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気候の科学の説明責任 -- Jasanoff氏の評論をめぐって

日本学術会議主催のIPCCのシンポジウムで米本昌平さんが指摘していたように(5月2日の記事参照)、気候研究に対する社会科学的検討が必要と思う。わたしは研究対象となる立場なので自分から議論をするのはむずかしいが、重要と思われる議論を見つけたときに紹介することはしていきたい。

ドイツの気候科学者Hans von Storchさんがその同僚とともにやっているブログKlimazwiebelで知ったのだが、アメリカの科学政策学者Sheila Jasanoff (シーラ・ジャサノフ)さんがScience (Vol. 328, p. 695-696)に評論「Testing Time for Climate Science」を書いている。East Anglia大学Climatic Research Unit (CRU)の科学者の態度に関して、イギリスの国会の委員会の報告「The disclosure of climate data from the Climatic Research Unit at the University of East Anglia」が「個別の科学者の行動に不正にあたることはなかったが、科学を行なう組織全体がもっと公開性を高めなければいけない」と言っていることの両方に賛成し、そこから議論を展開している。

科学者の行動規範としてはintegrity (日本語にしにくいが「誠実さ」がいちばん近いだろうか)が重要だが、政策決定に使われる科学ではaccountability (説明責任)のほうが重要になる、ということだ。しかし、科学者の組織がどうすれば説明責任を果たしたことになるのかはよくわからない。これは原理的に明確なものではなく、これから科学者と国民(納税者)の立場の人との間で合意を得ていく必要があるのだと思う。

Jasanoff氏はイギリス国会の委員会の報告の結論をそのまま引き継いで、気候にかかわる研究ではその材料のデータを全部公開しなければいけないと言っているようだ。これは方向としてはもっともなのだが、きびしい条件として課せられると研究が止まってしまいかねない。科学政策専門家に気候データに関する状況を理解していただく必要がある。幸い、Paul N. Edwards氏のA Vast Machine [読書ノート]という本が出たので(アメリカ以外の事例が少ないという問題が残るが)、だいぶわかりやすくなったと思う。

気候研究に使われるデータは外国の政府機関がとったものが多く、提供もとが再配布を制限していることが多い。(政府のとったデータは全部公開という原則をもつアメリカ合衆国が例外だ。ほかの国もデータを公開しているが全部ではない。アメリカでも民営化された事業は別だ。法的問題に関してはたとえば Renée Marlin-Bennett氏のKnowledge Power [読書ノート]の第6章参照。) 提供もとの各国の機関の方針を決めている政治的主体に働きかける必要がある。気候の科学の公開性を高めることを要求するかたには、各国の政治家に対して、データを公開して世界の共同利益に貢献するように働きかけることをお願いしたい。

また、公開可能なデータの多くは、すでにデータの提供を業務とするデータセンターと呼ばれる機関から公開されている。データの提供を業務としない研究者が材料としたデータを請求された場合、データセンターから取得してほしいという形での回答が順当であることを認めてほしい。

ところで、少し検索してみると、Jasanoff氏による「Climate Science: The World Is Its Jury」(PDF)という評論が見つかった。Transparency International (http://www.transparency.org )という団体のGlobal Corruption Reportという年刊の本の2010年版特集の原稿らしい。New York Times (NYT)のサイトにあったのは、NYTのブログに2010年3月3日に出たJohn M. Broder氏の「The Credibility of Climate Science, Cont.」、さらに同じ人によるNYT本体の記事「Scientists Taking Steps to Defend Work on Climate」の関連だと思われるが、直接のリンクは見あたらなかった。

議論の内容はScienceの評論と重なるが、Scienceのほうでは軽く扱われているCRUの科学者の行動への評価の部分がやや詳しい。CRUの科学者の行動について、"corruption" (政治家の汚職に似た意味での不正)であるかのような噂が広まっているが、実際の内容を見ると、不正はなくcorruptionにはあたらない、と言っている。昨年暮れ以来の温暖化懐疑論の流行を、人類生存に重要な意思決定を遅らせるものとして否定的にとらえている。

そのうえで、今後の科学者にはきびしい要求をする。科学が信頼できる知識を提供しているかどうかの判断は、従来は科学者集団内部の評価でよかったが、社会に影響を与える課題では社会の側からのかかわりが必要だ。国内政治にはいくつかのしくみがすでにあるが、世界規模のしくみはこれから作っていかなければならない。そして科学者集団はそのしくみのもとで信頼される評価を得なければならない、と言っている。