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気象学の学術雑誌についての覚え書き

【まだ書きかえるかもしれません。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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現代の学術研究の成果を記録する媒体として、査読ずみの学術論文をのせる学術雑誌がいちばん重要だ。ここでいう学術論文は、(原則として著者たち自身の)オリジナルな研究について、どんな材料・方法によってどんな結論が得られたかを、同じ専門の同僚に理解できる形で述べた文章だ。学術雑誌は逐次刊行物で、その発行主体は学会だったり出版社だったりする。

学術雑誌のありかたは時代とともに変遷している。科学史研究者のグループが、それをレビューするための材料を求めているそうだ。それに応じて、自分の知っていることを提供しようと思ったが、記憶が不確かなところがある。少し確かめはじめてみたが、その作業を続けることはむずかしそうだ。対象の選択が気まぐれで、事実確認も途中なのだが、ひとまず書きだしておく。

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日本気象学会は、英語の査読ずみ論文をのせる学術雑誌 Journal of the Meteorological Society of Japan (JMSJ)を持っている。これは「気象集誌」という日本語名ももっている。原則として年6回(隔月)刊行だ。これと別に『天気』という月刊の「機関誌」を出している。『天気』の記事はほとんど日本語で、査読済み論文ものせるけれども、学会活動のお知らせと、解説記事がおもだ。

天気』の創刊は1954年で、それから毎年、暦年ごとに1巻としている。

天気』の創刊とたぶん同時に、JMSJは英語の論文に特化した雑誌になった。ただし、巻の番号はそれよりも前から通しでつけられており、1954年に出たのはSeries 2 (第2輯)の第32巻だ。1953年以前のJMSJ=気象集誌には、日本語で書かれた記事ものっている。

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わたしが大学院にはいった1980年ごろ、気象学を学ぶ大学院生が読むべき学術論文雑誌は、アメリカ気象学会の Journal of the Atmospheric Sciences (JAS)など(どの雑誌かは気象学を細分した専門による)、イギリス(王立)気象学会のQuarterly Journal of the Royal Meteorological Society (QJRMS)、スウェーデン地球物理学会の編集でデンマークにある出版社が出していた Tellus、そして JMSJ だった。

QJRMSは昔からあった。いま、とりあえずWikipedia英語版によれば、1871年Bibliography of Meteorological Literature として創刊され、1873年にいまの題名になったそうだ。わたしが読んだのは第2次大戦後のもので、その時期の内容はほとんど査読済み学術論文だった。(ときどき記念講演記録がのるが、それもレビュー論文とも言える。) もっと古い時代にどういう性格の雑誌だったかは知らない。

アメリカ気象学会の論文雑誌は 1944年にJournal of Meteorologyとして創刊され、1963年にJASJournal of Applied Meteorology に分かれた。その後、いくつかの分割や創刊がある。論文雑誌と別に、(上記の『天気』と似た性格の) 機関誌 Bulletin of the American Meteorological Societyがある。

Tellusは1949年創刊で、1983年に、大気・海洋の物理を扱うSeries Aと、大気・海洋の化学を扱うSeries Bに分かれた。

ここにあげた学術雑誌の編集スタイルはいずれも似ていたと思う。とくに1980年代当時のJMSJは、わりあい細かいところまでアメリカ気象学会の学術雑誌とあわせていた。ただし判形は、アメリカ気象学会がAmerican Letter Sizeだったのに対して、JMSJQJRMSTellusと同様にB5判だった。(今の JMSJ はA4に近い判形に変わっている。)

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アメリカで出ていた雑誌にもうひとつ、Monthly Weather Review (MWR)がある。1980年にはすでにアメリカ気象学会の学術論文雑誌のひとつになっていて、JASがおもに理論の論文をのせるのに対してMWRは観測事実中心の論文をのせるという分担をしていた。

しかし、歴史をさかのぼると(また、とりあえずWikipedia英語版によっているが)、MWRアメリカの気象現業機関が発行していた。1872年に創刊されたときは US Army Signal Corps、1891年からはWeather Bureau、1970年からはNOAAの雑誌だった。それが1974年から学会に移管され、学会の雑誌のひとつとして再出発したのだ。

かつてのMWRの内容は、学術論文よりもむしろ、異常と思われる天気現象の報告文などが多かったようだ。(ただし、わたしは少しの事例を見ただけなので、この記述には自信がない。)

1960年代には、学術論文中心の雑誌になっていたが、編集方針に学会誌とはちがったところがあったようだ。

気候モデルの発達のうえで重要な文献として、Manabe と Bryan による1969年の大気・海洋結合モデルの三部作があるが、これは論文3つで MWR の1つの号をしめている。1983年ごろに真鍋さんにきいたところでは、学会誌ならば、論文のページ数制限があるか、ページ数に応じたお金(ページチャージ)をとられるので、こんなに長い論文を出すことはできなかった。1969年当時の MWR は NOAAの前身のESSAの出版物であり、真鍋さんたちのいた GFDL も ESSA の部分だったので、出せたのだそうだ。たまたまそういう雑誌がなければ、短い論文が出て、詳しくは研究報告書を見よ、という形になっていただろう。研究報告書だと、逐次刊行物でも市販の本でもない、いわゆる grey literature になって、読者が実物にたどりつくのがむずかしくなっていたかもしれない。