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タイガー計算キ

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたか、かならずしも明示しません。】
【この記事は個人的おぼえがきです。】

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2023年 12月 16日 (土曜)、東京農工大学 科学博物館 で、「タイガー計算キ展」 ([別記事] 参照) の「ギャラリー トーク」として、計算についての科学技術史を計算している 前山 和喜 [かずき] さんと、この博物館の学芸員の 上田 裕尋 さんによる解説を聞いた。

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タイガー計算キは、十進法のディジタルの計算をする器具だ。レバーで十進法の各けたの数字をセットして、ハンドルをまわすと、右下に表示された数にレバーで指定した数がたしこまれる。逆にまわすとひきざんになる。かけざんはたしざんを、わりざんはひきざんを、くりかえすことによってできる。まわした回数 (けたごとの重みをつけた合計) は左下に表示される。また、わりざんでは、右下の値が 0 をこえたらベルが鳴るようにしてあるので、1 回もどせば、左下に商、右下に あまり が得られる。まわした回数をおぼえている必要はない。

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西村 恕彦 (ひろひこ) 先生の名まえは、日本語で最初の Fortran 77 の教科書の著者として知っていた。わたしは 1980年から Fortran 77 標準準拠のコンパイラをつかいはじめたのだが、それにあう教科書がほかになかったのだ。もっとも、わたしが必要な情報はだいたい計算機センターのマニュアル類でたりたから、実際に西村先生の本で勉強することにはならなかったのだけれど。

  • 西村 恕彦, 1978: 人文科学の FORTRAN 77。東京大学出版会。

農工大にタイガー計算キがたくさんあるのは、西村先生の主導で、計算機の原理を理解するための実習教材としてあつめられたものだそうだ。これと同じ原理で二進法の計算をしてみせるパネルもつくられ、今回展示されていた。

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わたしは、およそ1970年ごろ (ほんとうにこの年ならば中学1年)、この種類の計算器にふれたことがあった。工場の技術者をしていた父が、工場でいらなくなったものを家に持ちかえってきたのだ。わたしは、父から簡単な説明をきいて、あそびながら、動作のしくみをだいたい理解したのだが、実用につかうことはなかった。まだ家に「電卓」はなかったのだが、筆算でじゅうぶんと思ったようだ。

色がグレーだったことはおぼえているが、ブランド名や型番をおぼえたり記録したりはしなかったので、ほんとうにタイガーだったか確かでない。今回の展示で見たもののうちでは、タイガー計算器でいちばん普及した「18型」か「20型」が記憶にあるものに近い。もし似た形のものをつくる競合会社があったならば、そちらの製品だった可能性もある。

工場でいらなくなった事情はきいていないが、おそらくあたらしい機種に買いかえたのだろう。電動の機械式だっただろうか、初期の (携帯できない、まさに卓上の) 電子式卓上計算器だっただろうか。

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わたしは 1980年代、前半は大学院生として、後半は「助手」として、東京大学 理学部 地球物理学科にいた。そこでは「タイガー計算キ」についての話をよく聞いた。海洋物理学の 日高 孝次 名誉教授の現役時代の数値計算法の教科書はこの種の計算キをつかうことを想定したものだった。ある研究者はタイガー計算キをまわしつづけて歯車がすりへるまでつかったという伝説があった。計算キをまわすことをおもな職務としてやとわれた人もいたそうだ。しかし、計算キの実物を見かけたことはなかった。すでに、計算の道具は電子計算機や電卓にうつっていたのだ。

1980年代後半、地球物理学科は、東京大学 大型計算機センター の計算機利用統計で、学科別の計算機利用時間が物理学科についで多く、教職員ひとりあたりにすると (物理学科よりも教職員数がすくないので) 第1位だった。おそらく1950-60年代には、教職員ひとりあたりのタイガー計算キの利用量が (1位かどうかはわからないが) なみはずれて多い学科だったにちがいない。

わたしは今回ようやく、大学で話題になっていた「タイガー計算キ」と、中学生のときにふれた物体とが、たぶん同じものであることを確認できたのだった。