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「水道民営化」について考えること

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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水道の「民営化」について、いろいろな報道や議論があった。しかし、議論がすれちがっていると感じられるうちに、2018年12月6日に、「水道法」という法律の改正が、国会で決まった。国の意思決定が、多くの人が問題の認識を共有しないまま進んでいまうのは、まずい状況だと思う。

わたしは、水資源がどこにどれだけあるかならば、直接研究はしていないが、専門のうちだ。しかし、水道の制度についてはしろうとであり、近いうちに勉強する予定もない。いま問題になっている「民営化」の構造をよく理解できていない。それでも、ひとりの住民として・有権者として、発言したいことはある。問題をじゅうぶん理解しないまま書くことをためらっていたのだが、これ以上さきのばしにしたくないので、ひとまずブログ記事として、いくつかの観点を列挙しておくことにした。

今回の水道法の改正でできることは「コンセッション」 (concession)だといわれる。ただし、この法律単独でなく、6月の「PFI法」改正と組になって可能になったらしい。(「PFI法」といわれるのは、「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」だが、国の内閣府のウェブページの題目も「PFI法」になっている。PFIはPrivate Finance Initiative である。)

「コンセッション」が「運営権売却」と表現されていることもあるが、それでよいのか疑問がのこるので、この表現はしないことにしておく。

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水道を維持することが、日本社会にとってむずかしい課題であり、その対策として、民間企業を育ててそれを使うことが必要だ、というところまではもっともだと思っている。(2012年ごろに調査活動に参加してそういう認識に至った。)

水道は基本的な社会インフラストラクチャーのひとつだ。そして、その運営には、複雑な知識が必要だ。

日本では、水道が必要なところにはほぼ普及した。設備ができてから年数がたち、いたんでいたり、いまの衛生基準からみて能力が不充分だったりする。設備の更新(とりかえ、つくりなおし)が必要になる。

日本では、水道の維持管理やサービス提供は、基本的に、地方自治体がやってきた。ところが、人口減少、公務員削減で、設備更新などに対応できない自治体が多い。ノウハウをもっている自治体もあるが、他の自治体を助けることを業務にできない。

(すべての水道を自治体がやっているわけではなく、住民が自主的にやっているところや、不動産開発者がやっているところもあり、それを公共水道に移行するという課題もあるかもしれない。)

世界には、新規に水道をつくる必要性のあるところも多い。日本に助けてほしいといわれたとき、管路や浄水場の建設ならば、できる会社があるが、維持管理やサービス提供の支援となると、ノウハウをもつのが自治体なのでひきうけられないことが多い。(自治体所属の個人が休職などでJICAが派遣することなどはあるだろう。) 外国に本拠をおくグローバル企業が業務をひろげ、日本は技術をもっていても貢献できない。

国内・世界の両方の需要にこたえるため、自治体からノウハウを受け継いだ民間企業をつくるべきだ、という議論があった。(実際にどうなったかは知らない)。

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水道事業の現場を民間企業の人が担当することならば、「業務委託」や「請け負い」という形もある。両者の意味のひろがりはちがうのだが、ここでは「請け負い」を想定して話を進める。

民間企業に請け負わせるとしても、自治体の事業である点では、直営とかわらない。事業の目標は自治体が設定し、企業はそれにこたえる。企業は、自治体が設定した目標を、効率よく実現することによって、利益をあげる。

利用者がはらう料金などは、企業による見積もりを参考にはするが、自治体が決める。料金をとる業務は請け負い業者がすることになるだろうが、それも自治体がすべき業務の代行である。

これは「民営化」とはいわないと思うが、「民間活力導入」ではある。わたしはこれならばよいと思う。ただし、自治体側に、目標設定ができる能力をもった人が必要だ。請け負い業者のほうが知識が圧倒的に多いと、自治体が「くいものにされる」おそれはあると思う。

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狭い意味で「民営化」というと、国鉄や電電公社などの場合のように、公共部門(国や自治体)がもっていた事業が、公共部門をはなれ、民間企業になることをさすと思う。

この場合、民間企業は、利益をあげる自由がある。値段を変えることも、商品の種類を変えることも、起業時の事業から撤退することも、その資本をつかって他の業種に進出することも、基本的には企業の自由である。(ただし、民間企業一般にかけられる産業規制にはしたがわないといけないし、個別企業の民営化の際に制約条件がつけられることもある。)

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この種類の公共事業「民営化」については、資本主義が強くなることを警戒する人びとからの反対がつよいことが多い。昭和(戦後)時代の慣用的用語で分類すれば、社会主義者から、「左」からの反対だ。

その論にしたがえば、公共部門をはなれた資本は、それ自体が利益をあげて成長しようとするが、当初必要とされていたサービスの提供を続ける責任をもたない。また、その利益は住民には還元されず、資本と住民との富の格差が拡大するだろう。だから、(この意味での)民営化は悪い政策なのだ。

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しかし水道事業の場合は、(いまではなく数年まえのことだが) どちらかというと「右」の、国家主義者・民族主義者からの反対の声が聞かれた。「水源が外国資本に買われてしまうといけない」という趣旨だ。

その議論でおもに問題になったのは、土地所有権だった。(水道の水源は必ずしも水道事業者の所有ではないが、所有でない場合も、所有者との契約による利用権が移転することを、同様にとらえることは可能だろう。)

実際には、水源地の土地を外国の人が買うことはあったが、それは「水を買う」という意図ではなかった、と言ってよいと思う。(水は、重さあたり あるいは 体積あたりの単価が安い財なので、日本の水を外国にもっていくことが利益になるとは考えにくい。日本で水を使って製品をつくることを目的として水源を買うことならばありうるが、それならば、(外国資本によるものであっても)日本の産業のための水資源利用になる。)

なお、仮想としては、日本に対して敵対的な主体が、日本の人の生活の困難をふやすことを目的として(自分も使わない)水道水源を買い占めることは、考えうるが、現実的ではないし、本気で問題にしていた人はいなかったと思う。

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わたしは、4a 節で紹介したほどはげしい反対ではないが、およそそれと同じ趣旨で、この意味の水道民営化には反対する。とくに、資産を売り渡してしまって (あるいは、独立していく企業への出資にしてしまって)、もしあらためて公共部門がやりたいとなったら、企業から買いもどすか、無関係に新規にはじめるしかない、という事態になるのは、非常にまずいと思う。

しかし、現在、日本で、この意味での水道民営化を推進しようとしている動きはないと思う。

【[2018-12-08 補足] 今回の「水道法」改定前でも、この狭い意味の民営化は法的に可能であり、今回の改正はつぎにのべる「コンセッション」を可能にするものだ、と聞いた。そういう事実の指摘から、野党などの「水道民営化に反対、したがって水道法改定に反対」という理屈はまとはずれだ、という意見につなげる発言も見られた。

日本にとって、狭い意味の水道民営化は、いますぐ起こりうることとしては現実的に考えられていないと思う。しかし、コンセッションが実現すれば、狭い意味の水道民営化もやりやすくなるだろう。したがって、狭い意味の水道民営化に反対することを理由に今回の水道法改定に反対するという理屈も、ありうるのだと思う。ただし、そういう意見を強く主張するためには、狭い意味の民営化とコンセッションとを区別して論じられるようにしたほうがよいと思う。

なお、同じ国会での漁業法の改定案についての、与党・野党の対立の構造は水道法のばあいと似ているが、問題の構造はだいぶちがうと思う。】

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現政権が推進しようとしているのは、「コンセッション」である。所有権は自治体が持つが、運営権を事業者企業がもつ。事業者企業は運営権の対価を自治体にはらう。したがって「運営権を売る」という表現がされることもある。運営権は期限つきがふつうだ。

これに「PFI法」が関係している。PFIは「民間活力導入」とされるが、とくに公共部門に「資金がたりない」ので民間資金を使う、という趣旨らしい。(技術がたりないだけならば請け負いでもよいはずなのだ。)

しかし、ここで出てくる民間資金は、利益をあげることを期待したものだ。公共部門が求めるサービス提供にくわえて、民間企業が利益をあげられる事業が、うまく共存できないと、効果があがらない。公共施設の建物ならば、(よしあしの価値判断はともかく)商業施設を同居させることができるが、水道については、共存して収益があがる事業を考えることがむずかしい。(水道管といっしょに通信ネットワークをひくことぐらいだろうか? それもたとえば電力会社と競争して勝つのはむずかしいだろう。)

- 5a -
水には、生命維持に不可欠なものだ、という特殊性がある。

(ただし、公共水道用水は人間社会の水資源利用のうちでは小さい部分である。農業用水、工業用水が大きい。たとえ食料生産や工業生産が国全体の人の生存に不可欠だとしても、個別の農家や工場の経営の保証は基本的人権ではない。)

しかし、水は、財としては、単価が安いものだ。費用がかかるのは、管路や浄水設備の設置と維持管理だ。設備を複数つくって競争させるのが現実的ではない。したがって、事業者の独占が自然発生する。(競争があるとすれば、業者が交代する可能性によるものだが、それが効果をあげるためには契約期間を短くしないといけないし、そうすると業務の持続性がそこなわれる。)

水は住民にとって不可欠なものだから、住民は独占からのがれられない。事業者が水道料金をあげても、(タンク車で競争できる水準までは) 消費者はしたがうしかないだろう。このような独占の構造によって事業者が利益をあげるのは、正義に反すると思う。

水道料金は、生存権保障として、貧しい人でも利用できるように設定するべきだ。これだけならば、民間事業にして料金設定についての公的規制をかけてもよいかもしれない。しかし、もし低所得者を特別あつかいにするならば、生存権にかかわる個人情報をあつかうことになるので、企業でなく公共部門の事業にすべき要因になる。

(わたしは、水道料金は安いほどよいとか、費用原価だけにするべきだとは主張しない。節約(需要抑制)がのぞましいという判断によって、料金を高めにして、利益が出れば別の公共目的に使うことも(あらかじめそう決めておけば)あってよいと思う。つまり、公共部門が主体で、公共的判断をするならば、独占の構造を利用してもよいと思う。)

- 5b -
水は天然資源であり、枯渇するストックでなく、自然の循環のフローの範囲で使うべきである。

したがって、利用量をふやして利益をあげるという経営方針はまずい。公共的観点からは、健康にさしつかえないかぎり、使用量はすくないほうがよいのだ。このことからも、水道を収益事業として企業を成長させることはむずかしいのだ。

- 5c -
このように考えてきて、わたしは、水道については、「コンセッション」「PFI」は推進すべきでないと思う。

自治体にお金がなくて、基本的人権として水道が必要ならば、国が公的資金(おそらく税金由来)をだすべきであり、もし国のお金がたりないのならば、税金を上げるべきだと思う。

- 5d -
ただし、どうにもお金がないので「緊急避難的に」公益の水道事業と何かの民間企業の収益事業を、あいのりする、というのはあるかもしれない。

(「緊急」という用語は不適切だと思うが、ここでは、お金がない状態が30年つづいているが、1年以内にお金がないと、生命の危険がある、というような事態をさすつもりで、ほかによい表現がみあたらないので、使った)。

法的には、原則ではないが特例として可能にし、自治体の提案を規制官庁が個別承認するような形がよいかと (法制度のしろうとなりに) 思う。

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コンセッションにせよ、請け負いにせよ、無期限にしてはまずいことはあきらかだと思う。

期限つきとしても、期限を長くすると、住民と事業者企業の意向がずれていても、修正されにくい。期限よりもまえにコンセッションから自治体直営(請け負い制をふくむ)にもどそうとしたら、「買いもどす」交渉と資金が必要になり、それは実際上できないことになるかもしれない。

しかし、期限を短くすると、人の雇用が継続されるとはかぎらず、また長期続けたい人がこないおそれがあるので、運営知識や技能がとだえるおそれがある。(あちこちの水道を請け負う企業が持続すれば、水道事業全般についての能力はたもたれるだろうが、地域固有の知識については、散逸してしまいそうだ。) また、住民との信頼関係が弱まる。これは請け負いの場合もありうることだが、請け負いならば、たとえば、これまで事業にかかわっていた人を雇うことを契約条件にふくめるなどの対策もとれるだろう。

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わたしの用語感覚としては、4節でのべた狭い意味の「民営化」はむしろ「私有財産化」「民有化」であり、5節でのべた「コンセッション」こそ「民営化」だと思う。しかし、用語については、通じることがだいじなので、独自の用語をもちだすことはさけておく。標準があればあわせたい。

わたしの意見は、水道については、コンセッションを含めた意味での民営化には反対、公共部門が発注主体となった請け負いならばよい、というものだ。

それとあわせて、公共部門側の発注能力を高める必要がある。とくに能力の高い自治体からとぼしい自治体への経験知の提供ができるような連帯組織があるべきだと思う。