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規制科学(regulatory science), diplomatory science

5月末にかぜをひいてしまい、出勤を休むほどではなかったものの1か月ほど体調がすぐれず、仕事がとどこおってしまった。

ブログで積極的に発言するほどの元気がまだないが、前に言いたりなかったことの補足くらいはしておきたい。

まず科学技術社会論的な話題について、わたしはまだよく理解できていないが、なんとなく重要と感じていることがらについて覚え書きをしておく。

規制科学 (regulatory science)

ひとつ前の5月20日の記事でふれたSheila Jasanoff氏は、政策決定にかかわる科学のありかたとして、規制科学(regulatory science)というものを提唱し、それがアカデミック科学とは価値基準が違ってくることを論じている。

規制科学に関してわたしがこれまでに読んだのは次の論文だ。

  • 中島 貴子, 2002: 論争する科学。『科学論の現在』 (金森 修, 中島 秀人 編, 勁草書房), 183 - 201.

そこでは、Jasanoff氏と、内山充氏の考えに関する議論があるのだが、正直なところ、わたしにはあまりよく理解できなかった。

それで、Jasanoff氏の主著と言われる次の本を読み始めた。まだいつ読み終えるかはわからない。[2011-03-13追記: ひととおり読んだ(FDA関係のところをいくらか読みとばしたが)。覚え書きを http://macroscope.world.coocan.jp/yukukawa/?p=787 に書いた。]

  • Sheila Jasanoff, 1990: Fifth Branch: Scientific Advisors as Policymakers. Harvard University Press.

この本のおもな対象は、1970-1980年代のUSAのEPA (環境保護庁) およびFDA (食品医薬品庁)による人工化学物質に関する規制だ。
第1章には、technocracy 対 democracy という問題のたてかたが紹介されている。科学技術的問題は専門家の判断によるべきか、民主的な政治手続きによるべきか、という対立があるのだ。著者はどちらの極端でもなく、科学者の果たすべき役割があると考えているようだ。
ところで化学物質規制の場合、規制反対論者が規制は科学的判断に基づくべきだというtechnocracyの議論をし、規制推進論者が、製造者と結びつきやすい専門科学者だけでなく他の利害関係者もかかわるべきだというdemocracyの議論をする傾向があったのだそうだ。
温暖化問題をCO2排出規制ととらえてみると、今は規制推進論者が専門科学者の判断を重視し、規制反対論者が科学をもっと民主化する必要があると言っているようで、状況が逆転してしまっているような気もする。多くの人工化学物質の生産者が少数の特殊な集団であるのに対して、CO2の生産者は社会全体と言ってもよいという事情の違いはもちろんあるのだが。

Diplomatory science

それから、4月30日の学術会議のシンポジウムで米本昌平氏がふれていた diplomatory scienceという考えかたがある。米本氏自身もかかわっているが、石井敦氏(今の所属は東北大学、ウェブサイトは http://www2s.biglobe.ne.jp/~stars/profile-page.htm ) を第1著者とした論文で主張されている考えかただ。Regulatory scienceが一国の行政を支えるものであるのに対して、国際交渉をささえる科学ということらしい。事例としてはヨーロッパの酸性雨原因物質の規制があげられ、根拠となる情報の共有・透明性が重要だという指摘があった。