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国立科学博物館「大英自然史博物館展」ほかを見学して

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

この記事は、別ブログ http://macroscope.world.coocan.jp/yukukawa/ でやっている読書メモの同類です。しかも「書評」のように博物館や展示を論評するものではなく、短時間の訪問でたまたま印象に残ったことと感想を書いただけのものです。

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2017年6月11日が、国立科学博物館(「科博」)の特別展「大英自然史博物館展」と企画展「卵からはじまる形づくり」の最終日であることに、前日になって気づいた。会期中に行こうと思いながらほぼあきらめていたのだが、当日は時間があるので、行ってみることにした。混雑して、貴重な実物などは目にはいらないかもしれないが、展示企画をおおづかみに見ることはできるだろうというもくろみだった。

次に述べるように展示の順路をまわったのだが、博物館内にいたのは全部で3時間程度にすぎない。「展示を見てきた」とはいいがたいところがある。図録を買ったり、無料のものはもらったりして帰り、気になったところをめくっては見たものの、全体を通して見ることもできていない。

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「大英自然史博物館展」の切符を買って中に向かうと、整理券をわたされ、指定時刻まで常設展を見ることをすすめられた。

そこで企画展「卵からはじまる形づくり」を見ることにした。図録とだいたい同じ内容(文字のフォントも同じ)のパネルがならんでいて、その前に実物や模型があった。

基本は現代の発生生物学の紹介だが、100年くらい前からの歴史をふまえている。発生生物学会の50周年企画でもあり、また、科学史を重視する科博の企画でもあるので、このような特徴がある企画になったようだ。世界のこの分野の進展にとっては、1924年のHans Spemannとその助手で共著者ともなったHilde Mangoldの仕事が画期的とされているようだった。そのころから今までの日本での研究の中心となった人びとの紹介もあった。

「植物も卵から発生する」ということは指摘されて気づいた(単細胞から細胞分裂して分化していくとは認識していたので、どちらかというと用語の問題だが)。種子植物ならば、たねの段階で胚発生して葉・茎・根の構造をつくるところまでいっているのだ。動物としてはおもにニワトリの場合を見せていた。

この企画展には第2会場があって、多様な海洋動物の標本を展示していた。いくつもの大学などの臨海実験所が協力していた。臨海実験所の貢献は自然史・生物多様性の面も重要だが(たぶん科博とのつながりはそちらが大きいと思うが)、ここでは発生学への貢献を強調していた。

ただし第2会場は第1会場から離れていて、入り口がわかりにくいのが残念だった。「地球館1階」と説明されていたが、地球館1階の一般の順路入り口では企画展第2会場への案内が見あたらなかった。わたしはそこの受付の職員にたずねたのでたどりつけたが、だまって掲示をさがす態度では行けなかった。貴重な標本を廊下などに置くわけにもいかず、特別展とかさなった日程でもあり、スペースのやりくりで苦労してこうなったのだろうとは思うのだが。

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整理券の時刻に「大英自然史博物館展」に行った。

材料を提供してくれた博物館は、Natural History Museumという。国の名まえははいっていない。(図録の英語題名などを参照すると、どこの博物館かを示すときはLondonを補うのがふつうのようだ。) なぜ「大英」なのかと思った。展示内容を見たら、この博物館は、1992年に今の組織になる前は、日本では「大英博物館」として知られるBritish Museum の一部分だったのだ。分館としての発足は1881年、そのもとになったSloaneのコレクションを取得したのは1753年だそうだ。

(「大英」はGreat Britain (GB)をその部分である England (「英国」は語源的にはこちら)と区別した表現だろうが、現在の主権国家 United Kingdom (UK)は GBとNorthern Irelandの連合王国だ。たまたま前日、UK議会選挙結果を受けて保守党が内閣をつくるのに北アイルランド固有の政党の力を借りることが問題になっていたので、UKとGBのちがいに敏感になっていた。博物館はUKの国立なのだろうか、GBのものなのだろうか?)

豊富な自然史資料が集められた過程が、帝国的[注]収奪だった面はたしかにあると思う。

  • [注] 君主制か民主制かの問題ではなく、また国家が他の地域を植民地として領有した場合に限った問題ではなく、世界の中の地域間・民族間の相互作用の形として、財力・武力(の結合したもの)の強い勢力の意向でものごとが決まったことを仮にこう表現した。「帝国主義的」とするべきかはよくわからない。

しかし、資料を使える状態で保存しておくことによって、生物学や地球科学などの科学的知見に貢献したこともたしかだ。もし自分の倫理観に反する活動の産物を忌避すると、科学を否定しかねない、というジレンマを感じる。

自然史に関する科学史では、Darwinももちろん出てくるが、むしろWallaceが強調されていたようだ。アジアでの展示だからだろうか。進化論よりもむしろ「生物地理学」をつくった人としてとりあげられ、生物種の分布にかかわる「Wallace線」を示した地図、手がきのノートなどが展示されていた。

地質学についてはWilliam SmithとLyell、それから化石収集者としてのMary Anningを重視していた。Smithの地質図が、紙でも、ディジタル版(拡大可能)でも展示されていた。London地質学会の人びとの地質図はなかった。Smithのほうを重視したのは、Smithの化石コレクションが自然史博物館にとって重要だからだろうか(Smithは生活費のために売ったらしいが)。

「探検」に関する展示もあった。いまEndeavour, Challenger, Discoveryとくれば、スペースシャトルの名と思う(Challengerはその前に海底掘削船があるが)。ここでのEndeavourは1768-1771年のCaptain Cookの航海で、博物学者Joseph Banksや画家Sydney Parkinsonが乗った船だった。Challengerは1872-1876年に海洋調査をした船だ。Discoveryは(ほかにもあるがここで展示されていたのは) 1901年と1910年にScottたちが南極探検に使った船だった。

日本も探検の行き先だった。日本で収集された隕石、輝安鉱などの標本が里帰りしている。明治時代の日本は探検される一方ではなく、研究体制を整えていった。科博が図書として持っている、当時からの大英博物館自然史部門の出版物も展示されていた。Marie Stopesが日本のフィールドで植物化石(初期の被子植物)を研究した(わたしはこの件は何かで読んでいた)。藻類学者Kathleen Drewが紅藻アマノリ類の幼い段階での生活形態を解明し、日本のノリ養殖に役立った(養殖業者から感謝されている)という話は初めて知った (展示のしかたから、Drewさんが日本に来て研究したような印象をもったが、イギリスでの研究で得られた知識が日本に届いたという話だったのかもしれない。未確認)。

「Piltdown人骨」のほんものが展示されていた。もちろん、化石としてはにせものだが、科学史上の事件の物体としてはほんものなのだ。図録によればドーソン単独犯説が有力だそうだ。(掲示の日本語版では「黒幕」ということばが使われていて、ドーソン以外のだれかがかかわっている(という説が有力になった)のかと思ってしまった。英語では、記憶が不確かだが、person behind the sceneと書いてあったと思う。これならばそのpersonはDawsonをさしていてもよいのだが。)

あちこちで動画の展示があった。1分30秒のものが多かったようだ。絶滅した生物が動くという趣向のものは、不確かな推測が真実と思われる心配もあると思った(実は行く前にそういうコメントをネット上で見ていてそれに賛同した)。ただし、わたしが見た限りでは、家庭用テレビと同程度の、展示室にとっては小さい液晶画面で見せていたので、それならば問題は少なそうだと思った。未確認だが、もしスクリーン投影の大画面で絶滅した生物の動作を想像した動画をやっていたのならば、強すぎる印象を与える危険があると思った。

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科博は、10年ほど前に来たときにくらべて、建物がふえていた。昔からの建物は「日本館」(Japan Gallery)となり、その常設展は、日本の自然環境とその変遷が主題だ。新しい建物は「地球館」(Global Gallery)といい、その常設展は、地球とその生命の歴史が主題だ。しかし、ここで述べた主題にうまくはまらないものもある。

地球館の階のあいだは、エスカレーターで移動するのが順路になっている。しかし、中2階の展示は、1階からエスカレーターで中2階にのぼったところからは行けず、2階からおりてくるときに通るようになっていた。

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今回は常設展のうち地球館2階だけを見た。科博の研究部の組織(『ミルシル』9巻2号に紹介されている)のうちでは理工学研究部が担当しているところだ。(自然史の展示にも興味はあるのだが、見るのには時間をかける必要があると思ったので、今回は見送った。)

地球館2階の入り口に近い3分の1くらいを占める「科学技術で地球を探る」では、いろいろな地球物理的観測の技術が紹介されている。新しいものとしては、GPM (全球降水観測)の衛星にのせられたレーダー DPR の同じ型の実物らしいものがあった(その分野の研究者として、これをとりあげてくれたのはうれしい)。海底地震計もあった。狭いところにたくさんの「物」をつめこみすぎだと感じた。何か重要なものらしいが、映像映写のつごうか、暗いところに置かれていて、よく見えないものもあった。(地震学史にとって重要な地震計がなん種類も、ここにあるはずだと思ったのだが、あとで調べてみると、日本館のほうに展示されているそうだ。[この部分2017-07-29改訂]) 展示場所を広げられないならば、実物をいくつかしまって、大きなスクリーンへの映写でなく、小さいパネルに会話型操作で出る形の画像展示をふやしたらよいかと思った。

奥の3分の2くらいを占める「科学と技術の歩み」は、(背景に世界の動きもあるが) 日本の近代の科学(おもに物理科学)・技術が発達してきた歴史に関する展示だった。前史として江戸時代の科学 (和算、天文観測、測量など)が扱われている。明治初年の近代化については、度量衡の標準化、学校の理科教育、工部大学校・帝国大学工科大学、発電と電灯などが扱われている。その後の西洋からの技術導入と改良の例として、織機、自動車、飛行機、テレビジョン、ロケットなどが扱われている。(飛行機YS-11の実物を羽田で保管しているという説明もあった。また、ラムダ型ロケットの打ち上げ装置が戸外にあった。)

計算機がかなり大きい部分を占めていた。電卓、パソコンなど、重要だが小さいものもあるが、展示物として場所をとっていた大きなものには次のようなものがあった。

  • ケルビン式測候推算機」。潮汐を計算するアナログ計算機、気象庁で使われていた。
  • FUJIC。富士写真フイルムの岡崎文次氏による、真空管で構成された電子計算機。(数値天気予報研究者の回顧にはこれを使わせてもらった話がよく出てくる。)
  • MARS。国鉄の座席予約システム。リアルタイム遠隔業務システムとしては世界でも初期のもの。1960年に開始されたが、ここにあるのは1964年に稼動した機械。

文献