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やませ

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたか、かならずしも明示しません。】

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「やませ」は、気象学の学術用語ではないが、気象学の学術文献にでてくることがある語だ。そのばあいの意味は、しっかり定義されてはいないが、つかう人のあいだの共通理解はあるとおもう。ここではわたしの理解にそってのべるが、今後かんがえなおして書きなおすかもしれない。

「やませ」は、日本の東北地方の太平洋岸で、暖候期 (1年をおおきく夏と冬にわけたときの「夏」) にときどきふく、北東よりの風だ。気温が低かったり水蒸気が多かったりして、水蒸気に対して飽和に近いので、霧や下層雲ができやすい。したがって「やませ」がくると夏にしては地上に達する日射がすくなくなる。ただし、このときの北東よりの風は、対流圏のうちでも下層にかぎられていて、東北地方の中央の山脈をこえない。したがって、日射がすくないのは、東北地方の太平洋側にかぎられる。気象庁の仙台管区気象台がつくったつぎのページの「夏の特徴:やませとオホーツク海高気圧」の部分に、その典型的な例がしめされている。

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近世・近代の日本 (とくに東日本) では、作物の不作はおもに冷夏によるものだった。「やませ」が東北地方に冷夏をもたらす要因のひとつであることはたしかだ。しかし、東北地方の冷夏と「やませ」とを同一視するべきではない。東北地方の冷夏のうちには、太平洋側だけでなく日本海側でも冷夏であるばあいもある。そのような冷夏の主要因は「やませ」ではありえない。(そのような冷夏のうちの短期間「やませ」がふいている可能性はあるが。) 東北の冷夏のうちどれだけが「やませ」によるものかを、いまのわたしは明確にのべることができないが、明確にのべられるようになりたいとおもっている。

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「やませ」は気象学者がつかいはじめたのではなく地元の人がつかっていたことばにちがいないのだが、この意味でつかわれるようになったのは近代になってからのことらしい。

菊池 勇夫 (1994) 『飢饉の社会史[読書メモ] の第1章第3節によれば、「やませ」が江戸時代にこの意味でつかわれていたのはほぼいまの青森県域にかぎられ、岩手・宮城県域では「こち」がつかわれていた。「やませ」は本来、山から海にむかう風であり、日本海側で東風をさしていたのが、西まわりの廻船がくる青森県の太平洋側でも (そこは海からの風なのだが) 東風をさすようになったと考えられている。岩手・宮城県の太平洋側でも寒冷な東風をさすようになったのは昭和のはじめのことらしい。

- 4 [2023-09-20 追記] -
「やませ」ということばで思いうかべる現象の空間スケールは、気象学者のあいだでもまちまちである。それに関する川村 (1995) の議論を、わたしなりに言いかえてのべておく。

「やませ」は局地風の一種とされることもある。陸上では、地形の (高低差) 数百メートルの起伏によって、谷をふきぬけ、尾根によってはばまれるという、地形を反映した (水平の長さが十キロメートルのけたの) 局地性がある。しかし、やませをもたらすしくみを考えるとき、あるいは海上をふく風を考えるときには、総観規模 (水平の長さが数千キロメートル) の現象である。

文献

  • 川村 宏, 1995: 局地風 "ヤマセ" とヤマセ現象。 気象研究ノート (日本気象学会), 183号 『ヤマセ』, 1-5 (第1章)。 [この号の読書メモ]