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「令和」について考えたこと

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【この記事は、個人的なおぼえがきで、専門知識の解説ではありません。個人的意見をふくみますが、自分の主張を社会にうったえるための記事ではありません。】

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西暦2019年5月1日から、日本の「元号」が「令和」になった。これにともなって、いろいろなことを考えた。

元号がかわったのは天皇の代がわりにともなってのことだったから、もちろん、天皇という制度についても考えたのだが、その話題にわたると長くなるので、この記事ではふれないことにする (別の記事にするかもしれない)。

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わたしは、どちらかというと、元号という制度を、国の公的なものとしては廃止したほうがよいと思っている。ただし、わたしは、自然科学を専門にしたので、西暦をつかわないわけにはいかないという、日本の住民のなかでは かたよった事情をもっていることは自覚している。いまのところ本気で元号廃止の運動をするつもりはない。しかし、一般市民が役所や学校や銀行などに文書をだすとき (また組織内ではたらく学者などが組織運営上の文書をだすとき)、現状では元号で書くことがもとめられているところでも、西暦でもよいことにしてほしい、とは思っている。こちらの運動ならば、いまのところしていないが、するかもしれない。

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わたしは「昭和30年代」に生まれた。昭和のあいだは、昭和と西暦を併用することになったが、他の元号の年をかぞえる必要はほとんどなかった (父が大正うまれだったので、その生年月日を書くときだけ意識した)。西暦は下2けただけを使うことが多かった。同じ年の西暦の下2けたと昭和との差は25だ。これは (昭和の中にいたあいだは) とりちがえない程度に大きかった。また、差の1のくらいは5だったので、換算のさいにどちらからどちらへの換算では「たす」、逆の換算では「ひく」ということを区別して意識しないですんだ。だから、昭和のあいだは、併用することをあまり負担に感じなかった。

「平成」になると、西暦の下2けたとの差は12になった。この差はわりあい小さくて年をとりちがえやすい。また、差の1のくらいが2だから、どちらからどちらへの換算なのかを意識しないといけない。また、平成と昭和とのあいだで、年数の差などを計算する必要もある。平成と昭和の差の1のくらいは3だ。急にややこしくなった気がした。

令和と平成との差の1のくらいは 0 だ。この点だけは、複雑さがふえずにすんだ。しかし、まだ昭和も必要だから、換算対象が西暦、令和、平成、昭和の4つになったことでは、複雑になった。

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「令和」がきまるまえに、予想した。元号をローマ字1文字で略すことがよくある。「平成」「昭和」との区別はあきらかに必要だから、新元号は H と S で はじまるものにはしないだろう。「大正」の T、「明治」の M もさけたほうがよいかもしれない。「慶応」以前はあまり気にしないだろうし、過去の元号でいちばんおおかった頭文字は K だから、Kはありうるだろう。ほかには、Nと、母音がありうるだろう。R は、あとで考えればありえたのだが、わたしの予想からはぬけおちていた。

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4月1日には、まず文字として「令和」が報道された。(放送では声でよまれたはずだが、わたしはそのとき放送をきいていなかった。) そのあと、ローマ字表記「Reiwa」が報道された。それは「L か?」という問いに「R だ」とこたえたものだったのかもしれない。

しかし「Reiwa」が報道されるまで、わたしは「令和」は「りょうわ」かもしれないと思っていた。(「しょうわ」とひびきが近すぎるから、ありそうもない、とも思ったのだが。) 「令」は「律令」の「令」だったから、古代の朝廷の伝統につながることばでは「令」は呉音の「りょう」だろうと思ったのだ。

元号一覧を見ると、元号の漢字は、むかしから最近まで、呉音と漢音がまざって使われている。ただし、平安時代(の元号の現在までつたわっているよみ)には呉音が多く、江戸時代には漢音が多い。時代とともに呉音がへって漢音がふえたようだ。たとえば「慶」は「きょう (ぎょう)」から「けい」に、「暦」は「りゃく」から「れき」に うつってきた。近代では、大正の「しょう」は呉音だが、明治の「めい」、平成の「へい」「せい」は漢音だから、令和の「れい」も前例からはずれたものではない。

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冗談として、つぎのようなことがおこりうると空想した。「令和二年」 → 外国にいる日本古典愛好者が「Ryowa 2」だと思ってそう書く → 英文校閲者が「Syowa 2」となおす → 引用者が1927年と換算する → 読者が内容からみて2027年のまちがいだろうと思う。

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「令和」の字をみて、いろいろな人がいろいろなことを言った。わたしは Twitter を見ながら考えていた。つぎのどれがだれの発言だったか、あるいはわたし自身が考えたことだったか、思いだせなくなっている。

「令」の字から現代日本人の多くがまず思いあたるのは「命令」だろう。また、漢文では「令」は使役動詞となり訓読では「せしめる」とよまれることもある。たとえ「和」が平和、調和などのよい意味だとしても、「命令に和する」や「和せしめる」では、政権から個人に秩序が強制されるような体制を思わせるところがある。

Zero sum を「零和」と書くことがある。同じ部品(とくに形声の「声」の部分)をもつ漢字であらわされることばは、古代中国語で同じ「単語家族」(藤堂 明保 氏の用語)に属していた可能性がある。「令和」社会は、だれかが得をすればそのぶんだけだれかが損をする zero sum 社会なのか?

「冷」も同じ部品をもつ、おそらく同じ単語家族の字だ。「令和」は「冷和」、つめたい平和なのか?

「令」を「冷」、「和」を日本のことと思えば、まさに Cool Japan だ、という発言も見かけた。その人が cool をよい意味で使ったのか、悪い意味で使ったのかは、わたしは追いかけていない。

「令」は「うるわしい」というような意味だ、というのが、いわば公式見解のようだ。

元号を使わなければならない人は、いつも悪い意味を思いだしながら使うのはつらいから、よい悪いの価値をもたない単なる記号ととらえるか、よい意味をもたせることにするか、どちらかになるだろうと思う。

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元号をきめるまえに、総理大臣かその周辺から、今回は漢籍でなく日本の古典に根拠をおきたい、というような発言があったと報道された。中国の伝統からの独立をつよめたいという意志があったのかもしれない。しかし、元号は漢文の伝統にもとづいたしくみであり、もし やまとことば でつくろうとすると、むしろ、従来の元号をやめて新しい制度をつくるようなものになってしまいそうだ。その準備はなかった。どうなることかと思った。

実際にきまった「令和」の根拠としては『万葉集』、ただし、和歌ではなくそれがよまれた状況を説明する漢文の部分がつかわれた。そしてその語句はさらに古い時代の中国の古典を参考にくみたてられたこともあきらかだった。これは、(ひとまず元号制度をつづけることを前提とし、日本人の生活にとって中国古典がしだいに遠くなっている状況も考えれば) うまい解決だったと思う。

[2019-04-03 もうひとつの「国語元年」][2019-04-04 梅はさいていたか]の記事も、これに関係する。