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日本の科学技術政策の目的は日本の産業の国際競争力を高めることだけではない

日本政府の科学技術研究への目的は「日本の産業の国際競争力向上」だとする議論を聞く。

それが複数の同等な目的のひとつならばわたしも賛同できる。しかし、圧倒的に重要な目的のように言われると、わたしには納得できない。

政府の第一の存在意義は、明らかに、産業の国際競争力の向上ではない。国民が生き続けられるように、しかも安全に、健康に生きられるようにすることだ。その次くらいに、文化的豊かさとならんで経済的豊かさがくるだろう。

もちろん、日本の人の生活は、外国から多くのものを輸入することによって成り立っている。数値は集計の基準のとりかたにもよるのだが、食料自給率は約40%、エネルギー資源自給率は約4%だと言われている。国民経済全体として、輸入を続けられるためには、それに見合った金額の輸出をしなければならない。(実際には資本収支そのほかもあるが、ひとまずこのように表現しておく。) 外国から日本製を選んで買ってもらえるような製品(ソフトウェアを含む)を作る産業が必要だろう。商品が選ばれる基準は機能・性能と値段の組み合わせだ(長持ちすることも「性能がよい」に含めておく)。外国の会社との競争があるので、日本の会社も、選んでもらうためには、前と同じものではなく、新しい機能をもつものや性能の高いものを作らなければならない(値段の安さで勝負して利益を得ることはむずかしい)。(実際は多くの会社が多国籍化しているので、たとえば日本の資本が中国の工場で生産することをどう位置づけるかがむずかしいのだが、その話もここでは見送る。) そして、国の政策のうちに、そういう新製品開発の基礎になる科学技術の研究への投資が含まれることはもっともだ。

しかし、日本が食料やエネルギーなどの必需品の自給能力を高め、それを輸入する代金をかせぐための輸出の必要性を減らすことも、輸出能力を高めることに劣らず、日本人の安全な生存に寄与するのではないだろうか。これが国内の消費者が同類のもののうちで外国製品よりも国内製品を選ぶことによって実現する場合は、「国際競争力の向上」に含めてよいかもしれない。しかし、需要がほかのものへの需要に置きかわること、あるいは極端な場合かもしれないが需要がなくなることによって、輸入への依存性が減らせるかもしれない。GDPなどの経済指標で見た成長率は負になるかもしれないが、国民が不満を起こさず自給率を高められるならば望ましいことであり、それを実現するために国の政策的投資をしてもよいのではないだろうか。(現在の輸入品の具体例としては、石炭・石油などの化石燃料や、飼料としてのトウモロコシ・ダイズなどを考えている。)

また、地球環境はつながっているので、外国の環境が悪くなることは、日本の環境にも悪い影響をおよぼす。とくに日本付近では西風が吹くことが多いので日本の西に位置する地域の大気汚染の影響は大きい。そこで、外国の生産活動を環境へのインパクトが小さい形に変えることは、日本に住む人の生活の質の向上に寄与するので、日本が国としていくらかの支出をする合理的な理由になると思う。この分野の技術は、世界に広く普及するべきなので、日本の相対的優位をあまり強く追求するべきではないと思う。ただし、日本が開発能力や製造能力を失わないための保護が必要かもしれない。外部経済・外部不経済が主役の分野なのだから、市場経済だけですまないのは当然だと思う。

さらに、学問分野によっては、公共財として使える知識・情報を提供することはできるが、特許のような形の知的財産を生産することはむずかしいものもある。たとえば気象情報は、外国にも積極的に提供したほうが、外国に滞在している日本人の安全をまもるためにも有効だ。情報自体は無料(公共財)としても、それを提供するサービスは、各国の官庁が提供する公共サービス以外は、有料の産業となりうる。しかしそこで成立する気象サービス提供産業の売り上げは、国民経済のうちのごくわずかな割合しかしめないだろう。気象学という分野の社会貢献がそれだけだと評価されるのは悲しい。