「『エネルギーを消費する』という表現は正しくない」という議論がある。
この議論は次のような根拠に立っていると思う。
- 「エネルギー」という用語の意味は、物理学で使われている意味を標準とするべきだ。
- 物理学でいうエネルギーは「保存則」に従う。つまり不生不滅である。
- 「消費する」という表現(物理学の学術用語ではない)を使うと、消費されたエネルギーは消滅すると思われがちだ。
わたしも、ひところはこのように主張してきたのだが、今はいくらか考えを変えている。
まず、エネルギー(むしろドイツ語形容詞からきた「エネルギッシュな」など)という表現が、「活気」「元気」に近い意味で使われているのは、たぶん、エネルギー保存の法則が確立した19世紀なかばよりも古くからある表現で、物理とは別の文化伝統として尊重すべきなのだろう。
次に、「エネルギー資源」と呼ばれるものは、物理量のエネルギーの次元で定量されるけれども、消費されるとエネルギー資源ではなくなるものである。「エネルギー資源を消費する」という表現はもっともなのだ。それをエネルギー保存則と矛盾しないようにとらえるには、エネルギーを複数の項目に分けて考え、「有用なエネルギーが有用でないエネルギーに変わる」のであり、エネルギー資源の量はそれがもつ有用なエネルギーで評価されると考えればよい。
ここで仮に「有用なエネルギー」と呼んだ概念は、エネルギーの概念とエントロピーの概念を組み合わせたものになる。化学で使われる「自由エネルギー」や工学で使われる「エクセルギー」はいずれもそのようなものだが具体的定式化が少し違う (自由エネルギーは反応が起こる場所の温度、エクセルギーは環境温度を使う)。【[2019-10-27補足] 自信がないままだが、とりあえずつくった教材ページ [エントロピーを考慮した有効なエネルギーの評価: エクセルギーと自由エネルギー] 参照。】
物理学での意味のエネルギーが不生不滅であることを理解したうえでならば、「エネルギー資源を消費する」ことが「エネルギーを消費する」と表現されても、とがめる必要はないだろうと思う。