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ケイ素を主とする分子による生命?

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしもしめしません。】

【この話題は、わたしにとって研究者としての専門ではありませんが、地学概論の授業であつかうという意味での専門のうちではあります。しかし残念ながら、この記事は専門家からの知識の提供といえる質に達していません。雑談とおもってください。ただし、文献参照だけはまぎれないように注意しました。】

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2020年6月23日、ゆきまさかずよし (@Kyukimasa) さん の tweet (https://twitter.com/Kyukimasa/status/1275431457138204673 から一連のもの)で、炭素原子ではなくケイ素原子がおもになった分子で生物がなりたつかという研究論文が出たことを知った。地学概論をおしえるものとしては、ふれておきたい話題だ。論文は公開されていてダウンロードできた。しかし、わたしがそれを読んで議論を追って理解するには背景知識が不足している。要旨(abstract)を読み、思いついたキーワードで全文検索してみつかったあたりをひろいよみすることぐらいしかできていない。教材本体には入れず、雑談も読みたい人むけの記事をかいてリンクしておくことにする。

この話題については、1970年ごろに読んでいたのを思いだした。ゆきまさ さんもtweet でふれていたが、アシモフ(Isaac Asimov)の科学エッセイだった。運よく、その本(日本語版)は家にのこっている。その記述をたしかめてみた。

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宇宙には、地球のほかにも、生命が存在しうるだろう。生命が存在しうるところはどこにあるか、という問題がある。ちかごろ、そういう問題は、habitable planet あるいは habitable zone ということばで論じられることがおおくなった。

生命の特徴として、増殖や代謝を抽象的に考えるならば、化学物質によらない生命さえありうるかもしれない。しかし、現代の科学者には、そのようなものの実際に機能しうるモデルを考えることはできそうもないので、そのようなものは科学的考察の題材にはなりそうもない。

Schrödinger (1944)は、熱力学的考察から、生命には、適度に安定であってしかも変化しうるような物質が必要であり、それは高分子だろうと考えた。のちに遺伝子の実体が核酸であることがわかったが、Schrödinger はそれがもつべき性質を予言していたといえる。

いま地球上にいる生命(ウイルスもふくむ)は、核酸とたんぱく質という、炭素原子どうしの結合を骨格として酸素・水素が結合した高分子によって増殖と代謝を可能にしている。宇宙の別のところで発生した生命は、ちがう種類の分子でなりたっているかもしれないが、それが炭素・酸素・水素化合物ならば、溶媒として液体の水を必要とするだろう。もし、生命をそのようなものにかぎるとすれば、生命が存在しうるところは、液体の水が存在しうるところにふくまれるだろう。

では、炭素化合物のほかに、生命のかなめとなりうる化学物質があるだろうか。それを考えることが科学的考察の題材になりうるだろうか。

(阿部 (2015)の本では、habitable planet の条件を、液体の水が存在しうる条件と同じとしてしまっているが、それは、炭素化合物以外のものをかなめとする生命は、まだ科学的考察の対象になりがたい、という判断なのだろうと思う。)

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ゆきまさかずよし (@Kyukimasa) さん の tweet では、まず Schulze-Makuch さんのウェブ記事が参照され、その情報源である、Petkowskiほか (2020) の論文にもふれている。

Petkowskiほかの論文では、ケイ素を主成分とする高分子が生命のかなめとなる可能性について考察している。論文をひろいよみしてわかった範囲では、つぎのようなことを言っている。われわれの有機化合物の炭素をケイ素におきかえたような、ケイ素原子どうしの結合でなりたつ分子は安定になりにくく、地球の岩石のように、ケイ素と酸素が交互につながる結合で分子の骨格ができるほうが可能性がありそうだ。高分子になる物質よりもむしろ、溶媒のほうがむずかしい。水やアンモニアではうまくいかず、可能性があるのは濃硫酸だという。

Schulze-Makuch さんは、この論文やそのほかの情報源をふまえて、記事の題名になっているように、ケイ素をかなめとする生命は現実にはありそうもないと考えている。

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Petkowski ほかの論文は「Asimov (1954)」を参考文献にあげているが、それは、ケイ素が酸素についで地殻に2ばんめに多い元素だといっているだけのようだ (著者がそれで学んだのかもしれないが、それが文献として適切か、また、この事実をあげるのに参考文献が必要なのか、疑問なのだが)。この論文には参考文献としてでなく Asimov の名まえが出てくるところがあって、それは 1955 年に出た "The Talking Stone" というSF小説だ。Schulze-Makuch さんもこれの題名をあげている。わたしはそれを読んでおらず、どういう話か知らない。

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少年のころ読んだ Asimov の科学エッセイの本のうち、『生命と非生命のあいだ』は、2011年に読みかえした。生命のかなめとなる元素としてケイ素を想定する話は「21. 我ら「中間型生物」」に出てくる。Edward Seiler and Richard Hatcher による www.asimovonline.com のリストを参照すると、もとの題名は We, the In-Betweens で、1961年6月に Madmoiselle という雑誌に出たものだ。

同じ話題なのだが、『空想自然科学入門』 の「4. われわれの知らないようなやつ」のほうがしっかり書いてある。www.asimovonline.com を参照すると、もとの題名は Not as We Know It で、1961年9月にFantasy and Science Fiction (F&SF) という雑誌に出たものだ。

そのエッセイでは、金属生物、蒸気生物、エネルギー生物、精神生物 ... などを仮想する話もあるけれども、おもに「宇宙に普遍的な原子を基本とした生命が、純粋に化学的な現象として取ることのできる形態のうち、もっとも可能性のあるもの」を考えている。

(Schrödinger 『生命とは何か』への言及はないが、『空想自然科学入門』 の「3. これが生命だ!」(もとの題名はThat's Life!で、1962年3月に F&SF に出た) には、わたしが Schrödinger のものとしてのべたものとにた議論がある (そのエッセイ自体の結論は、生命は核酸をふくむものだという、地球型生命限定のものなのだが)。おそらく Asimov は Schrödinger の議論を読んだうえで自分のものにしてしまい、文献としてあげる必要を感じなくなっていたのだと思う。)

その結論のような形で、「背景」つまり溶媒と、「主役」となる、「ほとんど限りない構造の変化が可能である巨大分子」の組み合わせとして、つぎのものをあげている。このうち3番がわれわれ地球の生命だ。「(O)」「(N)」というのは、われわれの知っている有機物で酸素がはたすやくわりを、アンモニアを溶媒とする生命では窒素がはたしているだろうという意味だ。脂質は無極性の高分子の代表としてあげられている。

  • 1. フッ化シリコーンの中のフッ化シリコーン[注]
  • 2. 硫黄の中の炭化フッ素
  • 3. 水の中の核酸・蛋白(O)
  • 4. アンモニアの中の核酸・蛋白(N)
  • 5. メタンの中の脂質[リピド]
  • 6. 水素の中の脂質[リピド]
  • [注]『空想自然科学入門』 の原文には「シリコン」とあるのだが、あきらかに silicone にちがいないので「シリコーン」と変えておいた。ケイ素-酸素結合を骨格とし、炭素もまざった高分子だ。また「弗素」「弗化」という表記を「フッ素」「フッ化」に変えた。「炭化フッ素」は「フッ化炭素」というべきかもしれないが、炭化水素の水素をフッ素におきかえたものなので、この順序のままにした。

シリコーンはふつう、末端には水素原子がついているのだが、ここでいうフッ化シリコーンというのは、その水素がフッ素におきかわったものだ。Asimovは、ケイ素を骨格とする分子が生命になりうるのは地球よりもだいぶ温度が高い環境であり、そこでは水素をふくむ化合物は不安定だが、水素をフッ素におきかえれば相対的には安定になるだろうと考えた。そして、低分子のフッ化シリコーンを溶媒として、高分子のフッ化シリコーンをかなめとする生命がなりたつかもしれないと考えた。

Asimov がこの結論にいたるまでにどのくらいの科学的検討をしたかはわからない。暗算程度であり (化学に関する量の暗算能力は高かったにちがいないが)、化学の研究成果を出すのならばするはずの定量的な計算はしなかっただろうと想像する。また、わたしが気づいたかぎりでは、Asimov がシリコーンにもとづく生命を話題にしているのはこのふたつの文章だけであり、いずれも1961年に最初に出たものなので、フッ素の結合したシリコーンという考えは、Asimov にとっても短期的な仮説にすぎなかったかもしれないと思う。

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Petkowski ほかの論文は、Asimovのこのエッセイを参考にしたようすはないが、高温の状態でシリコーンにもとづく生命物質を考えるところでは、水素におきかわってフッ素の結合した分子をとりあげているところはある。

Petkowskiほかの議論(の、わたしがわかった部分)のうち、Asimov の空想といちばんちがうのは、シリコーンによる高分子をなりたたせる溶媒として硫酸を考えたことだ。(科学者であっても多くの人が知っている硫酸は希硫酸つまり硫酸の水溶液で、そこで基本となる溶媒は水なのだ。水をふくまない濃硫酸が溶媒となる環境でどんな反応がなりたつかを考えた人は、まだすくないだろうと思う。)

文献

  • 阿部 豊, 2015, 文庫版 2018: 生命の星の条件を探る。文藝春秋。[読書メモ]
  • I. Asimov, 1954: The elementary composition of the earth’s crust. J. Chem. Educ., 31: 70. [Petkowskiほか 2020の参考文献 8。わたしは直接見ていない。]
  • Isaac Asimov, 1963: View from a Height. Doubleday.
  • [同、日本語版] アイザック・アシモフ 著, 小尾 信弥、山高 昭 訳, 1965: 空想自然科学入門 (ハヤカワ・ライブラリ)。早川書房, 244 pp.
  • Isaac Asimov, 1967: Is Anyone There?. Doubleday.
  • [同、日本語版] アイザック・アシモフ 著, 山高 昭 訳, 1968: 生命と非生命のあいだ (空想科学入門 3) (ハヤカワ・ライブラリ)。早川書房, 328 pp. [読書メモ]
  • Janusz J. Petkowski, William Bains & Sara Seager, 2020: On the potential of silicon as a building block for life. Life, 10(6): 84. https://doi.org/10.3390/life10060084
  • Erwin Schrödinger, 1944: What is Life: The Physical Aspect of the Living Cell. Cambridge University Press.
  • [同、日本語版] シュレーディンガー 著、 小天、鎮目(しずめ) 恭夫 訳 (新書版 1951年, 1975年; 文庫版 2008年): 生命とは何か -- 物理的にみた生細胞。 岩波書店 (岩波文庫 青946-1)。[読書ノート]
  • Dirk Schulze-Makuch (2020-06-11): Silicon-based life, that staple of science fiction, may not be likely after all. Air & Space. https://www.airspacemag.com/daily-planet/silicon-based-life-staple-science-fiction-may-not-be-likely-after-all-180975083/