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「成長の限界」問題の一環としての地球温暖化

産業革命以来の人類は、化石燃料を利用できることを前提に、エネルギーと物質の流れを拡大しながら文明を発達させてきた。しかし、それには限界があることは明らかだ。太陽から来て宇宙空間に出ていくエネルギーの流れは人間にとって事実上無限ではあるけれども、一定面積に一定時間内に届く量には限りがあり、しかもそれの利用方法として植物による光合成よりも高い効率のものを大きな地表面積に広げることはむずかしい。エネルギー資源さえあれば物質を完全リサイクルすることは原理的には可能なはずだが、現実には自然の水循環と生態系の浄化能力に頼ることが多く、その能力の限界に制約される。持続可能性を前提とすれば、地球環境問題と言っても、資源制約と言っても、結局同じことになるのではないだろうか。

この限界は、1970年代にはすでに認識されていた。なぜその時点で人間社会はその対策を政策の重点にしなかったのか。冷戦体制で熱い核戦争の可能性が最大の脅威だったこと、さらに、対立する共産主義圏と資本主義圏の両方とも工業生産力の拡大や「自然を征服すること」をよいことととらえる価値観が支配していたことがあげられると思う。また(今の科学でもわからないことはあるが)当時の科学の知識がまだ乏しくて、環境に関する政策を強力に進めようとしても根拠が弱かった。その反面、(当時の)将来の科学技術はいくらでも発展するという信仰のようなものがあり、化石燃料が枯渇するまでには新たなエネルギー資源の利用技術が確立されるだろうという期待が世論を支配していたと思う。

地球環境問題のうちで、大気に関するものが最初に明確に認識されるようになったのは偶然ではない。土壌の汚染や生態系の破壊はどちらかといえばローカルな問題だが、大気の変化は明らかに原因と違った地域に影響が及ぶグローバルな問題なのだ。そして、科学の発達の側の事情としても、大気は生態系よりも物理・化学の法則に従った因果関係の理解がしやすく、また地中の対象よりも観測によって確認しやすい。大気に関するもののうちでは、まず、グローバルとは言いがたいが大陸規模で実際に被害が出ている酸性雨、ついで、被害は確認されていないものの予想外に速い変化が見られた成層圏オゾン減損について対策が進んだ。気候変化の件が対策段階に進むのが相対的に遅れたのは、変化が有害かどうかの判断が簡単でなかったこともあるが、オゾン破壊の防止には産業界全体から見れば少量の特殊な製品を別のものに変えればすみ、酸性雨の防止には燃料燃焼の際に少量生じる副産物を回収すればすむのに対して、温暖化の防止には燃料燃焼の際に生じる主要な物質を減らすか回収する必要があるというむずかしさによる。

酸性雨やオゾン破壊の防止は産業革命以来の路線の中の技術革新でよかったが、温暖化防止は「成長の限界」に適応した路線への転換をせまるものなのだ。経済が成長してもエネルギーや物質の流れが増加しないようにするか、または経済が成長しなくても人々が不幸にならないようにしなければならない。経済成長が当然であった時代の政策や経営方針を転換しなければならないのだ。しかし新時代の政策や経営方針はまだ手本がなく、新たに作っていかなければならない。

最近、温暖化の科学的見通しがかなり確かになってきたところで、かえって温暖化懐疑論が流行している。それには短期的なきっかけもあるが、底流というべき事情があると思う。そのひとつは、この転換のつらさを認めがたく、それを正当化するために、成長の限界の根拠とされる科学的知見を疑う、という態度をとる人がいることだろう。

他方、温暖化を具体例として成長の限界を認識した人が、限界のもたらす困難をすべて温暖化の影響であるかのように思ってしまったり、自分ではそう思わなくても聞き手にそう思われるようなことを述べてしまったりすることがある。そのような議論は温暖化のインパクトを誇張した温暖化脅威論になりがちだ。ところが、そのような温暖化脅威論と、科学的見通しに基づいて温暖化問題の重要性を指摘する議論との区別は、これまで必ずしも意識されてこなかった。そこで、脅威論への正当な批判であるべきものが、科学的見通しへの疑いとして述べられることがあるようだ。これが温暖化懐疑論の流行の第2の底流となっていると思う。

次のようにとらえていくべきだと思う。

  • 成長の限界という大きな問題があり、温暖化はその全体ではないが無視できない部分である、ということを共通理解にしていく必要があると思う。
  • とくに生態系・生物多様性の保全は人間社会の持続にとって必要なことだと思うが、それは温暖化問題の内側におさまる問題ではない。(温暖化とからみあうところはある。)
  • 温暖化に関しては、科学はある不確かさの幅の範囲で将来見通しを述べることができる。人間社会は、温暖化を軽減するとともに、温暖化と自然変動を含む気候変動への適応幅を広げていく必要がある。これは非常体制ではなく通常体制の目標設定を変えることで対応するべきだ。
  • その幅を越えた変化もありえないとは言えず、適応幅をさらに広げることが望ましいが、それを政策の中核とすることには支持を得がたい。こちらは、非常体制として対応するのが適当だろう。