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リニア(linear)、リニア モデル(linear model)

数理科学のリニアモデル

英語のlinearは、いくつもの専門分野で、共通した特定の意味に使われる。この「いくつもの専門分野」を「数理科学」と総称しようと思った。しかし、この用語は数学を応用した方法を使う科学をさすのだと思うが、その数学が集合論トポロジー・グラフ論・整数論などである場合はあてはまらない。実数やそれの組み合わせでできる複素数・ベクトル・行列(matrix)などを使う、代数・幾何・解析・確率などの数学を使う分野にあてはまる。応用先のほうは物理学などの自然科学や工学が多いが、経済学などの社会科学も含む。

この意味でのlinearに対する標準的な日本語は「線形」だが、これはきびしく言えば誤訳だと思う。しかしもう定着して広く使われているのでもんくを言ってもしかたがない。少なくともわたしには「線形」という用語は「点」「線」「面」「立体」などという図形のトポロジー的分類のうちで「線」に対応することを感じさせる。ところが学術用語のlinearは「線」のうちでも「曲線」ではない「直線」との連想でつけられたものにちがいないのだ。

【なお、日本語でも、各専門分野内の、英語由来の学術用語が英語の形のまままざるような会話では、「線形」よりも「リニア」という形で使われることがむしろ多いのではないかと思う。】

平面に直交直線座標(x,y)を対応させれば、直線は、たとえば a x + b y = c (a, b, cは定数)のような一次式に対応する。直線でない図形は一次式でない式に対応する。そこで一次式で表現できるものごとをlinearともいうわけだ。ただし、ここでいう「一次式」は「一次の多項式(first orderdegree polynomial)」のことだ。「一次」(primary)「二次」(secondary)ということばは因果関係の連鎖の段階を示すときにも使うけれども、ここではその意味ではない。

数量どうしの関係について、力学的(dynamic)なモデルが作られることがある。これは本来の力学に限らず、数量の時間を追っての経歴が、数量の時間による微分を含む微分方程式の解として表現されるようなものをさす。これはたくさんのプロセスを含んでいてもよく、因果関係が分岐したり合流したりループしたりする、グラフ論的に単純な「線」型でないこともあるのだが、ともかく、どのプロセスも結果となる変数が原因となる変数の一次式で書けるようなものであれば、そのモデルはlinear model (線形モデル)であるということができる。各変数を適当な一次式で変換して、変数どうしをつなぐ一次式の定数項を消去すれば、「結果が原因に比例する」あるいは「原因が2倍になれば結果も2倍になる」のように言うことができる。線形モデルは力学的モデルのうちで特別に扱いやすいものだ。

統計的モデルについても同様に、結果と考えられる変数が原因と考えられる変数の一次式で書けるようなモデルがlinear modelである。

科学技術政策のリニアモデル

科学技術政策の議論で使われる「リニアモデル」ということばの意味は、たいていの場合、数理科学での意味と違う。(ただし、科学技術政策の定量的評価の場面では、数理科学での意味で使われている可能性もある。)

こちらでの意味は、(わたしにはあまりうまく表現できないのだが) 「それぞれの技術の発達は、基礎研究から応用研究、応用研究から実用化へと、まっすぐにつながっているものだ (あるいは、そうであることが望ましい)」という考えかたをさしている(と思う)。

この背景にある数学的描像はグラフ論的なもので、枝分かれや合流やループがない形がlinearなのだ。さらに向きのあるグラフで考えて、影響を与える向きは、基礎から応用、応用から実用化に決まっており、反対向きの影響は無視できると考える。「直線」との関連は薄く、一次式との関連はない。

科学者・技術者として教育をうけたほとんどの人にとって、このようなものをlinear modelというのはとてもわかりにくいと思う。わたしは、他人の文献を引用するときはしかたなく使うが、自分の用語としては使いたくない。代わりに、日本語圏専用の表現として「ところてんモデル」を提案したい。(もっとも、わたしは本物のところてんを自分で食べたことはない。過去の文化遺産として知っているだけだ。)

「リニアモデル」を提示した代表的人物としては、アメリカ合衆国で第2次大戦中から戦後まもなくの科学技術行政をひきいたVannevar Bushがあげられることが多い。第2次大戦後しばらくの間、多くの科学技術政策論がこの立場をとっていた。しかし1970年代ごろにはすでに、現実の技術の発展はそのように単純でない場合が多いことが認識されてきた。

ところが、日本の科学技術政策には、いまだに「リニアモデル」的な発想が見られる。ただし、最近の科学技術社会論学会の研究発表で聞いたことだが、1990年代には基礎研究が強調されていたのに対して、2000年代には実用化が強調されたという変化はあるそうだ。

リニア新幹線
最近、JR東海が「リニア新幹線」というものを計画しているという報道がされた。

地図上での路線の水平形が現在の東海道新幹線よりも直線に近いようだが、それだからリニアと言われるわけではない。リニアモーター(linear motor)という技術を使うからだ。

ふつうのモートル(電動機)は、円柱型の磁石を回転させることによって、電流のエネルギーを回転力(トルク)に変える。電車や電気機関車は、このトルクで車輪をまわし、車輪とレールとの間に働く力によって車両を動かす。電気自動車も、下がレールでなく路面なので車輪の構造が違うだけでほかは同じだ。

リニアモーターも磁石によって電流のエネルギーを車両を動かす力に変えるのだが、磁石がほぼまっすぐのびていて、回転を経由しないでエネルギー変換が起こることが違う。これを使う技術には、乗りものを磁気によって浮上させるものと、車輪をもつものがあるが、車輪をもつ場合でもそれは推進力を伝える働きをしない。従来の鉄道のようなレールは不要となる。

この場合のlinearは、円に対して直線をさしていると思う。ただし、ユークリッド幾何でいう直線ではなく、むしろトポロジー的な閉じていない線をさしていると思う。

この「リニア新幹線」計画にわたしは懸念をもつ。第1は国立公園になっているところを含む高い山にトンネルを通すことに伴う環境上・防災上の心配だ(これはリニアモーターでなく従来型の鉄道でも心配なのだが、従来型の鉄道ならば路線計画が違ってくるかもしれない)。第2が従来の鉄道との互換性のなさだ。災害や故障で交通網の一部が使えなくなったとき、同じ車両が通れる路線どうしならば組み合わせて物資を運ぶことが可能だが、まったく違った規格だと途中で全部積みかえないといけない。第3に、超伝導などの新技術を大規模に使うことの不確かさだ。

もしかすると、これはまさに、科学技術政策のいわゆる「リニアモデル」(わたしの言う「ところてんモデル」)への信頼が暴走してしまった例ではないだろうか。1990年代には人まねでない斬新な技術であるリニアモーターの基礎研究をやらなければならぬという風潮に、2000年代からはせっかく開発された技術を実用化せねばならぬという風潮に追いたてられているのではないだろうか。