふつう後者(最新のバージョンはCRU TS 3.0)をさす。この後者のデータセット作成に、多くの国の非公開データが使われていることはおわかりいただけると思う。ここで、政策にかかわる科学には材料データを公開できるもの以外は使ってはいけないと言われたら、気候影響評価の質は下がるだろう。研究資金を出す機関や、評価報告の著者は、公開性と詳しさとのバランスを考える必要がある。

話題の伝わりかたについて

メール暴露の犯人がだれだとしても、McIntyreのブログでの議論を知っていてそこで話題になるようなメールを選んだことは確からしい。そして事件後、McIntyreやそのなかまたちがブログで書いたことが、イギリスなど英語圏のマスメディアにとりあげられて急速に広まった。

McIntyreはまじめな温暖化懐疑論者で、MannやJonesたちの研究の方法・結果がまちがっていると考え、そのまちがいをただすことに執念をもやしているらしい。また、Climategateの本 [読書ノート]を出したMosherとFullerは温暖化脅威論と温暖化懐疑論との中間に立つ「lukewarmers」 (「どっちつかず派」)なのだそうだ。彼らは科学者の暗黙の知識を共有していないので、彼らによる科学者たちのメールの解釈はわたしから見ると誤解と思われるところもある。

仮にMcIntyre、Mosher、Fullerたちの解釈を正しいとすると、「IPCCは最近の温暖化を誇張している」「それは科学者たちの政治的意図あるいは個人的欲望によるものだ」とは言えるかもしれない。しかし、彼らの解釈を認めても、「地球温暖化論は捏造だ」「IPCCは陰謀に支配されて事実に反するうそをついている」などという主張は理屈では導かれない。事件以前はそんな主張をしてもとんでもない話扱いされたことが多かったのだが、事件以後は事実かもしれないこととして報道されることが多くなってしまった。ジャーナリストやブロガーが、McIntyreたちの言うことをたねにして、理屈よりも勢いとレトリックによって話題を展開し、短いキャッチフレーズだけが恐ろしく速く伝わった。その多くは、記事の内容よりも、温暖化を疑うほうに、あるいは科学者の誠実さを疑うほうに偏っていた。見出しだけを読んでほんとうだと思った人がさらに噂を広めた。

こうなった原因の一部は報道メディア内にはいりこんだ宣伝屋による情報操作だと思う。英語圏(とくにアメリカ合衆国とカナダ)には、地球温暖化を防ぐ政策に反対する世論を形成しようとし(あるいはそういう人に雇われ)、宣伝に従事している人々がいる[注]。彼らが何を正しいと述べるかは科学ではなく政治的効果によって決まる。また一部は、メディアが内容の正しさよりも注目を集める話題性を重視してスキャンダルとして報道したのではないかと思う。さらに一部は、情報が短く縮められて伝達される過程で、意図しない偏りが生じたのだと思う。

  • [注] たとえば次の本を参照。 James Hoggan, 2009: Climate Cover-Up. Vancouver BC Canada: Greystone Books. [読書ノート]

本来の温暖化懐疑論者(あるいは自称lukewarmer)で科学の内容を自分で考える人と、温暖化否定宣伝屋や悪乗りしたジャーナリストなどとは区別するべきだろう。McIntyreの考えは宣伝屋とは違うらしい[注]。暴露されたメール中ではある科学者がMcIntyreたちを宣伝屋とみなしていたようだ。そのことにMcIntyreたちが不満をもつのもわかるが、懐疑論者の発言がすぐ宣伝屋に使われるので両者の区別はなかなかしにくい。過去のことは不幸ななりゆきとして、今後は、類推に頼らずに実際の相手の認識を確認しながら議論していくべきだろう。

  • [注] 実際、6月にシカゴでInternational Conference on Climate Change (ICCC, 気候変動に関する国際会議)という会議があったが、これはHeartland Instituteという保守系シンクタンク(むしろロビイスト団体、わたしの表現でいう「温暖化否定宣伝屋」と見てよいと思う)の主催だった。BBCのHarrabinによる報道記事 http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8694544.stm によれば、科学者を処罰するべきだという発言があると聴衆には賛同する人が多かったが、McIntyreは科学者にはまちがいを認めてほしいが処罰されるべきだとは思わないと言ったそうだ。

また、スキャンダルの否定の報道がスキャンダルの報道ほどはやらないのはメディアの必然かもしれないが、CRUの研究者やMannが不正をしていないという報告が出ても、報道では軽く扱われ、評論では「評価委員も一味だ、疑惑は消えない」といった(わたしから見れば極端な)ものがあいかわらず目立っている。目立たないが、事件以来の報道態度を反省あるいは(内部)批判したものもあるので[注]、その続きに注目したい。