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大学は、ふたたび、いちばん暑いときを夏休みにしよう

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【この記事は、社会にこのように変わってほしいという意見をふくみますが、それを主張するようにしっかり構成したものではなく、雑談的になっています。】

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気温は毎日変動するけれども、なめらかにしてみると、温帯の地点ではたいてい、1年周期のサインカーブ(正弦波)で近似できる。日本の大多数の地点では、1年周期で近似した気温の最高は、8月上旬、二十四節気でいえば立秋のころにくる。

ところが、この2010年代、日本の多くの大学では、このいちばん暑い時期に、授業や試験があることが多い。いまでは大学の教室にはエアコンがあることが多いとはいえ、この時期はおおぜいの人を教室にあつめて なん時間もすごさせるのに適した時期ではないと思う。しかも、大学への通学・通勤ではほとんどの人が暑い野外の空気の中を歩き、冷房のきいた室内とのあいだの大きな温度差にさらされることになる。30年ほどまえは、そうではなかった。むかしのとおりにもどすのはむずかしいとしても、もどす方向で修正したほうがよいと思う。

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日本の学校 (ここで単に「学校」というのは、初等中等教育の学校、いまの制度では小学校、中学校、高等学校をさすものとする) の学年は、近代的学校制度ができたはじめから、全部ではないけれど多くの場合に、4月からはじまる。(この学年は役所の会計年度とも一致している。この一致はかならずしも世界の常識ではない。) そして、大部分の学校は3学期制をとっている。1学期、夏休み、2学期、冬休み、3学期、春休み とならぶ。冬休みは年末年始、春休みは学年末をふくむように構成されている。夏休みは、お盆などの伝統的社会の習慣を考慮した面もあると思うが、子どもを教室にあつめて授業をするのに適しない季節だから休みにするという面もあると思う。

1960-70年代に中部地方の平地でそだったわたしにとっての夏休みは、7月下旬(たとえば7月22日)から8月末までだった。東京でもだいたい同じだと聞いている。ただし、夏休みの期間は地方によってちがう。寒い地域では、寒くて授業に適しない日を冬休みにふくめるから、夏休みは短めになる。短いばあいでも、8月上旬は夏休みになるのがふつうだと思う。

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わたしが1970年代後半に学生、1980年代前半に大学院生、1980年代後半に教員として所属した大学では、学年のはじめは4月だが、学期は2期制で、前期(夏学期)が4月から9月まで、後期(冬学期)が10月から3月までだった。ここまでは、そのころもいまも、おおすじで同様な体制をとっている大学が多いと思う。

しかし、1970-80年代の大学は、学校とだいたい同じ時期に夏休みがあった。夏休みは前期の内にあったのだ。7月下旬から8月には授業がなく、9月に授業が再開する。前期末試験は9月にある。教員は「夏休みの宿題」を出して、そのレポートを受け取って9月に成績をつけることもできる。

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1990年代のいつかから、情勢がかわった。

世界の国ぐにの大学の学年のはじめは一様でないが(たとえば韓国は3月)、すくなくとも欧米では、9月または10月からはじまるところが多い。そういうところとのあいだで、学生が授業の単位をとれる形の留学をしやすくしようという動機が重視された。教員の外国とのいききも考慮されたかもしれない。それで、9月はじめには前期の成績がつけおえられていなければならなくなった。9月に前期の授業や試験をすることはできなくなり、前期の授業は夏休みのまえにあつめられ、7月末か8月はじめに達するようになった。

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さらに、2000年代のいつかから、授業時間数の規制がきびしくなった。

大学設置基準で、「2単位」の講義科目ならば30時間の講義があるべきだとされている。90分を2時間とみなす慣例はみとめられてきたのだが、90分ひとこまの授業ならば15こま必要だ。週1回ならば15週間かかることになる。

2000年ごろ以前は、計画では15回授業をすることになっているが、実際は、教員が学会に出席するなどの理由で休講にして、授業回数がたとえば12回ぐらいまでへることはめずらしくなかった。大学教員は研究者でもあるから、学会で発表するのも本業だし、教材内容を改善することを回数を確保するよりも優先してもよいと考えられていたのだと思う。

ところが、情勢がかわって、休講がゆるされなくなった。教員の病気や、自然災害(この件はあとでもどってくるが)で通学が危険になったことによる休講でさえ、補講が必要とされることが多い。そして補講をふくめた前期の成績を8月中につけなければならないので、補講はいちばん暑い季節にかさなることがおおい。

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1980年代以後の日本の政治は、「国民の祝日」やそれに準じる休日をふやしてきた。また、祝日をなるべく月曜日に集中させるような制度変更をした。これと、大学の授業日数を確保することの規制強化とは、同じ政府の政策どうしで、正面衝突する。

まず、月曜日が祝日やふりかえ休日で授業に使える日数がへってしまったので、それぞれの大学は、時間割上で月曜の授業を余裕のある曜日にもってくることでしのごうとした。これはそれぞれの大学が別々にくふうしたので、複数の大学で授業を担当する講師には対応しきれないこともあった。

それでも日数がたりなくなったので、大学は、祝日やふりかえ休日であっても、授業日にしてしまうことが多くなった。(学校は休みなので、学校にかよう子どものいる教職員の苦労がふえた。)

また、1回の授業時間を90分よりも長くすることによって、授業のある週の数をへらす大学も出てきた。(帰宅時間がおそくなるので、家族に子どもや高齢者のいる教職員の苦労がふえた。学生の生活にも影響があるはずだ。)

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わたしは、日本列島にある大学は、いちばん暑い季節を夏休みにするべきだと思う。それは、気候に適応した生きかたをしよう、という発想の例だ。

エアコンがあっても、かならずしもおおぜいの学生をあつめて講義をするのに適した室内環境にならないし、電力を消費する。そして、通学・通勤では多くの人が暑いところをとおらないといけない。

日本のうちでもすずしい気候のところでも、いちばん暑い季節にエアコンなしで講義するのはつらいだろう。そして、いちばん暑い季節だけ休みにすれば、(実験室は別として)講義室にはエアコンをつけなくてもよい、という条件のところもあると思う。

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外国とのいききという面でも、授業が夏におおきくくいこむのは、まずい面がある。国際学会が、欧米型の学期制度をもっている大学が6月に学期(そして学年)がおわることを前提として、7月に開かれることがわりあい多いのだ。日本の大学教員が (授業単位をとらないといけない大学院生も) そのような国際学会に出席することが、とてもむずかしくなった。

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しかし、むかしのような2期制にもどすことは支持されにくいだろう。

わたしは、1970年代に筑波大学が採用したような 3学期制がよいと思う。1年の授業を3等分して、第1学期を4月から6月まで、第2学期を9月からにするのだ。(ただし、第3学期は、2-3月には入学試験などのせいで授業に使えない週があるので、年明けからではまにあわず、12月あるいは11月下旬からはじめる必要がある。) これならば、第1学期をおえて欧米型のところに行き、そちらの学年をおえて日本の第2学期にもどる、という留学計画が組めると思う。

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これまでの議論で考えおとしたところがある。大学には、授業が休みの期間に働かなければならない人もいることだ。授業につかう教室の改修工事などがそれにあたるかもしれない。そのようなしごとが、いちばん暑い期間にわりあてられることが、その担当者に苦痛となる可能性も、学期制を変える際には考慮する必要があるだろうと思う。

野外実習や集中講義の日程をどうするかも課題だ。

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気候のことを考えるならば、台風という問題もある。9月は台風の多い季節だ。しかし、年度はじめの授業カレンダーをつくる段階で、どの週に台風がくるかは予測できない。9月よりは確率がやや低いものの、8月にくる可能性もある。台風によって授業ができない週が生じる可能性がいくらかあると見こんだうえで、臨機応変にやるしかないだろう。

台風にかぎらず地震などの自然災害や、交通機関の事故のばあいも同様なのだが、学生や教員が大学にたどりつけないおそれがある、あるいは経路が危険だ、と判断されたばあいには (台風のばあいは前日ぐらいに判断できるだろう)、明確に休講にするべきだろう。休講になった授業でおしえる予定だったころは補講するのがすじではあるが、「補講になるとややこしいから災害時でも授業をやってしまおう」というふうに流れないようにルールをつくる必要があると思う。