macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

レオミュール (Réaumur) または 80分割 (octogésimal) 温度目盛り の 迷宮

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたか、かならずしも明示しません。】

- 1 -
物理量は「量の次元」をもっている。無次元量を別とすれば、量をあらわすのは数値と単位の組であって、数値だけがわかってもじゅうぶんな情報にならない (同じ種類の記録のうちでの相対比を論じることはできるが)。

機器観測によらない定性的な情報をあつかうことにもむずかしさがあるが、機器観測がはじまってからの記録をあつかうときも、単位や計量標準がどうなっていたかを知ることが、研究方法の重要な部分になる。

温度目盛りの概念は、物理量一般の「単位」に、原点の指定をくわえたものとみることができる。そのたちばできちんとのべれば、℃ と K (ケルビン) とは「単位としては同じものであり原点がちがう」 というべきなのだろう。しかし、日本語の日常用語としては、温度目盛りの名称の「セ氏温度」または記号の「℃」などを「単位」とみなしてしまうことが多い。ここでも、日常用語の感覚で「単位」という表現をしてしまうことにする。[この段落 2023-10-14 改訂]

- 2 -
日本の気象庁がその前身によるものとみとめている観測事業の最初のものは、(東京気象台ではなく) 函館 (当時の組織名称は「函館気候測量所」) で 1872年に始まったものである。

ところが、函館での気象の機器観測はそれまでにもあった。函館は「黒船」のあと幕府が外国と通商条約をむすんで開いた港のひとつだった。そこに来ていたロシアの外交官の Albrecht という人が、1859年から1863年途中までの気象を観測し、その報告はロシアでAnnales de l’Observatoire Physique Central de Russie (ロシア中央地球物理観測所年報) にふくめられて印刷され、その印刷物がアメリカ合衆国の NOAA の図書館に収集されてディジタル画像として公開されていた。(財城ほか, 2014)。

Mikami (2023) の本の 4.1.3 節 「Early Meteorological Observations at the Russian Consulate in Hakodate」 (114-118ページ) で、 Albrecht が報告した気温と 1872年以後の気象庁の観測データとを接続して議論がこころみられている。気温の観測時刻のちがいや観測点の移転を考慮した補正は財城さんがとりくんでいる。その結果によれば、夏 (図にしめされたのは7月) の気温が、1859-1862年は、1872年以後にくらべてだいぶ低い。実際、この時期の東北日本の夏の気温は低かったのだろうか。

- 2 -
わたしはちかごろ、東北地方に凶作をもたらした年々の天候についての資料をあつめている。そのうち、積雪地域農村経済調査所が1935年に出した『東北地方凶作に関する史的調査』 という報告書の、「凶作飢饉年表」という部分 (3-47ページ) に、年ごと、(明治以降の) 県ごとに、凶作をもたらした異常天候についての記述をまとめた表がある。その表の年は皇紀でしめされているが、ここでは西暦でおきかえてしめす。

1835-1839 (天保6-10) 年には、毎年、冷夏とおもわれる異常天候が記録されている。そのうち青森県では、1836 (天保7) 年と 1839 (天保10) 年に明確に寒冷であることをしめすことばがはいっているほか、「気候不順」のような表現のものをふくめればこの5年間連続している。

ところが、1859-1863 年には、青森県にはなにも記事がない。6県をみわたしても、寒冷とみとめられるのは福島県の1862年の「4月15日大霜」だけで、災害記録の大部分は洪水、すこし旱魃がある。

それにつづく青森県で冷夏とおもわれる記録は、1867 (慶応2) 年の「気候不順」, 1889 (明治2) 年の「天候不良」だ。いずれも宮城県で寒冷・低温の情報があるので、冷夏と推測される。

記載される資料のくわしさの年々変動もありうるけれども、おそらく、1859-1863年には東北地方北部には冷夏はみられなかったといえると思う。

- 3 -
Annales はフランス語で書かれているが、Albrecht による報告はドイツ語で書かれている。Albrechtによる表 (1860年1-2月の記録) の写真が 財城ほか (2014) の図 3 にある。ここで気温は「Temperatur der Luft.」となっていて単位は書かれていない。三上先生はこれをセルシウス度 (℃) とみなして解析をはじめていた。となりの気圧は「Barometer bei 13 1/3 o R.」 とある。水銀気圧計の水銀柱の高さを読んで、水銀の熱膨張について、標準の温度「13 1/3 oR 」のばあいに補正したものと思われる。その温度の単位が oR だとすると、気温の単位もそれではないか?

わたしは1960年代の子どものころ、おそらく1940年代におとなむけに書かれた本をひろい読みして、温度目盛りには「摂氏」「華氏」のほかに「列氏」(oR ) というものがあるということを読んだ。いまウェブ検索してみると、oR には レオミュール (Réaumur) のものと ランキン (Rankine) のものがあって、いまでは区別のためにレオミュールのものは oRé と書くのがよいとされている。ランキン温度目盛りは (まだ確認していないが)、目盛間隔はファーレンハイト (華氏) 温度目盛りと同じで、原点は ケルビン と同様に「絶対0度」にとったものらしい。他方「レオミュール温度目盛り」として19世紀に通用していたものは、(あとでのべるようにレオミュール自身が提唱したものとはちがうらしいのだが)、セルシウス度と同様に水の凝固点(氷点)と沸点を基準とするが、100等分ではなく80等分するものだ。

三上先生は気圧の水銀柱の高さの単位の情報をもとめ、フランス語の注記を見つけていた。それと同じページに別項目として、「温度計の目盛りはレオミュールにしたがう」と読める記述がある。それが正しいとすれば、観測値の表の数値を℃に換算するには 1.25倍すればよい。1859-1862年の7月の気温は 16℃前後ではなく 20℃前後となり、1872年以後とだいたい同じレベルになる。この件については、たぶんこれで解決したとしてよさそうだ。

- 4 -
しかし、念のため、フランス語の注記がたしかに Albrecht の表に適用されるものかたしかめようとして、迷宮にはいってしまった。

財城ほか (2014) に書かれている NOAA の図書館のウェブサイトの URL http://docs.lib.noaa.gov/rescue/data_rescue_home_old.html [Cited 2013/07/31] は、 2023-10-10 現在 無効になっている。

それらしいものをさがすと、つぎのウェブサイトがみつかった。

Search Title で Russie を入れて検索してみると、「Annales de l'observatoire physique central de Russie」のいくつかの年度のものが存在する。そのうち 1861 年のものを開いてみると、表紙は 財城ほか (2014) の図1と同じものらしい。しかし、内容をめくると、ロシア領内の地点についてフランス語で書かれたページばかりで、Albrechtによる報告、函館 (Albrechtがつかっていたつづりは「Chacodate」) についての報告、ドイツ語で書かれた報告は、いずれも見あたらない。(三上先生が見つけていたフランス語の注記のページも見あたらない。) もしかすると、Annales の付録のような形でうしろにつけられたものが、NOAAの図書館のスタッフによって別の文献と判断されて分割されてしまったのかもしれない。しかし、いくつかこころあたりのキーワードで検索してみたかぎりでは、別冊らしい文献はみつからなかった。

ただし、単位についての理解はさきにすすんだ。
1861年の年報をめくっていくと、最初に出てくる地点は St. Pétersbourg で、(地磁気の情報は別として) 気象観測値の最初に出てくるのは気圧で、「Baromètre à 13o 1/3 R.」 「Demi-lignes russes ou anglaises」とある。温度の条件は上にのべたとおりで、水銀柱の高さの単位は「demi-ligne」というもので、その単位の標準は国によってちがうが、ここではロシアの標準にしたがっており、それはイギリスのものと同じだ、ということなのだろう。つづいて気温があって「Température de l'air 」 「Themomètre octogésimal」 とある。温度目盛りは「80分割」なのだ。これは (セルシウス温度目盛りが centigrade であり氷点と沸点のあいだを 100分割した目盛りであるのと同様に) 氷点と沸点のあいだを80分割した目盛りとみてよいだろう (「oR」よりもたしかだ)。そして、Albrecht も本国の指針にしたがって同じ目盛りをつかっていたと推測してよさそうだ。

ウェブ全体から、Albrecht や Chacodate などのキーワードで検索してみると、Können ほか (2003) の論文がみつかった。その参考文献リストから著者が Albrecht である項目を下に引用しておいた。出版物は Annales ではなく、Correspondance Méteorlog とされている。そしてそれは KNMI、オランダ (王立) 気象研究所にあるとされている。わたしはまだこれ以上おいかけていないが、この線からならば Albrecht の報告書にたどりつけそうだ。

- 5 -
わたしはこれよりもまえに「octogésimal」温度目盛りの話題に出あっていた。Weart (ワート) 『温暖化の発見とは何か』の原書を読んで、大気の「温室効果」の概念の源流として (「温室効果」という用語が導入されたわけではないが)、Fourier (フーリエ) による論考があることを知った。1824年と1827年の論文があるが内容はほとんど同じらしい。いずれもフランス語で書かれており、いまではウェブ上に1827年の論文の PDFファイルが公開されている (下のリストの Fourier 1827 のところを参照)。大気物理学者 Pierrehumbert による英語訳が Archer & Pierrehumbert (2011) の本に収録されている。

2004年ごろ、(当時) 気象学者で (当時) RealClimate というブログにときどきかかわっていた イギリスの William M. Connolley さんの個人ブログやウェブサイトを見ることがあった。そこに、Fourier (1827) の論文を英語に訳して解釈するこころみがあった。

そのうちに、「11ページに "octogesimale" ということばがあるが、1837年に出た Ebenezer Burgess という人による英語訳では "Reaumur" とされている。それでよいのか、疑問だったが、2004年10月に解決した」という記述がある。そこにはつぎのページへのリンクがある。

Edouard Bard さんから説明をうけて、レオミュール温度目盛りと80分割温度目盛りは同じものだと納得した、ということらしい。

Pierrehumbert による英語訳では、octogesimal のままになっていて (13ページ)、注 (12番)で、octogesimal は Reaumur 温度目盛りと同じだと言っている。ただし、Fourier のこの部分の情報の源である de Saussure という人の論文をも見た Pierrehumbert さんの判断では、Fourier が得た数値は実は centigrade (セルシウス温度) だったのだが、単位を書きまちがえたのだろうと言っている。[この段落 2023-10-14 加筆]

1820年代のフランスでは、レオミュール温度目盛りが、セルシウス温度目盛りと同じ程度かそれ以上に、あたりまえにつかわれていたのだろう。

- 6 -
レオミュール温度目盛りとはなにかをたしかめようとして、まず手近な Wikipedia 日本語版を見たら [ [ レオミュール度 ] ] という項目があった。そのうちには「誤伝」ということばがつかわれていて、すなおに読むと「レオミュール温度目盛り は 水の沸点を 80度とした温度目盛りではない と言っているように読めるのだが、趣旨がよくわからない。出典としてあがっていた 高田 (2005) の解説に目をとおしてみた。

高田 (2005) の 4節によれば、レオミュールが1730年に述べた内容は「氷点で1000 単位の体積をもつアルコ-ルの体積が1単位だけ増加した時の温度にそれぞれ+1,2,… の値を与える。その結果,沸騰水に浸した開管の中のアルコールが沸騰し始める温度は+80 となった。」 というものだそうだ。つづいて、かっこ書きで後に「水の沸点の実測値が80 となった」または「彼が水の沸点の値を80 と定めた」との誤伝が生まれたと書き、注に Birembaut という人の1958年の論文をあげている。かっこ書きが Birembaut さんの判断なのか高田さんの判断かはよくわからない。「氷点」は水の凝固点であり、それを0度としたのはたしからしい。80度が、水の沸点なのか、アルコールの沸点なのかは、この記述からはあいまいだ。もし水の沸点とみてよいのならば「結果として、レオミュール温度目盛りは水の沸点を80度としたものと言ってもよいのだが、それはレオミュールによる定義ではない」という話になる。他方、水の沸点からずれているのならば、「レオミュールが提唱した温度目盛りと、のちにレオミュール温度目盛りとよばれたものとは、区別しなければならない」という話になる。

温度目盛りに関する科学史としては Chang (2004) の本がある。その表 1.1 (10 ページ) に、さまざまな研究者がつかった温度定点が列挙されている。Celsius (遅くとも1741年) は氷点と水の沸点の2つの定点をつかっているが、Réaumur (1730年ごろ) は氷点だけをつかったと判断されている。16ページの注によれば、De Luc という人 (著作の年は 1772年) が、Réaumur 温度目盛りという表現で、氷点と水の沸点のあいだを80分割する目盛りを普及させたが、それは Réaumur 自身のものとはだいぶちがっていたらしい。

わたしとしては、読む側としては、1800年以後の文献をあつかうばあいには、oR と octogésimal は同一視してよさそうだと判断するにいたった。しかし、書く側としては、「レオミュール温度目盛り」という用語をさけて、octogésimal から訳した「80分割温度目盛り」という表現をつかいたい。

- 7 -
高田 (2005) には、もうひとつ、レオミュール温度目盛りと函館とにからむ (しかし気象観測とはからまない) 因縁の話題がある。

幕府の軍艦(オランダ製,函館戦争で沈没)が1990 年に引き上げられた時,回収された温度計に°F とRé を併用した表示が見られた。℃と°F の併用は,ある期間,日本他いくつかの国で行なわれたが,°F とRé の併用は珍しい。

高田 (2002) の解説にも同様な話があるが、すこしちがう。

明治になったばかりの1868年末、旧幕軍の軍艦・開陽丸は函館戦争に出動、江差で沈没した。この軍艦が1980年代に引き上げられ、搭載品が逐次に展示された。その中にガラス製温度計の破損品が含まれており、筆者が点検したところ、エンジン用のものと推定された。これは、日本最初の工業用温度計と呼べるのではないか。また、面白いことに、その目盛は℃ とRe (レオーミュール) の2本立てになっていた。℃ と°Fとの併用は多いが、℃ とReとの併用は世界的に見ても珍しいと思われる。

「摂氏と列氏」の温度計と「華氏と列氏」の温度計がそれぞれあって、両方が発見されたのだろうか? あるいは、どちらか一方で、高田先生が記述をまちがえたのだろうか?

文献

(ここから著者名アルファベット順)

  • H. Albrecht, 1858: Meteorologische Beobachtungen in Chacodate (Japan). Correspondance Méteorlog, 69–76. [Available from KNMI Library, P.O. Box 201, 3730 AE DE Bilt, Netherlands.] [Können et al. 2003 の参考文献。直接は見ていない。]
  • --, 1861: Meteorologische Beobachtungen aus Chacodate in Japan 1860 und 1861. Correspondance Méteorlog, 2–24. [同上]
  • --, 1862: Meteorologische Beobachtungen aus Chacodate in Japan 1862. Correspondance Méteorlog, 2–14. [同上]
  • David Archer & Raymond Pierrehumbert eds., 2011: The Warming Papers: The Scientific Foundation for the Climate Change Forecast. Chichester, West Sussex UK: Wiley-Blackwell, 419 pp. ISBN 978-1-4051-9616-1 (pbk.) [読書メモ]
  • Hasok Chang, 2004, paperback 2007: Inventing Temperature: Measurement and Scientific Progress. New York: Oxford University Press, 286 pp. ISBN 978-0-19533738-9. [読書メモ]
  • Joseph Fourier, 1827: Mémoire sur les températures du globe terrestre et des espaces planétaires. Mémoires de l’Académie Royale des Sciences de l’Institut de France 7: 570-604. https://www.academie-sciences.fr/pdf/dossiers/Fourier/Fourier_pdf/Mem1827_p569_604.pdf
  • G. P. Können, M. Zaiki, A. P. M. Baede, T. Mikami, P. D. Jones & T. Tsukahara, 2003: Pre-1872 extension of the Japanese instrumental meteorological observation series back to 1819. Journal of Climate, 16: 118-131. doi: 10.1175/1520-0442(2003)016<0118:PEOTJI>2.0.CO;2 . https://journals.ametsoc.org/view/journals/clim/16/1/1520-0442_2003_016_0118_peotji_2.0.co_2.xml
  • Takehiko Mikami, 2023: The Climate of Japan -- Present and Past (Advances in Global Change Research 77). Singapore: Springer Nature, 210 pp. ISBN 978-981-99-5157-4. [読書メモ (2023-11-04)]
  • 地方 農村経済調査所, 1935: 東北地方凶作に関する史的調査 (積雪地方 農村経済調査所 報告 第8号)。山形: 積雪地方 農村経済調査所, 124 pp. [読書メモ]
  • 高田 誠二 (Takata, S.), 2002: 日本における温度計測の半世紀。計測と制御, 41 (1): 48-52. https://doi.org/10.11499/sicejl1962.41.48
  • 高田 誠二 (Takata, S.), 2005: 温度概念と温度計の歴史。熱測定, 32 (4): 162-168. https://doi.org/10.11311/jscta1974.32.162
  • 財城 真寿美 (Zaiki, M.), 木村 圭司, 戸祭 由美夫, 塚原 東吾, 2014: 幕末期 (1859~1862年) のロシア領事館における気象観測記録と気象庁データの均質化にもとづく函館の気温の長期変動。地理学論集 89 (1): 20-25. https://doi.org/10.7886/hgs.89.20