2011年12月5日の「リスクに関する議論の二極化はtwitterで強まったのではないか?」は、わざとちょっと抽象化して書いた。
- K: こわがりすぎる人
- L: 科学的知見を重んじ、ややこわがる人
- M: 科学的知見を重んじ、ややこわがらない人
- N: こわがらなさすぎる人
【2012-01-07補足: 2011年12月5日の記事の要点は、これが近ごろ「K+L」対「M+N」に二極化する傾向があるという認識だ。わたしが望ましいと思う方向は、2011年12月7日の記事で書いたように、「L+M」の範囲で、認識の違いの幅を含めてまとめた記述が作られることだ。】
大震災後の日本での放射能の件では、わたしが見ている「M」(「K」を批判する)の例は、物理学または生物学を背景として「ニセ科学」を批判してきた人たちだ。「L」(「N」を批判する)の例は科学技術社会論者の人たちだ。【2012-01-27補足: もちろんそれぞれの集団の全体ではなく、それぞれ数人の個人の集まりをさす。】 どちらも、この件に関する科学的知見の不確かさの幅が大きいことは知っている。しかし、その幅は無限ではないことも知っている。幅からはずれる知見を確信をもって言う人をみれば、おかしいと思う。そういう人をまわりの人が信頼する状況では、警告しないではいられない。この件では、ニセ科学批判者はこわがりすぎる議論に、科学技術社会論者はこわがらなさすぎる議論に敏感だった。
【2012-01-02補足: もう少し考えてみると、ニセ科学批判者が敏感に反応した相手は、放射能をこわがるあまり、ほかの何かの危険を軽視する人だった。科学技術社会論者が敏感に反応した相手は、放射能をこわがらずに、ほかの何かのコストを重視する人だった。「ほかの何か」がもし同じものであれば、それに関して整理すればKLMNは逆転するかもしれない。しかしいつも同じではない。】
英語圏での温暖化の件では、わたしが見ているのはtwitterではなくブログだが、「L」のほうに気候学者や生態学者が多く、「M」のほうに科学技術社会論者をわりあい多く見かける。
放射能をこわがることと、温暖化をこわがることとには、統計をとったわけではないが、あまり相関はないようだ。原子力と化石燃料をてんびんにかけて一方をひいきする人もいるが、放射能も温暖化も同じ種類の問題と見る人もいる。