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気象学での実験

(2月に書きはじめて書きかけだった記事。5月10日に出席した会合で、気象学でのシミュレーションは実験か、という話題があったので、思い出した。)

「気象学では実験はできない」と言ってしまうことがある。他方、数値モデルによるシミュレーション(のすべてではないがかなり多くの場合)を「数値実験」ともいうが、それを「実験」と言ってしまうことがある。表現だけ合わせてみると、矛盾したことを言っていることになるかもしれない。落ち着いて考えてみると、気象学では「実験」ということばはなんとおりかの違った意味で使われている。

室内で、空気の温度・湿度・風速や、結晶の核となりうる不純物の存在を制御して、雪の結晶を作る実験がおこなわれる。これは雪氷学の仕事とも言えるし、結晶学の仕事とも言えるかもしれないが、気象学の仕事とも言える。雪の結晶の形成・成長は、現実の大気の中で起こっている気象の素過程のひとつだが、空間スケールが小さいので、同じことを室内のコントロールした環境で人工的に起こしてやることができる。このように、気象を構成するプロセスのうちで、空間・時間スケールが実験室におさまるものは、実験室で扱うことが可能である。

しかし、水平規模あるいは鉛直規模が何キロメートルにもなる現象ば、実験室内にはおさまらない。それでも、数キロメートル程度ならば、野外実験はできるかもしれない。ただし、野外の環境は実験室ほど精密に制御することはできないから、何かの操作を加えた場合と加えない場合を比較しようとしても、違いがその操作によるものなのか、制御できない自然条件の違いによるものなのかの判断に困るかもしれない。また、働きかける操作が強くなれば、野外実験というよりもむしろ気象改変というべきものになるだろう。

他方、野外で起きていることよりも空間規模が小さいが、なんらかの意味で同じ特徴をもった現象が人工的に作れるならば、それを作ったうえで、いろいろな操作を加えてみるような、室内実験をすることができる。「模型実験」と言うのはこのようなものだろう。(英語では「模型」はmodelで、次に述べるような数値モデルと区別する際には、現実の物体によるモデルという意味でphysical modelのように言うこともある。ただしこのことばは物理法則に基づく数値モデルにも使われるので文脈ごとに確認が必要だ。)

模型実験のうちには、現実の世界のものごとを一定の縮尺で相似的に縮小して再現しようとするものがある。空間規模が縮小されると、見たい現象を支配する法則にしたがって、時間規模も適切な割合で縮小してみることになる。ところが、密度、粘性係数、熱伝導係数などの物性特徴量は自由自在には変えられず、実験に使う物質に依存してしまう。物性特徴量のうちひとつを、たとえば現実世界の空気と実験室の作業流体(たとえば水)との間で対応させることはできても、他は合わせられないのがふつうだ。したがって、相似型模型実験が有効なのは、見たい現象を支配する法則がわかっていて、それにとって重要な物性特徴量を選んで合わせることができる場合に限られてくる。

模型実験はこれだけでなく、単純な相似関係が成り立たないものがある。たとえば、大気大循環の特徴を示す回転水槽(dish pan)実験がある。水槽は円筒で、球殻にはりついた形の地球の大気と相似形ではない。軸のまわりに回転しているという共通性はあるが、現実には極以外では重力の向きと軸の向きが平行ではない。この水槽をゆっくりまわした場合が低緯度 (地球の自転角速度の鉛直軸のまわりの成分が小さい)、速くまわした場合が高緯度にあたる、と考えることがある。そのような対応がつくことは定性的にはよくわかるが、定量的な対応は相似関係だけでは決まらず、おそらく実験の結果見られた現象の特徴をも見てつけられるのだろう。

数値シミュレーションも、計算機のプログラムとしてモデルを構築したうえで、それを使って実験をおこなうこと、と見ることができる。この場合、作業物質の物性特徴量による制約はない。(特殊な場合として、野外の世界のモデルではなく、室内の模型のモデルを作って実験することもありうる。) 数値シミュレーション以外の方法による実験がやれそうもない現象を扱っている人はこれを「実験」と呼んでしまうこともあるが、「数値実験」のような限定をつけない「実験」ということばの意味をこれを含むように拡大してよいかは、意見の分かれるところだろう。

気象学で「実験」ということばはこのほかに、野外観測を中心とする研究プロジェクトをさして使われる。世界気候研究計画(WCRP)の中には英語名がExperimentで終わるプロジェクトがたくさんあるが、その大部分がそうだ。この場合の「実験」はおそらく「実験的観測」であり、それに対するものは「ルーチン(routine)観測」(ほぼ「現業的(operational)観測」と同じ)だろう。気象の観測は、一定の場所、一定の時間間隔でくりかえし行なうことが有用であり、それをルーチン観測というが、研究よりも実用(飛行機などの運航の支援、防災など)を主目的とする官庁など(気象現業機関)によって実施されることが多い。研究目的の観測事業のすべてではないが多くは、期間を限って、ルーチン観測には含まれない観測を追加する。それは新しい観測方法を試す場合もあり、既存の観測方法だがルーチン観測よりも時間・空間分解能を高くすることによって気象現象に詳しくせまろうとする場合もある。ともかく、何かを知るために計画をたてて観測を実施する態度が、実験と似ていると感じられるのだ。実験的観測事業は複数の主体が協力する必要があることが多く、それぞれが違う主目的をもっていて、それをともに果たすように計画がくふうされることが多い。