【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】
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2020年5月12日、オンライン開催された日本地球惑星科学連合(JpGU)大会のなかで「パブリック セッション O-01 (オー ゼロ いち)」としてひらかれた「学校教育で使用されている地球惑星科学教材」に参加した。(ただし、わたしはコンビーナーでも発表者でもない。)
この大会は、5月に人が集まる形で開催されるはずだったものを、延期して、オンライン開催に組みかえたのだが、この規模の大会のオンライン開催は関係者のだれにとってもはじめてだったようで、いろいろな混乱があった。しかし、O01は、接続したくてもつながらなかった人がかなりいたらしいが、接続できた人に関するかぎり、うまく運営されていた。講演をあらかじめ音声つきプレゼンテーションファイルの形で集めてそれを再生したうえで、講演者に別途つないでもらって質疑討論はリアルタイムでやる、というやりかたがよかったと思う。また、研究発表を想定して組まれている大会の時間割のなかで討論をするための便法らしいのだが、プログラムにコンビーナー4人それぞれの講演として用意されている時間は討論の時間にまわされていた (その中でコンビーナーである人が情報提供することもあった)。
講演プログラムはこのリンクさきにあり、簡単な予稿のPDFファイルがある。
https://confit.atlas.jp/guide/event/jpgu2020/session/O01_24AM1/class
https://confit.atlas.jp/guide/event/jpgu2020/session/O01_24AM2/class
コンビーナー以外の講演者と、プログラムにあった講演題目はつぎのとおり。
- (研究者から)
- [O01-01] 美山[みやま] 透: 高校地理・地学教育における海洋の取り扱い
- [O01-02] 加納 靖之: 地球惑星科学教材に地震はどのように登場しているか
- [O01-03] 大坪 誠: 地殻変動が高等学校の地学教育と地理教育でどのように取り扱われているのか?
- [O01-04] 芝原 暁彦: 地球惑星科学教材における古生物学の取扱いと、次世代型教材の提案
- (高校教員から)
- [O01-08] 長谷川 宏一: 地球温暖化のリスクをどう教えるか? -- 変動しつづける地球システムの中で
- [O01-07] 小河[こがわ] 泰貴:「地理総合」での地球科学の視点の導入
- (教員養成課程教員から)
- [O01-09] 瀧本 家康: 見方・考え方を育成できる地球惑星科学・地理教材
- [O01-10] 吉田 剛: 地理教育と地学教育の整合に向けた論点 -- 「学術/教育」と「統一/非統一」にみる地理的見方・考え方に焦点を当てて
ここではひとまず、自分が、セッション中に文字による「チャット」機能で発言したことや、セッションのあいまにツイッターに書いたことを、もう一度整理して書きだしておくことにする。
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教科書などの教材の表現が、学問的には、まちがっていることがある。しかし、学問的にただしくのべようとすると、生徒がまだ学んでいない概念が必要になり(物理で学ぶものや、高校では物理でもやらないものがある)、高校の授業の時間であつかいきれなくなる。
- 地震の震源となる断層でおこっていることを説明するのには、応力の概念がほしい (大坪さんの話題)。
- 海流のできるしくみは、単純に海水が風にひきずられるというものではない (美山さんの話題)。ここにも、大気と海洋の間で働く応力の概念がほしい。
- 潮汐がなぜ約半日周期になるかは、考えさせる課題としておもしろい(小河さんの話題)。しかし、それにこたえるには、重力についての理解がしっかりしていて、月による重力が地球の月に近い側と月から遠い側とでちがうことが認識できることが必要になるだろう。
このような事例はいくらでもあげられると思う。根本的に解決されることはなく、つぎのふたつの努力をするべきだと思う。
- 教科書や学習参考書には、初歩的であって、しかも、学問的にみてまちがいではない表現をくふうする。これには、現場で教える人(または、学ぶ人)と、学問的知識の体系をもつ人との、対話による改良が必要だろう。(学問的知識の体系をもつ人どうしの対立の調整も必要になるかもしれない。)
- 教科書や学習参考書にあきたらずさらに知りたい生徒にむけて、他の教科で学ぶ知識も使いながら、学問的知識に誘導していくような材料を用意し、生徒が学校図書館やネットなどで出あう機会をふやす。
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地学の題材はさまざまな時間・空間スケールをもつ。日常生活のなかの素朴概念によって時空間認識をするとまちがいになることがある。教材の図解などが、まちがった時空間感覚をあたえてしまうことがあるので注意が必要だ(瀧本さんの話題)。つぎのような例があげられた。
- 沖縄が日本海にあると思ってしまう
- 地球から太陽よりも、地球から木星のほうが近いと思ってしまう (惑星を等間隔に置いた模式図に慣れていると)
- 台風の高さと水平のひろがりは同程度と思ってしまう (模式図はたいてい鉛直方向を拡大したものなので)
図解には、距離の比率を正しくしたのでは読めないものもある。図解に対する注釈として、「鉛直方向を拡大している」とか「距離に無関係に順番にならべている」とかいうことを、絶対に見おとさないように表示することが第一だろう。さらに、距離の比率を意識する機会があるといいだろう。(国立天文台が、太陽系を縮小したものを三鷹市の地図にあてはめて、歩いてみようという企画をやっていたのを思いだした。必要がないのに野外に出ることの危険もあるので、同様なことを勧められるかどうかはわからないが。)
また、3次元の実物や模型にふれる機会はふやしにくいので、芝原さんが例をあげたように、地球上のものごとの分布にせよ、化石などの物体にせよ、情報技術をつかって、生徒や一般の人が3次元の形を認識できるようにしていくことは、これからだいじだと思う。ただし、これについても、ただしい空間スケールをつかんでもらうように注意が必要だ。また、情報の典拠が知りたくなったらさかのぼれるようにしておくこと (学説がかわることもあるから、映像がどの学説にもとづくものか確認できることが重要)と、ライセンスが授業のときだけでなく自発的学習でも見られるようなものであることが重要だと思った。
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用語にかぎらず、教育内容について、統一すべきこともあるし、統一しないほうがよいこともある。吉田さんの概念整理によれば、学術として確立したもの・世界共通のものは統一がよく、学術が進展中のもの・地域ごとや時代ごとにちがうものは統一しないのがよい。高校でおしえる内容には両方がまざっている。どこを統一すべきかを、教育側、学術側をまじえて検討する必要があるのだろう。
教育用語を統一したい動機として、大坪さんが、大学入試をあげていた。わたしはむしろ、テレビや新聞などのメディアで、天気予報や災害情報が、短い時間・せまい紙面でもまぎれなくつたえられるようにするために、そこでつかわれる用語はだいたいみんな学校でならっているという状態がのぞましいと思った。
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地学は、自然災害や地球環境問題にかかわる重要性もある。自然災害や地球環境問題とのかかわりを、学術としての地学のたちばから、ひとまず「応用」としておく。応用的重要性のある地学現象についての理解には、地学現象自体にとっての重要性と、応用にとっての重要性があって、それを混同するとまずいこともある。
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自然災害は、自然界でおこる現象が、人間社会に被害をもたらすことだ。ちかごろの災害論の用語のひとつの体系では、災害の原因となる自然現象を「ハザード (hazard)」、人間社会がわの要因を「脆弱性 (ぜいじゃくせい、vulnerability)」といい、自然災害はいわばこのふたつの要因のかけざんであるようにとらえる。([2018-01-30 災害、ハザード(hazard)、曝露(exposure)、脆弱性(vulnerability)]の記事参照。)
この構造を、どこかで生徒に理解してもらえれば、理科の地学(科目としては「地学基礎」「地学」をふくむ)では、そのハザードが生じるしくみに集中することができるかもしれない。
その「どこか」とはどこだろうか。これから実施される高校の学習指導要領では「地理総合」が必修になって、そのなかで災害もあつかうことが期待されているから、そこで「みんな学んでいる」ことになるとよいと思う。
ただし、用語や概念体系の問題がある。「ハザード」と「脆弱性」の 2項にするのか、「ハザード」「曝露」「脆弱性」の3項にするか、一方にこだわって他方がまちがいだとする人がいるとこまる。「ハザード」も「脆弱性」も多くの人になじみのないことばだ。「脆」は形声文字だと思うと正しく読めない。「脆弱」を知っていたとしても、骨などの固体が割れやすくなっていることであって、ここでの意味は比喩になっている。加納さんは「誘因」と「素因」と言っていた。「誘因」がハザードにあたるのだと思うが、これでは重要性を感じにくい。「トリガー (trigger)、ひきがね」は「誘因」よりは重要な気がするが、それでも主要でなく副次的な原因のように感じられるだろう。また、「素因」とよびたくなる慢性的要因のほうに、人間社会の要因だけでなく、自然の要因 (たとえば、岩石が、風化がすすんで、本来の意味で「脆弱」になること) があることもある。
高校生にうけいれられやすく、学問的にもまちがいでない概念と用語の体系がほしいと思う。
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地球温暖化について教科書はどう記述しているかについての長谷川さんの発表をききながら、つぎのようなことを考えた。
地学現象としての気候変動の原因、あるいは地球史のなかのある時代(ヒトが出現するまえ、あるいは人口がわずかだったころ)に実際におきた気候変動の原因を考えているときと、現在を中心とする百年規模の時間での気候変動の原因を考えているときでは、地球のしくみがちがうわけでないのだが、なにが主要な原因になるかはちがうのだ。
学術として気候変動を理解したうえで、いまの地球温暖化問題という応用にうつれば、混乱はおきにくい。ところが、いまの指導要領では「地学基礎」で、定常状態の気候のエネルギー収支は学術的基礎概念としてあつかうけれども、気候の「変動」は、地球温暖化問題という応用を動機として出てくる構造になっている。それで学術と応用とが混乱しやすいのだろうと思う。教科書をふくらますのはむずかしいかもしれないが、学術と応用との関係を高校生の目にふれるところにもっとだしていく必要があると思った。
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このセッションが招待講演ばかりで構成されていることに対する批判的コメントを見かけた。たしかに、このやりかたでは、コンビーナーの知りあいだけの集団が形成され、それ以外の人は聞き手にとどまってしまうおそれがある。
しかし、JpGUのセッションとしては、このやりかたを変えるのはむずかしいと思った。研究を本業のうちにふくむ人だけでなく、教育でフルタイムの教員にも参加してもらいたいから、大会参加費をはらわなくても参加でき、公休日に設定された「パブリックセッション」にしてある。(無料である必要はないが、今回のように大会参加費が1万円をこえるのではこまる。) その時間はあまり長くできず、午前の3時間が適切だ。そうすると、聞き手にとって価値のある講演をそろえなければならない。この種の題材で自由応募にすると、主張についても発表態度についても極端なものが出てくる可能性があり、予稿を見ただけでは判断がむずかしい。
もし、このような話題を議論する場が日常にあって、そこで、つぎのJpGU大会ではどんなセッションをやろうかという議論もオープンにできるようになっていれば、講演公募もできるかもしれない。ただし、そのばあいも、あらかじめ議論の場に応募してもらって、そのなかから学会大会のセッションコンビーナーが招待する講演者をえらぶ形にしたほうがよいかもしれない。
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かならずしも JpGU のためというわけではないが、地学・地理の教材について日常的に議論をつづける場がほしいと思った。
とくに、教科書や教材として出版されているもの・ウェブサイトに置かれているものについて、「それはまちがいだ」という指摘を、ひろくしめせる場がほしい。学会などの共通理解として「それはまちがいだ」として出版者に訂正をもとめることもあるかもしれないが、それにしてもそのまえの段階として、だれかが個人の資格で「それはまちがいだ」と言い、それに対して、反論とか、弁明とか、もっと一般論的な立場からの位置づけとか、対案とかの議論がなされることが必要だろう。
インターネット上で可能な手段として、この目的に適しているのは、(いまどきの流行ではないが) モデレータつきのブログだと思う。まとまった主張をのべたり情報を提供したい人は、記事を書く。ブログには記事が署名入りでのる。署名は本名でなくてもよいが、同じ人は一貫した筆名 (いわゆる固定ハンドル)をつかってもらう。記事には、読者がコメントをつけることができる。コメントのうちで本格的に議論したい主題がでてくれば、別の記事をたててもらう。
できれば、学会に、会員がブログを運営することを支援するしくみがあるとよいのだが、日本の学会ではそれは望みうすだ。ブログの運営は個人が自主的にやるとして、学会には、ブログを、学会の趣旨にあった活動としてみとめてもらい、学会のサイトからたどれるようにしてもらえるとよいと思う。ブログの運営には、ブログを可能にする計算機上のソフトウェアとしての運用と、記事を書く人などのユーザーの権限の管理がふくまれる。
記事へのコメントとして、人権侵害、著作権侵害、あきらかな偽情報、この場の主題にあきらかにあわないことなどがあらわれないようにチェックするモデレータが必要だ。モデレータには、コメント欄の論争が感情的にエスカレートしたときに強制的に止める権限も必要かもしれない。なお、ブログには、商用サイトや詐欺サイトに誘導するスパムコメントもくるので、それをなるべく自動的に排除するしかけをしたうえで、それからもれたものを手動でチェックする必要もある。
わたしは、ブログの技術的管理者ならば、なんとかできると思う。モデレータも、気のむいたときにはできる。しかし、なさけないことだが、わたしは、ときどき、e-mail も、ほかの手段で指摘されるまで、読む元気がなくなってしまうことがある。議論の場となるブログを実現するには、すくなくとももうひとり、日常にモデレータを担当でき、わたしが対処する必要があるときにはわたしを適度なつよさで (よわすぎるとわたしは動かないし、つよすぎるとわたしは切れてしまうかもしれない) うごかすことができる人が必要だ。
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討論のなかでも話題になった、地学履修者のわりあいについて。理科の4分野のうちではいちばんすくないのだが、現行カリキュラムで「地学基礎」「地学」の2科目になってから、「地学基礎」をおしえる学校は、まれというわけではない。ただし、都道府県によって事情がおおきくちがう。自分のまわりで観察した状況が全国の状況とはかぎらないのだ。
この件について調査した論文があることを、セッションよりあとで知った。
- 吉田 幸平, 高木 秀雄, 2020: 高等学校理科「地学基礎」「地学」開設率の都道府県ごとの違いとその要因. 地学雑誌, 129 巻 (3 号) : 337-354. https://doi.org/10.5026/jgeography.129.337