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気象学会について思うこと(1)放射能輸送シミュレーションの件

7月14日、日本学術会議(http://www.scj.go.jp )のシミュレーションに関するシンポジウムに出席した。話題はたくさんあって論じきれない。その中で、福島原発事故に関連した気象シミュレーション情報提供について、日本気象学会( http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj/ http://metsoc.jp/ [2020-07-23 リンクさき更新] )の理事長が3月18日づけ[2011-08-01訂正:16日と書いてしまいましたが正しくは18日でした](オンラインに置かれたのは21日らしい)で会員向けに出したメッセージ【2020-07-23現在、「東日本大震災への対応」のページhttps://www.metsoc.jp/2013/01/31/166 からリンクされておかれている】が、何度か話題になった。正確な表現は覚えていないが「学者としての責任放棄だ」というような強い非難もあった。

気象学会員、というよりも「気象学界」つまり気象学者共同体のメンバーとして、わたしは、「とても残念なことだが、突然の事態に対する対応としてはあれしかなかった」と思っている。確かめていないが、多くの気象学者がそう思っていると思う。満足ではなく残念なのであり、今後はよりよく社会に貢献できるように態度をあらためていくべきだという含みをもっている。しかし、どのようにあらためてよいのか、気象学者だけでは発想が限られる。かと言って別の分野の専門家に自分の分野の流儀でやれと言われても対応できない。ここでぜひ、複数の科学専門分野を対象として観察できる科学技術社会論者に、気象学界のかかえる問題の構造を研究していただきたいと思う。そして、気象学界がとる行動について複数の選択肢を出していただけるとありがたい。

ここでわたしは、気象学出身で科学技術社会論に(も)滞在している立場で、科学技術社会論者に向けて、(とくに日本の)気象学界の事情を説明しようと思う。いわばジョン万次郎がアメリカ人に日本事情を説明しているようなものであって、この比喩を続けるならば浦賀奉行がペリー艦長に説明するような公的代表性はないことにご注意いただきたい。
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理事長に限らず多くの気象学者が「シミュレーション結果、とくにその分布図の画像をインターネット上に公開することは、実際以上に大きな危険があるかのようなデマのもとになりかねないので、慎重にするべきだ」というような発言をした。そこに学界外の人が「知らしむべからず、よらしむべし」という権力側の思想を読み取ってしまったことが多かった。しかし、わたしの主観的推測だが、そういう思想が背景にあることは少なかったと思う。
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第1に、ほんとうにデマ(まちがった情報の流通)が心配だったのだ。

ふだんにまして、大災害の状況での情報には不確かさが大きい。危険の可能性があれば隠すべきではないというのはもっともだが、不確かさの幅のうちで危険の可能性を指摘するほうに偏ればよいというものではない。避難をすれば生活が中断され、ストレスによる健康への影響もある。放射能のリスクと避難のリスクの両方を考える際に、放射能のリスクばかりが強調されてはいけないのだ。

客観的に検討していないが、世の中、とくにインターネット上の言論が、寺田寅彦流(わたしの別記事 http://macroscope.world.coocan.jp/ja/sayings/fear_ja.html 参照)に言えば、放射能を「こわがりすぎる」ものと「こわがらなさすぎる」ものに二極分化する傾向があり、「正当にこわがる」ものが少なくなっていたと思う。

(Twitterには訂正能力があるという人がいる。単語や数値のまちがいは訂正できたのかもしれない。しかしtwitterのきびしい字数制限のもとで画像の説明を訂正するのはとてもむずかしい。また、必ずしも論理が通ったものが生き残るというものではなく、根気よく言い続ければ負けないということだろう。放射線医学と素粒子物理には言い続ける覚悟のある人がいたが、気象にはそこまでがんばれる人がいないので事前に慎重になるしかなかった、ということなのかもしれない。)

大気による放射性物質の輸送に関しては、ヨーロッパ諸国の気象庁その他の機関によるシミュレーション結果の図がインターネットに公開されており、それに関する情報がとびかっていたが、伝達されるうちに図が実際に示す数量がなんであるのかの説明が失われているものも多かった。図は何かの(必ずしも現実的でない)前提を置いて計算された結果の放射線の強さを色分けで示していたが、発生源付近に比べてなん桁も小さい数値にも目立つ色をつけて示されていた。色分けの間隔は、数値自体について等間隔ではなく、数値の対数について等間隔、つまり数値の桁が変わるごとに変わるものが多かった。研究者向けの情報提供としては、小さい数値まで表示し、数値の桁の違いがわかりやすいのが望ましいので、これはよい表現方法なのだと思う。しかし、数値の意味がよくわからないしろうとが図を見た印象で判断すると、実際には小さい数値を表現する色を、危険な濃度を示すように受け取ってしまうこともある。気象シミュレーション能力を持った日本の研究者は、外国発の情報がそのように変質して伝わっているのを見て、情報の示しかたを慎重にする必要があると実感したのだ。

情報は隠さずにどんどん出すべきだというスジ論は、観測データについては正しいと思う。その場合でも、報告された値がまちがっていること(機器の故障を含む)もあるので、訂正情報を伝えるしくみがしっかりしていない場合には慎重にする必要があるが。

しかしシミュレーションの場合は、研究者の思いつきによって非現実的な条件でのシミュレーションも可能だ。そのうちには結果だけ見ると現実的な予測と思われるおそれのあるものもある。とくに震災直後の被災地に伝わる情報伝達経路が細かった状況では「誤解を招くリスクが大きいシミュレーション結果は一般の人に見られるところに置かないほうがよい」という判断が出てくるのももっともだと思う。質のよい情報にしぼって出すべきなのだ。前提条件がわかりやすく、しかも社会からの問いに対応していることが重要だ。モデルは必ずしも最先端のものがよいとは限らず、よく検証されているものがよい。

また、社会が求めている情報と科学者が出せる情報がくいちがっているとき、その違いを誤解なく伝えることも重要だ。

現場の人々から期待された情報は、そこにいる人が受ける放射線量および放射性物質の量(放射線量の単位で示されることが多い)だった。放射線は大気からもくるが地面(土壌など)からもくる。土壌に含まれるのは(陸上ではおもに)大気(風)によって運ばれたものだが、地面に落ちたあとの物質の動きは、気象学とは別の専門分科の課題になる。地面に落ちるところまでならば、気象学の知識に基づく(天気予報に使われているような)数値モデルに放射性物質の輸送と壊変を含めれば計算することはできる。

ただし、大気からどこにどれだけ落ちるかは降水(雨や雪)によって大きく変わってくる。(原爆のときの「黒い雨」の例もある。) 雨や雪は天気予報用の気象モデルでも計算されている。百キロメートルくらいの領域の内に雨が降るかどうかならば、全球規模の観測データがそろっていれば、かなりよく予測できるようになった。しかし、百キロメートルの領域内を1キロメートルの分解能で見てどこに多く雨が降るかは、おそらくモデルがいくら改良されても予測不可能だ。なお、ローカルな風も、3月は幸い大規模な風と地形とで決まる状況だったのでわりあいうまくシミュレートできたが、夏だとローカルな積乱雲の影響が大きいのでむずかしいと思う。雨や雪が降ったシミュレーションの結果を細かく見て地上の線量の計算値が大きい場所が危険と思うのは見当はずれだ。ローカルに警戒する場所を判断するには実際に降った雨の分布を見なければならない。

さて、広い意味の科学者には、研究者のほかに、科学的情報を社会に伝えることを専門とする人(科学コミュニケーター)が含まれる。気象という分野は、すでに気象予報士というコミュニケーターの制度を持っていた。しかし予報士制度は気象庁の天気予報に特化したものなので、それ以外の、たとえば放射能に関する知識の提供を担当することはむずかしい。それでも、気象モデルとは(全球規模モデル、メソスケールモデルそれぞれが)どんなものかの説明を予報士に引き受けていただけることが確実だったら、シミュレーション研究者はもう少し積極的に計算結果を発表できたかもしれない。

今回は気象と放射能にまたがる科学知識を説明できる人がほしいことになったが、次はまた別の組み合わせが必要になるかもしれない。科学界としては、複数の専門分科にまたがる知識を説明する努力がむくわれるようなくふうをしていくべきなのだろう。
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第2に、防災情報の一元化という原則がある。

災害時には、危険を知らせるさまざまな情報が発信されると混乱が起こりうる。そして、情報の発信者の多くは、情報がまちがっていた場合にそれに従った人が受けた損失について責任をとれない。そこで、防災情報は、それを業務とする国の機関が発信することにし、それ以外の人々が勝手に出してはいけないとする。日本では、気象の警報については、気象業務法という法律で、気象庁だけが出すことができ、ほかの主体は気象庁が出したものを伝えることだけができる。

もちろん、気象庁の観測網・通信網がこわれてしまったら、気象庁に一元化することは意味をなさない。しかし、東日本大震災の場合、一部の観測所との通信がとだえたものの、気象庁の観測網・通信網は全体としては正常に業務を続けた。そこで、気象庁の業務対象に関する限り、気象庁への一元化は適切だったと思う。

しかし、環境放射線に関しては、気象庁の業務はごく限られている。(全球規模の輸送シミュレーションをしてIAEAに報告することはそのひとつだった。) 1999年までは原子力安全関係の実務の担当は科学技術庁であることは明確だったのだが、省庁再編後は、内閣府の原子力安全委員会、経済産業省の原子力安全保安院に分割され、発電所敷地外の放射線のモニタリングは文部科学省に残された。文部科学省の旧科学技術庁を引き継ぐ諸部門は、期限を限った技術開発を得意とするが、それが完了したあとの継続的運用の体制は貧弱だった。SPEEDIが想定した計算結果の利用者は一般市民やマスコミではなく地方自治体だったが、自治体側で使いこなせるような利用者支援が伴わなかったようだ。

事故のあと防災情報を一元化するところは内閣官邸ということになり、ウェブサイトhttp://www.kantei.go.jp/saigai/index.html はつくられたが、たくさんの情報を理解して提供できる人の組織が作られたわけではない。この状況で各機関がとる態度としては、自発的に発信したうえで、官邸のウェブサイトからリンクしてもらうように要請する、というのが適切なところだろう。

実際の問題を考えるには、気象と放射能の両方の情報をいっしょに扱えるようになっているべきだ。そういう情報の発信をだれがするべきかに関する準備はできていなかった。これからでも、担当機関を決めて始めるべきだろう。これは基本的には役所間の役割分担の問題で、内閣レベルの決断を求めたいのだが、複数の役所に属する人が個人として参加している学会にはそのきっかけを作る役ができるかもしれない。

ただし、次に起こる複合非常事態は、たぶん原子力事故ではなく、別のことがらの組み合わせになるだろう。担当をあらかじめ決めておく方法で対応できることには限りがある。ふだんから、複数の専門にまたがる知識をもつことを奨励するとともに、何と何がわかる人がどこにいるかの情報を検索可能にしておくべきなのだと思う。
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日本気象学会という組織特有の問題点は続いて(2)として述べることにする。