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英雌

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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2015年12月はじめごろ、「英雄」ということばを使おうとして、ふと、「雄」という字が気になった。

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「英雄」は西洋のことばの hero に対応する意味で使われることも多い。(もっとも hero の訳語はほかに「主人公」などいろいろあるが)。英語の場合についていえば、女性の場合には heroine という語があるが、hero も男性専用というわけではなく、女性を含めて使われると思う。形容詞の heroic は明らかに、男性に限らずに使われる。日本語でも、「英雄的な」という形容語(学校国語文法でいえば「形容動詞」)は、女の人をさす場合も抵抗なく使われていると思う。名詞の「英雄」も「英雄的な人」をさす場合には男女区別なしに使われると思う。

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ところが、現代日本語で、漢字の「雄」は、次のような使われかたをする。

  • 「雌/雄」の対で性別をあらわす。現代日本語では、主としてヒト以外の生物について使われる。「めす/おす」は学術用語としてはかながきが奨励されているが、「し/ゆう」という音読みでこの字が組みこまれている学術用語もある。
  • 「雄」は、男の個人名の終わりの部分の「お」として、「男」「夫」と並列に使われる。(女の個人名に使われることがまったくないわけではないが少ない。)
  • 「雌雄を決する」のような、「雌」と組になった、直接には性別を示すものではない慣用表現もいくつかある。ただしこれは昔の人の男女の役割に関する固定観念が反映していることが明らかなので、現代の公的な場ではあまり使われなくなっていると思う。
  • 「雄大な」のような、「雌」との対応がなく、意味も性別とはあまり関係ない熟語がある。

「英雄」の「雄」も「雄大な」のなかまと感じられれば、性別にかかわらず使えるだろう。しかし「雌/雄」の「雄」だと感じられると、男に限りたくなってしまうのだ。

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「英雄」の「雄」が「雌/雄」の「雄」だとすれば、理屈のうえで、同様な特徴をもつ女の人をさす「英雌」ということばがあってもよいと思った。

ただし、その日本語での読みかたは「えいし」となるだろうが、その音を聞いてもその字がうかびにくいだろう。わたしは「A氏」と思ってしまう。「衛視」などを思う人もいるかもしれない。だから、もしだれかが使い始めたとしても、定着しにくいだろうと思う。

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実際使われているかどうか、検索してみた。ただし、しっかり調査をしたわけではない。Googleの検索エンジンを使っているにちがいない別会社のウェブ検索で「英雌」という文字列を入れて、出てきた数十のサイトの表題と該当部分の文字をながめ、気になった十件ほどの本文に目をとおした。とくに気になったものだけメモをとった。またTwitterでこの文字列を含むtweetを検索してみた。

日本語の範囲では、「英雌」という文字列が見つかることはあるが、冗談あるいはその場限りの思いつきとして使われているようで、そういう語が通用しているとは思われなかった。

中国語のウェブページでは、あまり多くはないが、語として使われていることがあった。

  • 辛亥革命前後の民権運動の女性の活動家たちを次の世代の人がさして「英雌」という。「百度(Baidu)百科」の「英雌」の項目のページにはこの意味だけがあげられている。多数の人々のために苦労を引き受けた人という意味が含まれていると思う。紹介されている人の活動は武闘的ではなく非暴力的だったようだ。ただし、同様な運動にかかわって「英雄」と呼ばれる男の人の活動も非暴力的だったのかもしれず、「雌」の字に非暴力的という含みがあるとは言えないと思う。
  • 映画の題名や登場人物紹介に「英雌」が出てくることがある。代表的かどうかは未確認だが、アニメーションの一例を見てみると、武闘の達人であって女性である、そして悪者ではない(善悪の対立構造だとすれば善の側)、という設定のようだ。これは伝統的な「英雄」の役割そのままで、たまたま女性なので「雄」を「雌」で置きかえただけのように思う。ただし絵に見られる身体の外観は女性の特徴があきらかになっている。「超級英雌」という表現を含むものもあった。「Super-heroine」の訳語なのだと思う。
  • 別の映画では、女子スポーツ選手をさして使われている。
  • 実在の女子スポーツ選手を紹介する記事に使われることもある。
  • 実在の女性である政治家を紹介する文章の表題に「英雌」が使われていた。ただし本文には出てこない。政治家をさすのにふだん使われる表現ではなく、少ない字数で読者の注目をひきたい表題という文脈でだけ有効な表現なのだろうと思う。【[2018-12-31 補足] その文章の表題の表現は「時代造英雌」だった。これが「時勢 造 英雄」という慣用表現を変形したものであることに、おくればせながら気づいた。そうだとすると、表題をつけた人が臨時につくった表現であって語として確立したものではない可能性もある。】
  • 実在の女性である学者を紹介する文章の表題に使われているものもあった。数学者を「数海英雌」として紹介している。ただしこれも表題だけで、本文には出てこなかった。

わたしが認識できたのはこれだけなので、まったく確かな知見ではないのだが、おそらく、中国語圏でも多くの人にとって「英雌」は聞いてわかることばではなく、書きことばとしてだけ使われるのだろうと思う。

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わたしは日常語としては「英雌」を使わず女の人についても「英雄」を使うことにした。ただし、文章の表題のような特殊な位置で使う可能性は保留しておこうと思う。

- 7 [2017-06-10 追加] -
Hidden Figuresという映画([もとになった本の読書メモ])の香港で公開された際の題名が「NASA無名英雌」となったそうだ。