[わたしはブログ記事を公開後に修正することがある。大きな修正をしたときにはその日付を示すことにしているが、細かい修正では必ずしも明示していない。あらかじめおことわりしておく。]
わたしのよく行く本屋には、目立つところに原発事故関係の本のコーナーがある。全部で30種類くらいの本が置かれているが、そのうち広瀬隆氏と武田邦彦氏の著書がそれぞれ5種類くらいずつある。これは困ったものだと思う。どちらも、独創的な著者であり、ときにはいいことを言う。しかし、ときにはひどいことを言う。彼らが自信をこめた論調で断言していてもまちがっていることがある。(わたしは彼らの著作をあまり多く読んでいないし、放射能の健康影響などの専門知識は持っていないので、はっきりと批判できる論点は地球温暖化をはじめとする地球科学に関するものだが。) まゆつばを承知で娯楽として読むのならば悪くない。しかし、書いてあることはみな正しいと思って信頼して読む人がおおぜいいそうでこわい。出版社や書店のかたには、彼らの著作が信頼されすぎないように注意して売っていただきたいと思う。
広瀬氏が1981年に書いた「東京に原発を」を、わたしは発行当時見ているが読まなかったようだ。表題になっている考えは次のようなものだとわたしは理解している(広瀬氏がそう言ったかどうかは未確認)。「原子力発電所は、受益者が都市住民なので、都市に立地するべきだ。そのほうが送電コストも低くなる。いなかに立地させているのは、事故の危険があり、その際にいなかのほうが損害の合計が小さくなると予想されるからにちがいない。しかしそれは自分は安全なところにいていなかの住民を危険にさらす都市住民の身勝手だ。原子力発電所が大都市内に立地することを前提としてその是非を議論しよう。」この考えはもっともだと思った。広瀬氏が実際にそういう指摘をしたのならば、今からでもそれは広瀬氏の功績だと言えると思う。
ただし、わたしにとっては、槌田(1978)の指摘する放射性廃物の問題を考えるだけで原子力発電所をふやすのに反対の意見をもつのにはじゅうぶんだったので、事故の危険のことを追求して考えることはしなかった。それ以来長く、広瀬氏の本を読まなかった。1987年の「危険な話」も読んでいないが、吉岡(1999)が引用しているソ連の報告の偏りに関する疑いに限ってはもっともだと思った。
2010年に「二酸化炭素温暖化説の崩壊」を読んだ。前半の地球温暖化を否定する議論が、あまりに陰謀論なのであきれた。ここで陰謀論というのは、陰謀を想定しなくても解釈のしようのある現象について、陰謀を想定した解釈が正しいと主張し続ける議論をさす。広瀬氏は既存の陰謀論を受け売りするだけでなく、気象庁ウェブサイトの情報に対する独自解釈など、独創的な陰謀論を加えて論じているようだ。(ただし、この本の後半の原子力発電の問題点に関する議論は、あまり陰謀論的ではなく、必ずしも正確ではないが、もっともなことが多いように思われた。)
震災後、3月16日に、ダイヤモンド社のウェブサイトに「破局は避けられるか -- 福島原発事故の真相 : ジャーナリスト 広瀬隆」という記事がのった。【ついでながら、これには「600℃で炉心溶融が起こることが分った」という記述もあり、それがあとで「それまで理論的に計算されていた値よりおよそ600℃も低い温度で炉心溶融が起こることが分った」と訂正されたのだが、ダイヤモンド社の注によればこれはNHKの誤訳に由来するまちがいだそうだ。】 わたしが困った陰謀論だと指摘できるのは地震に関する次の記述だ。
2011年3月11日14時46分頃、北緯38.0度、東経142.9度の三陸沖、牡鹿半島東南東130km付近、震源深さ24kmで、マグニチュード9.0の巨大地震が発生した。マグニチュードが当初8.4→次に8.8→最後に9.0に修正されてきたことが、疑わしい。原発事故が進んだために、「史上最大の地震」にしなければならない人間たちが数値を引き上げたのだと思う。これは四川大地震の時に中国政府のとった態度と同じである。
マグニチュードの数値が変更されたのには、使える観測データがふえたことと、マグニチュードの定義を日本標準から事実上の世界標準に変更したことのふたつの理由があるが、どちらも技術的なものであり、値が大きいほうがよいという社会的思わくが働いたとは考えにくい。
(マグニチュードは理想的には地震のエネルギーの対数に比例する数値だが、実際には複数地点の地震計の観測データを組み合わせて推定される。短時間のうちに報告する必要があり、複数の地震を比較する必要もあるので、一定の標準手続きによって観測値を処理して求めている。日本の気象庁には気象庁の標準方式がある。それができたあとで、モーメントマグニチュードという方式が開発された。大震災のとき、気象庁には観測データがいろいろな遅れをもって届いてくる。届いたデータがまだ少ないうちに推定した気象庁マグニチュードが8.4だったが、さらにデータが届くともっと大きいらしいことがわかってきた。アメリカ地質調査所が計算したモーメントマグニチュードの値も発表された。巨大地震の場合、モーメントマグニチュードは地震のエネルギーとの対応がよいが、気象庁マグニチュードは頭打ちになってしまう。そこで、世界規模の情報交換のために、日本の気象庁もモーメントマグニチュードを発表したほうがよいと判断したのだ。) [2011-09-11補足: 大木・纐纈(2011)の第1章を参照するとよい。]
気象庁は観測の継続性と質を誇りにしている技術官庁だ。政治的理由で値を変更させる圧力がかけられたことはありえなくはないが、値を伏せるならばともかく、わざとまちがった値を発表するという共謀に彼ら技術職公務員をまきこむのはとてもむずかしいと思う。
広瀬氏の文章の続きは次のようになっている。
地震による揺れは、宮城県栗原市築館(つきだて)で2933ガルを観測し、重力加速度の3倍である。しかし2008年の岩手・宮城内陸地震では、マグニチュード7.2で、岩手県一関市内の観測地点で上下動3866ガルを記録している。今回より大きい。
もしこれが前の文の疑いの根拠ならば、「今回の地震は2008年の地震よりも揺れが小さかったから、マグニチュードも小さいはずだ」と考えていることになるが、震源からの距離も違うので、揺れの大小とマグニチュードの大小が逆になるのは異常なことではない。
このマグニチュードの件は、菊池誠氏のブログ記事「地震・津波・原発についての信頼できない情報源」(2011年3月21日)にもとりあげられた。
このブログに奥菜秀次氏(「陰謀論の罠」の著者本人と思われる)がコメントをつけている。それによれば、広瀬氏の「赤い罠」などの経済関係の内幕ものも、事実関係を調べてみるとまちがいが多いそうだ。
また、広瀬氏の原発事故1週間後ごろの発言について、twitterにyasushi64 (一色靖)氏による論評が、「Togetter - 広瀬隆氏を検証してみる by susanoo 2011/03/20 08:58:37」にまとめられている。わたしは一色氏の発言全部に賛成するわけではないが、批判にはもっともなところがあると思う。
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さて、武田氏については、わたしは2000年の「リサイクル幻想」を読んだ。先に出た「リサイクルしてはいけない」のほうが有名になったがそちらは読んでいない。当時の武田氏の論点は、当時の世の中の資源のリサイクルをするべきだという議論の行き過ぎをただすものであり、その点での功績はあったと思う。しかし、リサイクルはむだだというほうに行き過ぎたのではないだろうか。
最近の小宮山(2010)の第3章第7節は「損するリサイクル、得するリサイクル」という題目で、その中の見出しは「金属のリサイクルは圧倒的に安くつく」「新たに鉱山を掘る必要はなくなる」「リサイクルが高くつく場合もあるプラスチック」「プラスチックは燃やしてもよい」「モノとしての再利用に固執するのは間違い」「紙も最後には燃やすのが正しい」「ゴミの分別収集は無駄ではない」となっている。このうち最後の項目以外は、武田氏の2000年の主張と基本的に同じだ。ただし、小宮山氏の最後の論点にも注意。紙にせよプラスチックにせよ資源をむだにせず質のよい燃料として使うために一般ゴミとは別に集めるべきなのだ。武田氏の影響を受けた人はそういう方向に向かわないのではないだろうか。
2007年に出た「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」とその続編で、武田氏は環境問題についての常識を疑う議論をいくつも述べた。そのうちに地球温暖化についての否定論があった。明日香ほか(2009)の冊子では、論点別に他の人の議論とまとめて反論したが、第3章の「議論29. 極地の氷の融解による海面上昇はない」は武田氏の論点だ。確かに北極海の海氷がとけても海水準はほとんど変化しないが、グリーンランド氷床の氷がとければ海面は上昇する。グリーンランドは、北極点を含んではいないが、「極地の氷」と言ったときにはグリーンランド氷床を含めるほうがふつうだ。武田氏はこのような状況を理解していないようだった。
武田氏は2007年の対談「温暖化論のホンネ」では、IPCC報告の大筋は正しいと認めたようだった。しかし2010年の「温暖化謀略論」という本の題名を見ると(わたしは中身を見ていないのだが)、また温暖化否定論を主張するようになり、その理屈は陰謀論のようだ。この件に限らず、武田氏はたびたび意見を変えるが、意見を変えたことを明示せず、そのときどきの意見を自信をこめて主張する。
わたしは追いかけていないが、原子力問題でもそうなっているようだ。「週刊新潮」2011年7月28日号の記事「『放射能ヒステリー』を煽る『武田邦彦』中部大学教授の正体」によると、武田氏は以前は少量の放射線は無害だと言っていたのに、事故後は少量の放射線の危険性を強調しているそうだ。ただしこの記事の筆者の態度は、わたしから見ると、放射線をこわがらないほうに偏ってしまっている。
おもに放射能の問題に関する武田氏の言動についての批判として、しっかりしているのはブログ「NATROMの日記」だ。NATROM氏は本名を示していないが内科医だそうだ。2011年3月18日の「武田邦彦氏の功罪」に次のような論評があり、具体例が述べられている。
中部大学教授の武田邦彦氏が原子力発電所の事故についての情報を書いている。Twitterで検索してみると、わりと多くの人が信用しているようだ。しかしながら、武田邦彦氏の発信している情報は玉石混交である。正しいこと、参考になることも書いているが、明らかに誤っていることも書いてある。情報の可否を判断できない人は武田邦彦氏の主張を信用しないほうがいいと私は考える。
続いて4月15日に「武田邦彦氏の過去の発言を検証してみる」、7月12日に「武田邦彦氏の誠実さ」がある。
TwitterにもNATROM氏の次のような発言があった(http://twitter.com/#!/NATROM/status/68965998979596289 )。
@NATROM なとろむ
週刊SPA!「エッジな人々」武田邦彦氏。正確さよりわかりやすさが大事で、お父さんが少々いい加減なことを言ってもいいとの主張。この立場は知っていたが、ブログだけでなく著作もその立場だと。いや、著作もいい加減なことも知っていたけどさ。
5月13日 webから
ここで話題になっているのは「SPA!(スパ!)」2011年5月17日号 124-127ページの「エッジな人々 インタビュー 武田邦彦」で、たとえば http://www.fujisan.co.jp/magazine/1431/b/633422/ では、全体は有料だが「ちら見」で2ページめまで見られる。NATROM氏の論評対象の発言は2ページめにある。
放射能問題について知識を求めている人にだれの本がよいかはわたしにはよくわからない。読んだうちでは、浦島(2011)は、基礎知識をもっているうえに自分で考えて主張を述べているが、よくまとまっていないところもあるように思われた。
なお、温暖化に関する武田氏の言動に対する論評は、ブログ「環境問題補完計画」、「温暖化の気持ち」、「『温暖化の気持ち』を書く気持ち」にもある。
文献
- 明日香 壽川 ほか, 1999: 地球温暖化懐疑論批判。東京大学IR3S/TIGS叢書。 [読書ノート]
- 枝廣 淳子、江守 正多、武田 邦彦, 2010: 温暖化論のホンネ ― 「脅威論」と「懐疑論」を超えて。 技術評論社 (tanQ ブックス)。[読書メモ]
- 広瀬 隆, 1981: 東京に原発を。JICC出版局。(1986年集英社文庫) [わたしは読んでいないようだ]
- 広瀬 隆, 1987: 危険な話 -- チェルノブイリと日本の運命。八月書館。(のち新潮文庫) [わたしは読んでいない]
- 広瀬 隆, 1991: 赤い楯 -- ロスチャイルドの謎 (上下)。集英社。(のち集英社文庫) [わたしは読んでいない]
- 広瀬 隆, 2010: 二酸化炭素温暖化説の崩壊。集英社新書。[読書メモ]
- 広瀬 隆, 2010: 原子炉時限爆弾 -- 大地震におびえる日本列島。ダイヤモンド社。 [わたしは読んでいない]
- 小宮山 宏, 2010: 低炭素社会。幻冬舎新書。[読書メモ]
- 大木 聖子, 纐纈 一起, 2011: 超巨大地震に迫る NHK出版新書。[読書メモ]
- 奥菜 秀次, 2007: 陰謀論の罠 --「9.11テロ自作自演」説はこうして捏造された。光文社(ペーパーバックス)。 [わたしは読んでいない]
- 武田 邦彦, 2000 (1月): リサイクルしてはいけない。青春出版社(プレイブックス)。 [わたしは読んでいない]
- 武田 邦彦, 2000 (10月): リサイクル幻想。文春新書。
- 武田 邦彦, 2007: 環境問題はなぜウソがまかり通るのか。洋泉社ペーパーバックス。同「2」(2007年)、「3」(2008年)も出た。 [わたしはいずれも読んでいない]
- 武田 邦彦, 2010: 温暖化謀略論 -- 米中同時没落と日本の繁栄。ビジネス社。 [わたしは読んでいない]
- 槌田 敦, 1978: 石油と原子力に未来はあるか。亜紀書房。[1987年増補版があるが、わたしが読んだのは初版]
- 槌田 敦, 2011: 原子力に未来はなかった。亜紀書房。 [わたしは読んでいない]
- 浦島 充佳, 2011: 放射能汚染 ほんとうの影響を考える ― フクシマとチェルノブイリから何を学ぶか (Dojin選書 40)。化学同人。[読書メモ]
- 吉岡 斉, 1999: 原子力の社会史 ― その日本的展開 (朝日選書 624)。朝日新聞社。[読書メモ]
- 吉岡 斉, 2011: 原発と日本の未来 (岩波ブックレット 802)。岩波書店。[読書メモ]