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しんす - た

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

この記事はまったく個人的覚え書きで、知識を提供するものでも、意見を述べるものでもありません。

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表題の「しんす」と「た」のあいだには、便宜上、文字コードのうち古くからあったASCIIにもある「ハイフン」兼「マイナス符号」の字を入れておいたが、そこで意図しているのはダッシュなのだ。横書きならば横、縦書きならば縦の棒だ。「A - B」で、「AからBまで」、あるいは「A・何か・B」という連鎖、あるいは「題名A、副題B」のような意味になりうる。

(Unicode文字コードにはダッシュがあちこちに含まれていて、ブラウザやエディタのソフトウェアや、端末として使っている機械にインストールされているフォントなどによって、正しく表示されることもあるが、化けたり、「不明な文字」あつかいされたりすることがけっこう多い。それでわたしは便宜上、ハイフン・マイナスの文字を使うことが多い。それを2つつなげて1つのダッシュをあらわすこともある。)

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「A・何か・B」の例になるが、「しんす - た」のダッシュのところにひらがな1字がはいる文字列は、今年までの約15年間、毎週、あわせて何千回も見ている。職場のもよりだった駅名なのだ。JRの駅だから、駅名の掲示は、ひらがなが大きく書いてあるものが、漢字のものよりも多い。駅名を見た印象は、おもに、ひらがなで見た印象になる。

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ところが、わたし個人に関する限り、ダッシュのままの「しんす - た」のほうが、たぶん見た回数が多いのだ。わたしが、30年以上にわたって、そのうち半分くらいの期間、ほぼ毎日いた家の、いつもとおるところにあった (見ても意識したとはかぎらなかったが)。

その文字列は、本の背表紙にあった。わたしの親が持っていた、あいうえお順、8分冊の百科事典だ。約15年前に捨ててしまったので今は家にない。事典の名まえも思い出せるがここでは省略する。各分冊の見出し語の範囲のほうが鮮明に記憶に残っているのだ。ダッシュの使いかたとしては「AからBまで」の例だ。事典があれば背表紙を見ればよいのだし、なければ役にたたないのだから、覚えても得になることはないのだが、覚えてしまった。

  • 1. あ - おそ
  • 2. おた - きり
  • 3. きる - さい
  • 4. さう - しんし
  • 5. しんす - た
  • 6. ち - にほ
  • 7. にま - ほた
  • 8. ほち - わ

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辞典にかぎらないのだが、文字で書かれた情報を、検索しやすい形でならべたいとき、「辞書順」に整列することが多い。

辞書順とは、英語などラテン(ローマ)アルファベットを使う言語では、アルファベット順(abc順)だ。ラテンアルファベットを使う言語のうちでも、補助記号のついた文字の扱いなどについては、それぞれの言語ごとにちがった習慣があることもある。(たとえば、ドイツ語の ä は ae に準ずるが、スウェーデン語の ä は z よりもあとにくる文字とされる。)

今の日本語では、辞書順といえばほとんどの場合に五十音(あいうえお)順、例外的にローマ字のアルファベット順だろう。近世(江戸時代)から近代の早い時期(明治)には、いろは順も使われた。(わたしは、1960年代、大正生まれの祖母のところに、いろは順の日用辞典があった、という記憶がある。)

五十音順でも、濁音、拗音、促音、長音の扱いは、それぞれの辞書ごとの約束により、ほかの辞書とは必ずしも同じでない。また、複合語を、構成要素の語ごとに配列するか、全体を文字列と見てならべるか、という問題もある。

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近ごろ、事典類はディジタル版が多い。ディジタル版では、分冊にする必要がない。

今でも紙版の事典が出版されていて、約1000ページ以上になる場合に、分冊が見られる。日本語ではそういうものがあらたに出ることは少なくなったと思う。

英語では、専門分野別のencyclopediaというものがいろいろ出版されている。大学の図書館などに置かれて学生が調べものに使うらしい。数冊(たとえば4冊)に分冊されていることがよくある。主題で分割していることもあるが、アルファベット順の分冊もある。次に述べるような製本上の制約がきびしくないらしく、切れ目は頭文字1字のことが多いようだ。

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「しんす - た」の場合は、たったの8冊なのに、五十音(濁音などを除いた かな の文字種では46字)の頭文字で分けられず、3文字まで使っている。

その事典の項目を見ているのではなく、わたしの頭で考えた例だが、「しんし」と「しんす」の間で分けるということは、たとえば、前の巻の最後の項目が「壬申の乱」(じんしんのらん)で、あとの巻の最初の項目が「進水」または「浸水」(しんすい)、というようなことになっているはずだ。(たしか、濁音は清音とひとまとめにしたうえで、グループ内では清音のあとにおく、という約束になっていたはずなので。)

なぜ、3文字まで使うことになったか考えてみると、おそらく、1冊ごとのページ数の制約がきびしかったのだろう。

一方に、冊数をなるべくふやしたくない、あるいは一度決めたら変えたくない、という要請があるだろう。

他方に、各分冊のページ数の限界があるだろう。製本して、頻繁に開いてもこわれないものにする必要がある。1冊ものだとがんばって厚くすることもあるが、分冊ではあまり無理ができない。

そして、本は、大きな紙に印刷して、折って、切ってつくるので、紙面としてのページ数(ページ番号がつかないページも含む)は、一定の数の倍数であることが望ましく、そうでないと空白ページができて紙がもったいない。一定の数は、たぶん、2のべき乗、たとえば16ページか32ページだろう。

この百科事典の場合、たぶん、第4巻は「さ - し」の予定だったのだろう。それでも、かなの文字種 46 のうち 2つだけ(濁音を清音と同一視した場合だが)で、事典の紙面の8分の1をしめるのは、わたしにはちょっと驚きに感じられる。しかし、原稿を集めてみると「さ - し」は1冊におさまらない分量になった。そこで、「さ」の初めの部分を第3巻、「し」の終わりの部分を第5巻にまわすことになったのだろう。