macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

気象学会について思うこと(2)気象庁との関係、地球惑星科学連合との関係

(1)の記事の続き。

日本気象学会は、事務局を気象庁の建物の一室に置いている。この事実から、気象学会が気象庁に事実上従属した組織であると見る人もいるようだが、学会員の感覚としては、それほどではない。つまり学会から見て気象庁は明らかに他者だ。ただし、かなり大きな重みをもった他者であることは確かだ。

気象学会にとっての気象庁の重みにはいくつかの理由がある。

まず、気象学の研究や教育をしようと思うと、必ずしも自国ではないが、世界各国の気象庁に相当する機関による観測データを使わないですむことはまずない。自分で独自の観測をする場合でも、まわりの気象庁の観測値も参照しなければよい仕事はできないのだ。

第2に、気象庁職員がおおぜい個人として学会に参加している。そのうちには研究職でない人も多いが、気象学の専門知識を持った人々であり、その学会活動への寄与は実際に大きい。

第3に、気象庁現業官庁だが技術重視の伝統をもった官庁でもある。一方で、業務として決められた一定の観測や予報の仕事を確実に継続することにこだわるが、他方で、技術の改善も業務としていて、上位互換であれば新しい技術が歓迎されるのだ。たとえば数値予報課は毎日シミュレーションプログラムを動かす現業部門でもあるのだが、次の世代のシミュレーションプログラムを作る開発部門でもある。応用物理系の学会どうしで比べれば、製造業に直結しうる半導体物理などの分野ならば製造会社の研究開発部門に属する会員に相当するのが、気象学会の場合は気象庁に属する会員なのであり、それほど異質ではないと思う。

第4に、気象庁は第2次大戦前には文部省に属する中央気象台(下部組織として各地方気象台を含む[注])だった。アカデミックな気象学の指導者も気象台を本務とし大学でも教える人が多かった。当時、気象学会が気象台を事実上の母体としていたのは当然だったのだ。戦後に運輸省気象庁になり、しだいに科学よりも技術にシフトしてきたけれども、それは科学を基礎とした技術であり、その科学を大学などと共有するために学会活動にかかわるという伝統が続いてきたと思う。

[注(2016-06-21追加)] 詳しく言うと、大部分の地方気象台は、中央気象台の下部組織になったのは戦中で、その前は都道府県に属していた。ただし中央気象台が標準をつくり地方気象台がそれに従うような関係もあった。

...

そして、1980年代ごろ以後、気象学会で研究発表をする会員の出身は多様化したと思う。地理学会に属する気候学者の多くは、気象学会でも(よそ者ではなく実質メンバーとして)活動するようになった。また、海洋、雪氷、陸水、生態系との相互作用の話題では、他の学会とともに気象学会をも主な活動場所としている研究者が必ずいる。したがって、大会の研究発表や学会誌の内容で見れば、気象学会の中での気象庁の色はあまり濃くない。ただし、学会運営上の習慣、たとえば大会開催のまわりもちや地区別理事の選出などには、会員活動の約半分が気象庁所属の人によるものだったころにできた慣例がそのまま残っているところもある。
...

このように今の気象学会は気象庁に支配されているわけではないのだが、それにしても、気象庁あるいは気象庁所属の会員の重みが大きいために、気象学会が気象庁の意思に反する行動をとりにくいということはあると思う。

原発事故の事態で、実際にはなかったようだが、「ある学会員がシミュレーション結果を公開する。気象庁がそれは気象業務法違反のおそれがあるので止めてほしいと要請する」ということは起こりえた。(だれが見ても明白な違反ではなく、違反かどうかの意見が分かれうる状況だったと仮定しよう。) そういう際に「学会あるいはその代表者が、学問の自由をまもる意志をもって、発信した会員に連帯し、気象庁の行政官と対決する」ということは、日本気象学会では起こりそうもない。(しかし、たとえば、日本物理学会であれば、会長が気象庁長官に公開意見書を出すこともあるかもしれない。)

観測データの公開に関しても、日本の官庁は実際多くのデータを出しているのだが、官庁ごとの縦割りになっていて多数の官庁のデータを統合して出す権限がどの機関にもないという問題がある。気象庁のデータの場合は、一部は気象庁自身のウェブサイトから無料公開されているが、そのほかは気象業務支援センターという外郭団体(財団法人)から有料配布されている。支援センターはまじめに業務を行なっているが、設立趣旨が気象産業(気象庁のよりもきめこまかい天気予報を提供する会社など)を支援することであるため、その他のデータ利用者、たとえば外国の理学研究者に向けたサービスに熱心とは言えない。このあたりの体制を変えさせる提案をすることは、気象庁職員を大きな割合で含む気象学会からではむずかしいようだ。他分野データとの統合が必要なのだから、もうひとまわり大きい学術団体が主体になるべきなのだろう。
. . .

(1)の件からもこの件からも、気象学会は、他の専門集団とのつながりをもっと活発にする必要があると思う。しかしその相手はいろいろ考えられる。

実は日本気象学会は、すでに、地球惑星科学連合(JpGU http://www.jpgu.org/ )の構成員になっている。

JpGUは(設立初期は違う時期だったが)このところ毎年5月末ごろに幕張メッセで大会を開いている。JpGUに参加する学会のうち年2回大会を開いていたところの多くが、春の大会をJpGU大会の中で開くようにした。ところが気象学会には、JpGUができる前からの伝統があり、毎年5月に関東、10月から12月の間に関東以外の持ちまわりで大会を開いている。この春の大会がJpGUの大会と同じ時期になってしまったのだが、わずかに時期をずらして別に開いている。気象学会員でJpGUでも活動したい人は、日程が2週間続けてふさがることになってしまった。

(なお、日本海洋学会も春の大会をJpGUに合わせず4月に開いている。海洋学は海洋物理・化学だけでなく生物学も含むので地球惑星科学におさまりきれず、また別組織ではあるが水産学会との結びつきが強いという事情がある。)

わたしは前から気象学会も春の大会をJpGUの中でやるべきだと思ってきた。参加者の立場からは、ひとつ難点がある。JpGUは気象学会よりも大会参加費が高い。今年の大会のJpGU個人会員の場合、事前登録で1万1千円、当日登録で1万3千円だ。これに加えてJpGUの年会費が2千円かかる。また発表する場合はさらに予稿投稿料として少なくとも1500円かかる。気象学会のほうは、これから開かれる今年秋の大会の場合で、発表者は8千円、その他の聴講者は事前登録で3千円、当日登録で4千円となっている。

原発事故後の事態によって、気象学会はJpGUの中に軸を移す動機が強まったと思う。放射性物質を扱う人々はいろいろな学会に分散している。理学のうちの生物学のコミュニティに属する生態学会、農学のコミュニティに属する土壌肥料学会などが重要だと思う。医学のコミュニティに属する学会もいくつもあると思う。しかし、気象学がとくに密接にかかわる必要のあるのは生物地球化学サイクルの研究者であり、その人たちは主の所属学会はまちまちでもJpGU大会に集まる。だから今こそ、気象学会は春の大会を独自にやるのをやめてJpGU大会に統合しよう、と主張したい。気象学会だけに出ていた人の負担をふやすのは残念だが、両方に出なければならない人の負担を軽くすることも大事だ。

もっとも、原発事故後の事態によって気象学会がかかわる必要が高まった相手はこれだけではない。人間社会のエネルギー資源を再生可能エネルギーに頼る必要が高まった。太陽光・風力などの応用技術を開発し実用に提供していくために、気象にかかわる知識・情報を、応用研究者と気象学者とがいっしょに構築していくべきだと思う。気象に対して応用の立場にたちうる学会のうち、水文・水資源学会、農業気象学会はJpGUの構成員になっている。しかしそのほかに、たとえば、日本風力エネルギー学会(最近、日本風力エネルギー協会から改組された)や、日本太陽エネルギー学会などもある。このようなところといっしょに「基礎・応用気象学連合」のような活動をしていくことも考えられるかもしれない。しかしそれをJpGUへの結集よりも優先させるべきだろうか。どちらかというと、春の大会をJpGUにまとめ、それによってできた余裕を応用連携にふりむけたほうがよいような気がする。
...

気象学会事務局のことにもどるが、わたしは、独立性を形にするだけのためにあわてて気象庁内の事務局を引き払う必要はないと思う。しかし、気象庁自身が移転をひかえているという事情もあるので、機会があれば、JpGUを構成する複数の学会がいっしょに事務局をかまえる体制に変えていくのが望ましいと思う。(たとえば、JpGU構成員である東京地学協会が地学会館という建物を持っているのだが、ここにまとまって入居することはできないだろうか?)