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インド洋南西部の孤(諸)島 Prince Edward Island(s) と Marion Island

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしもしめしません。】

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2020年6月12日、「プリンスエドワード島で地震?」という情報がながれた。Prince Edward Islands のあたりを震源とする地震があったのだ。

Prince Edward Island (単数)といえば、カナダの島がよく知られている。カナダでいちばんちいさい州(province)となっている。日本では「赤毛のアン」のふるさととして知られる。カナダではそれだけではないそうだが、植民地時代(19世紀ごろ)の景観の特徴をのこしていて、観光地になっているので、住民人口のわりによく知られた地名であるらしい。しかし、地震があったのは、そこではない。

Prince Edward Islands は、南半球の中緯度(温帯)の、陸からとおいところにある、諸島だ。南アフリカの南東にあたる。海洋を区分すればインド洋になるかもしれないし、南大洋になるかもしれない。わたしはその地名を知らなかった(気にとめたことがなかった)。

Wikipedia 日本語版 [ [ プリンスエドワード諸島 ] ]をみると、最大の島がマリオン島、そのつぎが プリンスエドワード島(単数形のPrince Edward Island)で、いずれも火山島で、住民はいないそうだ。

ただし、Marion Island について、もうすこしウェブ検索してみると、この島には、南極観測基地とにた、自然科学調査のための基地がある。南アフリカ共和国政府の傘下の生物科学研究機関によるものらしい。

また、WMOの資料にもとづいて日本の気象庁が編集した「国際地点番号表」のファイル (2018年にダウンロードしたものだが、気象庁のウェブページの情報によれば2016年4月のもの) をみると、つぎの地点がある。Marion Islandは南アフリカ共和国の気象観測地点のひとつなのだ。

1 SOUTH AFRICA 68994 0 MARION ISLAND 46 52 59S 37 52 01E 24.00

カナダの島も、インド洋の島も、イギリスとフランスやオランダなどが領土獲得の競争をしていた時代に、イギリスの軍人や探検家 (インド洋の島のばあいは James Cook)が、イギリスの王族(どちらの島も同じ人、のちのヴィクトリア女王の父)の名まえをつけたものだ。植民地的地名は、ちかごろ、先住民を尊重したものにつけなおされたところもあるが、このように残っているところもある。

Marion島のほうは、その島に到達して記述したフランス人探検家の名まえをとったものだ。

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Marion Island ならば、わたしの記憶にある地名だ。もちろん、そこに行ったことも、近くをとおったこともないのだが、気象観測地点名として話題になっていたのを、わたしの気象専門家経歴のはじめのころ(大学院博士課程のとき)、見たことがあるのだ。

国際共同研究プロジェクト「FGGE」 (First GARP Global Experiment、GARPはGlobal Atmospheric Research Program) 、別名「GWE」(Global Weather Experiment) として、1年間(1979年)、世界の気象観測を強化し、そのデータをあつめ、それを数値天気予報モデルをつかって「同化」して格子点データセットをつくることがおこなわれていた。同化を担当しているのは、ヨーロッパ中期天気予報センター(ECMWF)と、アメリカ合衆国のGeophysical Fluid Dynamics Laboratoryだった。わたしはそのECMWFでつくられたデータをつかって研究していた (のちに、GFDLでつくられたものもつかった)。

1983-84年ごろ、FGGEに関するいろいろな報告を読んでいた。Marion Islandが出てきたのは、その中だったと思う。ただし、ECMWFは、現業の中期天気予報 (1~2週間さきの気象の予測) もはじめており、そちらの技術報告もこちらの大学にとどいていて、わたしが読むこともあったから、そちらだった可能性もある。

データ同化結果の、インド洋南西部の気圧などに、系統的誤差が生じていた。そのあたりの観測地点は、Marion Island だけだ。当面の対策は、Marion Island の観測値はまちがいだとして除外することなのだが、近くにかわりの観測点がなく、この観測点の観測値のもつ情報が貴重だったので、同化の技術開発にあたっている研究者は、誤差のでかたの規則性を検討して、誤差の原因を推測した。なにかの気象変数 (風速ベクトルの東西成分・南北成分だったと思う) が Marion Island の観測値をいれたことによって修正される量の (多数事例を平均した) 空間分布に、Marion Island からの方角によって修正量が正になる象限と負になる象限があるようなパターンがみられた。けっきょく、Marion Island 観測所の風向の基準線の方向がまちがっていたことがわかり、その後、現地の観測があらためられることになった(と書いてあったように思うのだが、この部分は記憶がたしかでない。いま Wikipedia 英語版 の [ [Marion Island] ]をみると、1980年に火山の噴火があったということなので、1983年ごろは、気象観測がつづいていなかったかもしれない。)

わたしがこれをおぼえているのは、それまで、気象の情報の流れは、「観測 → 観測の通報 → 同化 → 数値予報 → 予報の通報」と、その途中から分岐して「同化 → 研究への利用 → 研究成果」の、一方通行だと思っていたら、FGGEデータの同化 (あるいはそれと同時期の現業むけ研究開発)のなかで、同化から観測へのフィードバックがあり、それによる観測の改良がありうることがしめされたのが、印象にのこったのだった。(FGGEの研究計画には、このようなフィードバックをつくることが、組みこまれていた。ただし、それがじゅうぶんおこなわれるまえに、実施がおわってしまった。)

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残念ながら、いま、報告文を確認することはできていない。ありそうなキーワードでウェブ検索をかけても、かかってこないのだ。インターネット普及よりまえの技術報告のうち、論文などの定期刊行物として出版されたものは、さかのぼってディジタル版がつくられてきているが、これは、たぶん、ニュースレターか、研究発表会の予稿またはproceedings などの、図書館学のうちわの表現でいう grey literatureなので、さかのぼってディジタル化してオンラインに置くという活動があまりないのだろう。

ただし、ECMWFの出版物ならば、ECMWFのウェブサイト https://www.ecmwf.int/en/publications/ にあるかもしれない。わたしはまだそのなかみをしらべきれていない。

わたしが見た紙の資料は残っているだろうか。GARP Publication Series にふくまれていれば、東大理学部で図書登録されているが、それ以外の会議 Proceedings や、研究プロジェクトの Newsletter などは登録されていない。わたしが東大をはなれた1992年には、理学部地球物理の図書室に、図書登録せずに置いてあった。2016年ごろにも、理学部地球惑星科学の図書にあったように見えたが、確認しなかった。理学部のレベルで図書室が合同してからどうなったか、わたしは知らない。(なお、2016年ごろに行ったときに、登録ずみのはずの GARP Publication Series の実物にたどりつけなかったが、そちらもその後どうなったかたしかめていない。[ここから 2020-07-01 追記] GARP Publication Series は、まだすべてかはたしかめていないのだが、最近、WMO のウェブサイトから公開されているので、紙での保存の重要性はひとまずうすれた。ただし WMO のウェブサイトの構成もよくかわるので長期的安定については不安がのこる。)

このような、過去の科学研究の履歴を反映した資料は、なるべく残してほしい、ただし、なるべくディジタル化してほしい、と、希望する。しかし、その作業をする人が不足していることも知っている。わたしが、気象研究室がもっていた資料を地球物理の図書室におしつける形で、東大にのこしてきてしまった資料だけでも、その全部を管理することも、ディジタル化することも、わたしの手にあまる。対象を、たとえば「FGGE関係」と限定し、さらに、ECMWFなどのウェブサイトからまだ公開されていないものに限定して、東大の学術資料アーカイブに組みこむ(著作権などのさしつかえのないものは東大から一般公開する)ことを前提に、わたしがわたしのできる労働をすることで、東大とわたしが合意できれば、それだけはできるかもしれない。