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南極の氷の増減について -- 研究成果の報道に一喜一憂せず基本を考えてほしい

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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南極の氷がふえているとか減っているとかいう事実を示した研究成果のニュースがいくつかあった。それを受けて、ネット上で、(たぶん、これから数十年のこととして)「温暖化は進まない」とか「温暖化しても海面は上昇しない」と思ってしまったらしい発言や、それを否定するあまりか、温暖化や海面上昇はますます確実になったと主張する発言が見られた。新聞・雑誌記事の(おそらく記事を書いた記者とは別の編集者がつけた)見出しだけが速く伝わる結果、記事の内容と違った認識が広まることも多いようだ。

わたしは気候変化全般を気にかけているつもりだが、南極の氷のことをとくに追いかけていない。新しい研究成果の論文を個別に論じられるところまで深入りして読む時間はとれそうもない。しかし、ざっと見た限りでは、最近、これまでのその分野の専門家の共通認識をひっくりかえすような研究成果は出ていない。研究論文ごとに、少しずつ違った材料、違った方法を使った研究があって、結果の数値も違ってくるが、専門家の共通認識はたくさんの論文を総合して得られるものであって、それはふつうはゆっくりと変わっていくのだ。個別の論文やその報道を見て一喜一憂するのは有害無益だ。 2007年に書いた文章[「日日主義」から「年年主義」へ]もごらんいただきたい。

ここでは、そう簡単には変わりそうもない基本的な知識をおさえておきたい。

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まず、[2014-07-05の記事]でも述べたように、極地の氷には、南極やグリーンランドの氷床と、海上の海氷とがある。この両者は性質がとても違うので混同してはいけない。氷床は巨大な氷河であり、降った雪が固まったものだ。海氷は海水が凍ったものだ。氷床の厚さは数千メートルになるが海氷の厚さは数メートルなので、氷の質量にとっては氷床のほうが圧倒的に重要だ。しかし氷に覆われた面積は海氷のほうがむしろ大きい。

なお、氷山は、海上にあっても、氷床の一部がちぎれたもので、海氷とは区別される。氷山は、世界の氷の質量あるいは面積を扱う際には、氷床と海氷のどちらよりもずっと少ないので、無視されることが多い。ただし、氷の質量の動きについて考えるときには、氷山は(あとでふれるように)重要だ。

氷床の氷の増減と海氷の増減との関係も単純ではない。氷床のまわりの海面が海氷に覆われることがふえれば、氷床の氷の増減に対する効果は、海面からの蒸発が減るので氷床に供給される雪が減ることと、氷床の表面にくる空気の気温が下がって氷の融解・昇華蒸発などによる消耗が減ることとの競争になって、どちらが勝つかはいちがいに言えない。

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「氷床の質量収支」という同じ表現が使われていても、3次元の物体としての氷床について質量保存を考えている場合と、氷床の表面について質量の出入りを考えている場合(ここでは「表面質量収支」ということにする)がある。氷の底での岩石圏との質量のやりとりは無視できるので、両者の違いが生じる理由は、横(水平)方向の質量の移動だ。3次元の意味での質量収支は、表面質量収支と、横方向の質量の出入りとによって、氷床の質量が時間とともに変化することである。

氷床は氷河であり、液体の水の川よりはずっと遅いけれども、流動が起きている。南極氷床の場合は、氷床の端が海に面していることが多く、そこで氷がちぎれて氷山として海に出ていくこと(英語ではcalvingという)が、氷床の質量収支の主要な支出項になっている。

氷の質量収支を考える際には、融解水をどう扱うかも決めておかなければならない。氷床表面で融解した水は、氷床から失われるという扱いがふつうだ。つまり「表面質量収支」は降雪量から表面での融解量と昇華蒸発量をひいたものだ。雨で降った水は初めから氷床にはいってこないとする。むずかしいのは、融解水や雨が氷にしみこんで(再)凍結することや、氷床の内部や底で融解が起こることの扱いだ。現実にはそのような項目まで定量的に評価するのに充分な観測データはないだろう。ともかく、質量保存のつじつまが合うように、氷床の「中」と「外」をしわけて出入りの各項を評価する。

氷床の現存質量の絶対値の評価は、氷の底の直接測量ができないのでとてもむずかしいが、その変化量の評価は、1990年代から人工衛星からの観測によってできるようになった。ひとつは高度計で氷床の表面の高さ(の分布)から氷の体積を知ること、もうひとつは重力を観測して質量の分布を知ることだ。氷の密度はほぼ一定だから両者はよく対応するはずだ。【ただし、もともとすきまの多い雪からかたまっていくのだから、表面付近の密度は一定でない。】そして、いずれの技術にしても変化量を求めるには複数回の観測結果をつきあわせなければならないが、そのときの標準あわせがむずかしい。専門家が最善の努力をして解析しているのだが、もし標準あわせをやりなおす必要が生じたら結果がだいぶ変わる可能性もある。

表面質量収支の量を観測するには、いくつかの方法があるが、いずれにせよ現地で詳しく見る必要がある。衛星観測から広域の値を得ることも試みられているが、上に述べた質量変化よりもむしろむずかしい。ただし定性的に言えることはいくつかある。現在の南極大陸(南極半島を除く)のようにじゅうぶん寒冷な条件では、融解量は無視できるし、降水量をそのまま降雪量と考えてよいだろう。昇華蒸発量は(降雪量に相対的に)無視できないかもしれない。地ふぶき(雪として積もってから風によって持ち上げられ横に動かされること)も無視できないかもしれない。水蒸気の多くは海から供給されるので、降雪量は海岸付近で多く、数百km内陸にはいるとだいぶ少なくなるだろう。

氷床の氷の流動、あるいは海岸で氷山としてちぎれることについても、現地で詳しく継続的に調査すればその地点での数量を知ることができるが、広域を代表する値を得るのは、表面質量収支よりもさらにむずかしいだろう。

問題がこういう構造になっていて、このうちひとつの項目の数値を出すだけでも専門家の新しい研究業績として認められうる。そして数値をさしかえれば収支計算の結果も変わる。しかしそれが最新の結果だからといって、それにとびついて政策決定などにつながる判断を変えるのはうまくない。ときどき、いろいろな研究から得られたデータをつきあわせて収支を総合的に考える仕事が必要であり、政策決定などにはそのような仕事の成果(レビュー論文、IPCCなどの評価報告書)を使うべきなのだ。

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温暖化が進むと南極の氷の質量収支はどう変わるだろうか。

ひとまず、温暖化とは、南極大陸とそのまわりの海面の温度が平均的に上がることだと考えておこう。ただし、温度上昇は極端に大きなものではなく、上に述べた「融解や降雨が無視できる」という条件がくずれない範囲におさまるとしよう。

降雪量はふえるだろう。大気が水蒸気をより多く含みうる。また、海氷が減り、海面から水が蒸発しやすくなる。風がどう変わるかは明らかでないが、ここまでを総合して、海から内陸への水蒸気の供給がふえ、氷床の上で雪となる量もふえることは、確からしいと言えそうだ。

昇華蒸発量もふえるだろう。しかし降雪量の増加を打ち消すほどではないだろう。そこで、表面質量収支は、氷の質量がふえるほうにずれるだろう。

しかし、温度が上がると、氷は流動しやすくなり、海岸でちぎれることも起きやすくなるだろう。したがって、3次元の氷床の質量収支には、氷の質量をへらすほうに働く要因もある。どちらが勝つかは、いちがいに言えず、地形などの条件によっても変わってきそうだ。(海岸でのちぎれやすさは、温度変化よりもむしろ、海面変化の影響を受けるだろう。)

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ところがもうひとつ、世界平均の温暖化が、南極大陸とそのまわりの温暖化をもたらすか、という問題がある。

気候モデル(大気海洋結合大循環モデル)によって、現実的な海陸分布で、二酸化炭素濃度を徐々にふやした場合のシミュレーションを初めてやったのは、アメリカのNOAAのGeophysical Fluid Dynamics Laboratoryの真鍋淑郎さんたちの、Manabeほか(1990)の論文になった仕事だ。60年間のシミュレーションをしたところ、世界の大部分のところでは温暖化が進むのだが、南極のまわりの海面水温はむしろ下がる結果を得た。

二酸化炭素濃度倍増に対する定常応答(二酸化炭素が2倍の状態と1倍の状態の平均の気候どうしの差)ならば、南極地方も世界平均とほぼ同様に、むしろ北極地方と同様に世界平均よりはやや強く、温度が高くなる。二酸化炭素濃度が高い状態が千年くらい続いたら、そのような温度分布が実現するだろうと考えられる。

ところが、二酸化炭素を徐々にふやしていった過渡応答実験では、南極地方以外の地上気温あるいは海面水温の変化は定常応答と似た形になる(ただし20-30年ほど遅れる)のだが、南極地方では、温度が上昇せず、むしろ下がったのだ。これを説明する理屈はある。海洋は、大きく分けると、表面の風によって循環が作られる表層と、温度および塩分による密度差によって循環が起きる深層とになる。表層の温度変化の代表的時間規模は数十年、深層のほうは千年くらいだ。表層と大気との間はエネルギー交換が活発だが、南極地方以外のところでは、表層と深層とのエネルギー交換は弱いので、大気と海洋表層はいっしょに暖まっていくが、海洋深層は取り残されるのだ。ところが、南大洋は、東西ひとまわり陸がないという境界条件のせいで(海洋の力学による理屈があるのだがここでは省略する)、風による循環が深層にまでおよぶ。暖める対象の熱容量が大きくなるので、表層の温度上昇には時間がかかることになる。さらに、南極のまわりでは、温暖化が進む過渡的段階で、表層と深層との水を交換する南北鉛直循環が強まる。その結果、海面温度が下がったのだ。

それ以後、気候モデルによる二酸化炭素濃度変化に対する過渡応答実験はいろいろなところでなされている。その結果は必ずしもここに述べたとおりではないが、南極地方の温暖化の進行が世界平均と同調していなくてもおかしくない、というように一般化した形では、専門家たちの共通認識になっていると思う。

【なお、ほとんどの気候モデル実験では、海氷の変化は起きるが、氷床は変化しないものと仮定している。】

これまで30年あまりの観測事実として、南極のまわりの海氷がふえているという報告がある(たとえばNASAの報道発表 Viñas 2015a 参照)。その海域の表面温度は下がっているのかもしれない。しかしその事実は世界規模の温暖化が進行していることと矛盾するものではないのだ。ただし、そうすると、前の節で「温暖化が進むと...」と書いた因果連鎖は進まず、むしろその正負を逆にしたものが進んでいるだろう、ということになる。

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話は変わって、氷の量の変化が、海面水位の変化にどうきいてくるかを考えてみる。

海面水位の変化は、海水の総体積の変化と並行して起こる。(いれものとしての海底の形の変化もありうるのだが、ここで考えたい百年くらいの時間規模では、その変化はわずかであり、無視できるだろう。) 総体積の変化は、密度の変化と質量の変化に分けて考えることができる。

海水の密度は温度と塩分で決まる。今の文脈で重要なのは温度依存性だ。一定の質量の海水の温度が上がれば熱膨張で体積がふえる。20世紀後半以後について、海洋内部の温度の観測値に基づいてその量を見積もると、観測された海面の上昇のおよそ半分を説明できる。

残りの半分は海水の質量の変化によるもののはずだ。百年の時間規模では、海水の塩物質の総量は一定で、水が出入りすると考えてよいだろう。また、水と他の物質との間の化学変化は正味では無視してよいだろう。水がやりとりされる相手の場所として、陸上の地表水地下水もあることは、[2015-10-18の記事]でふれたばかりだが、いちばん重要なのは陸上の氷であり、そのさらに主要部分は氷河(氷床を含む)だ。南極氷床とグリーンランド氷床を除いた他の氷河(便宜上「山岳氷河」と総称される)は、個別にはさまざまな変化をしており成長しているものもあるものの、合計としては減っており、海面上昇に寄与している。また、グリーンランド氷床も、1990年代以後、氷の質量が減り、海面上昇に寄与していると見られる。南極氷床の寄与は、上に書いたように定量がむずかしいのだが、2013年に出たIPCC第5次報告書の第1部会の部(IPCC, 2013)の第13章(図13.4など)では、グリーンランドより少ないものの、氷の質量変化は負、海面上昇への寄与は正であるという見積もりを示した。

今度出たZwallyほか (2015)の論文は、1992--2001年と2003--2008年について、衛星にのせられた高度計による観測から南極氷床の質量変化を求めたものだ。この結果についての報道で「従来の説が否定された」というのは、海面上昇の否定ではなく、それに対する南極の寄与に関する部分の否定だ。もし今度の論文の結果が正しければ、氷の質量変化は正、海面上昇への寄与は負となる。これも、さきほど述べた温暖化に伴う南極地方のふるまいから見て、不合理なことではない。「従来の説」のこの部分はあまり強固ではなかったのだ。ただし、新しい結果が正しいとすると、1990年代以後については観測された海面上昇量の精度は高いので、原因別配分で南極の寄与が減ったぶん、どこかほかが多くなければならない。ありそうなのは、グリーンランド氷床の融解がIPCC第5次報告書に採用された値よりも速く進んでいる、ということになる。この研究に関する報道の多くの材料となっているらしい、NASAからの報道発表(press release) (Viñas, 2015b)の中で、この論文の著者であるZwally氏(NASA Goddard Space Flight Center)が指摘しているのは、(報道だけを読んだ人には意味がわかりにくいと思うが) こういうことなのだ。

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このNASAの報道発表の文章(Viñas, 2015b)の中に、1万年前からの氷の蓄積の話題がある。ある人がこれを取り出して1万年前からの南極氷床の変化を論じようとしているのを見かけたが、その議論にこの材料を使うのはうまくないと思う。

Zwallyほか(2015)の論文に目を通すと、1万年前からの蓄積にふれている部分はあるのだが、それは、直接の研究対象である最近数十年の変化と比較するために、他の人の研究成果を参照して述べている部分だ。1万年前以後(完新世)の氷の表面質量収支(ほぼ降雪量)がその前の時代(氷期)よりも多いというのはもっともだ。しかし、氷床の厚さがふえている(おそらく質量もふえている)というのは、わたしが別の文献をもとに理解していたことと逆であり、わたしは納得していない。【新しい研究をもとに認識をあらためるべきなのか、複数の説がならび立っている状況なのか、あるいは注目する量の定義が違っていてどちらも正しいのかを判断するためには、Zwallyほかが参照した論文と、わたしの知識の根拠となっている文献とをよく読み比べてみなければならないだろう。】 しかし、増減いずれにせよ、論文の本題である1992年以後の変化に比べてゆっくりした変化であることが、ここでは重要なのだと思う (これはわたしの認識であり、Viñas 2015bの論調は違うが)。

論文でもそうだがとくに解説では、直接の研究成果のほかにその背景を述べておきたいことがあり、その部分については、どうしても説明が簡単になり、根拠にさかのぼることがむずかしいことは起こりがちだ。この報道発表が解説文として悪いわけではない。多少関連がある別の話題について[2010-01-28の記事][2011-11-13の記事]でも述べたように、研究発表の報道(あるいは研究論文)を読んだ人が話を伝える際に、本題と、背景説明や余談の部分とをよりわけたうえで、背景説明や余談の部分を、信頼できる情報源とみなさないように注意する必要があるのだと思う。今度の場合、1万年前からの話もZwallyほかの論文が出典と言えるが、この部分を取り出して使うのならば、論文自体に目をとおし、そこに書かれている参考文献が信頼できるという判断をしてから使うべきだろう。

[2015-11-08 この部分、論文の関連部分に目を通して認識をあらため、節を分けた。]

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Thomasほか(2015)の論文も話題になっていた。これは、西南極の海岸に近い高地の2地点で、雪氷コアサンプルをとって、最近約300年間の表面質量収支を見たものだ。表面質量収支であって、氷床の質量変化ではない。また、海岸に近い地域なので、南極大陸全体に比べてはもちろん、西南極氷床の平均に比べても、降雪量が多い場所を見ている。だから、この論文は「南極氷床の質量収支」に関する数量を直接提供してくれるものではない。(それを考えるうえで重要な材料のひとつではあると思う。) 図2に示された表面質量収支(氷床にとっての収入が正)の時系列からは、20世紀の間の増加傾向が見られる。しかしこの論文の著者のおもな関心事は、時間規模が数年から数十年の変動にあるようで、それが世界の他地域で知られた変動モードとどう関連しているかを論じている。この結果を南極氷床の時間規模百年の変化と温室効果強化による地球温暖化との関連の議論に使うためには、この論文の文章や図をそのまま引用したのでは役にたたず、さらに研究することが必要だろう。

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