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「ニセ科学問題」から「学説優良誤認問題」(仮称)へ

日本科学者会議東京支部の東京科学シンポジウムの「ニセ科学問題」の分科会に参加した。

この分科会については、天羽優子(apj)さんによる実況tweetがあり、parasite2006さんによってhttp://togetter.com/li/597312 にまとめられている。ここに書かれていない天羽さん自身の講演は、ニセ科学商品(というべきもの)を売った人と買った人の間で民事訴訟になった場合に、買った人あるいは助言を求められた科学者の立場ではどんなことができるかという話だった。

出席者、少なくとも講演者や質疑討論の発言者の間では、「ニセ科学」がさすものの境界は明確ではなかったが、その典型的なものについての認識は共有されていたようだ。(午前の話題ではいわゆる健康食品・サプリメント[のうち効果や安全性の根拠が不充分なもの]、午後の話題では「EM」などがあげられていた。) そして(それを完全に消滅させるべきと考えるかどうかはともかく)それが社会に及ぼしている影響力を小さくしたいという意志も共有されているように思われた。この分科会の出席者は日本科学者会議の典型ではなく、おそらく会員でもない人が多かったと思う(わたしも会員ではない)。それにもかかわらず、この分科会と日本科学者会議全般とは、科学者(社会科学者を含む)の集まりであるとともに社会をよくしようという運動体であり、科学の内容の議論もするが運動の相談もする、という態度が共通していたと思う。

わたしも、ここで「ニセ科学」とされていたものが社会に及ぼしている影響力を小さくしたいという意志を共有している。しかし、それを共有する運動に参加してそこで活動するよりも、この問題認識を共有していない人に議論を広げることを自分の役割にしたいと思った。とくに、「ニセ科学批判」という問題のたてかたをすると反発する人たちともいっしょに議論したいのだ。そこでは議論までにとどめ、運動は別々にすることになるかもしれない。

ここでいう「ニセ科学」はおよそ「科学に似ているが科学でないもの」を意味する(もう少し詳しい指定が必要だが)。このような表現をすると、科学と科学でないものとの境界設定(線引き)問題とかかわることが避けられない。しかも、当面対象とする文脈では、科学であるものを科学でないものよりも上位に置く価値判断がはいる。しかし実際の線引きは個人差が避けられない。何を科学の内に含めるかで判断が分かれたとき、感情的対立が起こりかねない。

そこで、「ニセ科学」という用語を使わないで問題をたてなおしたいと思う。わたしは前にこのブログで「学説過信」という表現をしてみた。それと基本的に同じなのだが、この分科会の天羽さんの予稿で「優良誤認」ということばを見つけ、暫定的にこのことばを使ってみたいと思った。ただし天羽さんの文脈でのこのことばは法律用語だ。たとえば景品表示法での商品やサービスの「優良誤認」の意味については消費者庁のウェブページhttp://www.caa.go.jp/representation/keihyo/yuryo.html に説明がある。他方、わたしがここで使いたいのは「学説の優良誤認」なので、この意味と完全に同じではない。今後、まぎらわしいので同じことばを使わないほうがよいという判断に至る可能性もある。

消費者庁の説明では、「故意に偽って表示する場合だけでなく,誤って表示してしまった場合であっても」優良誤認表示に該当する場合があるとされている。同様に、わたしのいう学説の優良誤認でも、

  • 提唱者が実際にはその学説が信頼できないことを知っているのに信頼できるとうそをついている場合

  • 提唱者がその学説を信頼してしまっている場合

の両方を含むことにする。どちらなのか判断する材料がないこともある。また、後者はさらに

    • 信頼に足る根拠があると思っている場合
    • 理屈で考えれば信頼に足るほどの根拠がないのだが心情で信頼してしまっている場合

と分けたほうがよいかもしれない。

ここでわたしのいう「優良」というのは、何かの判断の根拠に使える、ということを意味している。そして「誤認」というのは、学説Xが実際にはじゅうぶん優良でないのに優良であるかのような印象を与えることをさしている。「実際にはじゅうぶん優良でない」には、次のような相互にかなり違った場合が含まれるようだ。

  • 学説Xは科学的方法に従って否定されている。
  • 学説Yが有効であるという専門家のおおかたの合意があり、学説Xの裏づけは学説Yの裏づけよりもはるかに貧弱である。
  • 解決したい問題に関する(学説Xを含む)どの学説も裏づけが貧弱である。

そして「優良誤認」をとりあげて問題にする必要があるのは、影響が学問の範囲内で閉じず、社会におよぶ場合である。これも相互にかなり違った場合が含まれるようだ。まだよく整理されていないが類型化を試みてみた。

  • (新たな)病気・環境汚染などの実害をもたらす。
  • (問題となっている)病気・環境汚染などの有効な対策をする機会を失う。
  • 教育の場で誤認が広められる。
  • 公共部門(地方自治体など)の事業にとりあげられ、税金のむだづかいとなる。
  • 商品の優良誤認をもたらし、販売者がよけいに得をし、消費者が損をする。