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モンスーン、monsoon、季節風 (4)

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

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「モンスーン、monsoon、季節風」については、[(1) 2014-07-07] [(2) 2017-10-31]の記事で、いろいろな論点をあげた。また、[(3) 2018-06-20]の記事には、「風向の逆転」という観点でデータ解析をしてみた結果を紹介した。

この記事では、わたしがちかごろこの主題について考えているいくつかの論点を列挙する。

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日本語圏のうちで、「モンスーン」や「季節風」ということばは、人によってちがう意味で使われている。次のような複数の観点でのちがいがあると思う。

  • 日本語としての「モンスーン」と「季節風」は同意語か、別か?
  • 「モンスーン」は風に注目するか、雨に注目するか
  • 風の場合、季節間で風向の逆転があることが必要か、一方の季節の風向が明確ならばよいか
  • 雨の場合、明確な雨季と乾季があることが必要か

だれかが意味の統一をよびかけたとしても、みんなを動かすことは不可能だと思う。

わたしは、2000年ごろから、「アジアモンスーン」あるいは「モンスーンアジア」を題目に含む 気候・水文の研究プロジェクト(「GAME」や「MAHASRI」) に参加してきた。そのプロジェクトはいずれも、モンスーンということばの意味を明確に定義しなかった。むしろそのことによって、おおぜいの研究者を結集することができたのだと思う。(ただし、この論点には深入りしないでおく。)

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夏と冬とで風向が逆転することを定義とした季節風(またはモンスーン)の分布については、[(3)の記事]で述べた。

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梅雨はモンスーンか、という問題もある。

GAMEやMAHASRIでは、梅雨はモンスーンに含まれることを当然の前提のようにしてきた。しかし、それはプロジェクト遂行上の方便だったかもしれない。

わたしの感覚では、大陸上(中国)の梅雨(Meiyu)ならば、陸面の昇温に続いて雨季がくるので、「モンスーン的」だと思う。(この感覚は熱帯モンスーンを基本としたものだ。) ただし陸面昇温は華北が主、雨季の降水帯が停滞するのは華中が主で、位置がずれていると思う。(GAMEやMAHASRIの中では、もっとくわしく、陸面状態と降水との関係を論じた研究がされたのだが、わたしは残念ながらそれをふまえて考えることができていない。)

日本の梅雨(Baiu)を、大陸と一連でなく別に見るならば、あまりモンスーン的ではないと思う。(大陸と海洋の境界にできるといえなくはないが、境界にそうわけでもない。)

児玉安正さんは、梅雨前線を、南太平洋収束帯(SPCZ)、南大西洋収束帯(SACZ)と同類の、亜熱帯降水帯として論じた。弘前大学のサイトにある児玉さんのページ http://www.st.hirosaki-u.ac.jp/~kodama/ に、解説があり、研究論文へのリンクもある。

その解説の中で児玉さんは、亜熱帯降水帯が「熱帯モンスーンの降雨域に隣接してその東方に存在しており,熱帯モンスーンと降水帯の密接な関わりが予想される」と述べている。【ということは、亜熱帯降水帯と熱帯モンスーンとは、関連はあるが、別ものと見たことになる。ただし、大きな「モンスーン」があって、その部分として「熱帯モンスーン」と「亜熱帯降水帯」があるという構造でとらえる可能性はあるかもしれない。児玉さんがご病気で疑問に答えていただけそうもないのが残念だ。】

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「熱帯モンスーン気候」というと、学校教育では、ケッペンの気候区分の Am をさすことが多いらしい。

わたしは、ケッペンの気候区分を、学校の授業で話題にすることはよいと思うが、生徒に操作可能になってもらうのは、[2018-05-31の記事]に書いたように、大分類(A, B, C, D, E)までにするべきだと思う。

とくに、Am の所在を問うのはうまくないと思う。一例としてWikipedia英語版の「Tropical monsoon climate」(2018-06-20現在)の地図を見ると(どんなデータにもとづいてつくられたのか、まだ確認していないが)、Am は、アマゾン川コンゴ川流域など、(陸の乾湿の季節変化はそれなりにあるのだが)わたしの主観ではモンスーン気候というよりも熱帯雨林気候と思うところに出てくる。アジアのモンスーン地帯では、インド西海岸、ベトナム中部、ルソン島などはよいが、その中間で、わたしの主観ではモンスーン気候を期待するところがぬけている(Af または Awと判定されているにちがいない)。

矢澤(1989)によれば、ケッペンは、まず、熱帯は、乾季がなければ密林、乾季があれば疎林になるだろうと考えて、気候をAfとAwに分類した。ところが、乾季があるにもかかわらず、(疎林でない)森林が成立しているところがある。そこをAmと考えて、経験的に月降水量であらわす式をつくったようだ。Amの気候を形容するのに Monsun ということばを使うことはあったが、風のことは考えていない。(ケッペンが Monsunをどういう意味で使ったかは、矢澤の本を読んだかぎりではよくわからない。なお、ケッペンが風に関心がなかったわけではない。ケッペンは海上の気候を論じる際には風を主に考えていた、と読んだ(不確かな)記憶がある。陸上の気候区分という作業の方法論として風を使わなかったのだ。)

いまでも、気候と植生の関係を考えるうえで、「乾季はあるが森林がなりたちうる」気候条件を考える意義はあると思う。しかし、たぶん、ケッペンの定義はうまくないだろう。

もしケッペンのAmを話題にしたいのならば、単に「熱帯モンスーン気候」と言うのではなく、「ケッペンの」とことわってほしい。

「熱帯モンスーン気候」ということばは、ケッペンとは別に、今の研究者の感覚にあうように定義しなおして使いたい。ただし、まだ共通理解があるわけではないので、使うときごとに、どういう意味で使っているかを読者に伝える必要がある。(「ケッペンのAmではない」という注記も必要かもしれない。)

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学術研究での用語は各人の見識にまかせてもよいかもしれないが、学校教育の用語については統一したほうがよい([2018-06-06の記事]参照)。とくに、同じ語がちがう意味で使われると混乱をまねく。

しかし、「季節風」や「モンスーン」については、地理と地学の教科書の執筆者にかぎっても、定義を統一して使うのはむずかしいと思う。

明確な定義ではなく、典型例によって示し、典型例からの類推のしかたも例示したうえで、典型例からはずれて類推も困難なところについては問わない(季節風であるとしてもないとしてもまちがいではない)とする、というのが現実的なところだと思う。

季節風」と「モンスーン」は同意語で、一方があらわれてよいところには他方もあらわれてよいとするべきだと思う。英語 monsoon や 中国語「季風(jifeng)」などが両方に対応するからだ。

そういう了解のもとで、慣用として、日本の冬の話題では「季節風」、インドの雨季の話題では「モンスーン」と表現するのもよいだろう。ただし、東南アジア(ベトナムやマレーシア)の冬の話題では「北東季節風」も「北東モンスーン」も同じくらいもっともだ。

文献