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3×5 = 5×3、しかしベクトルではB×A = -A×B。

おおくぼさんの「雑感:小学校の算数」で知ったのだが、dankogaiさんの「3x5=5x3」をはじめとしてあちこちで議論になっている。

小学校の算数で

さらが 5まい あります。
1さらに りんごが 3こずつ のっています。
りんごは ぜんぶで 何こ あるでしょう。

という問題に対して

5 × 3 = 15

という式をたてた答えを、ある先生はまちがいとした。
dankogaiさんは

正しい。誤りとするのが、誤り。

という。わたしもそう思う。ただし、dankogaiさんの主張のうち、「可換性はまったく関係ない」と強調して述べているところだけ、賛成しない。これは、かけ算の交換可能性が深くかかわった問題なのだ。[2010-12-02追記: 当初「かけ算の交換可能性の問題なのだ」と書いてしまったが、考えてみるとそれだけというわけでもない。交換可能性を確認したあとでも、「何を『かけられる数』とし何を『かける数』とするかをまちがえてはいけない」という先生がいるかもしれない。]

おおくぼさんは、たし算に話を広げている。この場合、おそらく3+5を5+3としてはいけないという指導方針は通用しないだろう。全部ではないとしても多くの子どもが、たし算を理解する際に、無意識のうちにそれは交換可能性をそなえているものとして理解し、使ってしまうだろう。物理量の場合でいえば、+の両側の項は同じ次元の量でなければならないし、結果も同じ次元の量だ。確かに、応用事例については、たとえば貯金にお金を追加していく文脈で、これまでの残高を先に書いて追加する額をあとで書くことに統一しないとわかりにくい、といったことはあるだろう。先生が、授業のその単元では(実際には「単元」という教師用語ではなく生徒に理解できる形で授業内容のまとまりを示して)これこれの約束に従うように、と指示してもよいだろう。しかしそれは明らかに、たし算の性質ではなく、その応用事例の性質によるものだ。

かけ算の場合も、交換可能性が直観的に感じられることはある。たとえば、生徒が長方形にきちんと、横に5人、縦に3人、ならんでいるとすれば、これは「5人×3列」でも「3人×5列」でもありうる。

しかし、たし算の場合と違って、演算の前後の項は必ずしも同類ではない。物理量の場合、「かけられる数」と「かける数」と、結果との、3つの量の次元は、一般に同じではない。3キログラム(質量)と5メートル毎秒毎秒(加速度)をかけると15ニュートン(力)となる。(ニュートンという単位がキログラム・メートル・秒から組み立てられていることを前提としている。)

「3m×5」と「5m×3」とは、もし実際3mずつなり5mずつなりに切られたひもを数えるというような状況ならば、違う意味をもつと言ってよいだろう。しかし、「3m×5」を「5×3m」と言っていけない理由はない。あるとすれば、数学ではない日常言語の習慣にすぎず、たとえば日本語と英語とで自然な順序が違うだろう。

「3m×5m」が長方形の面積ならば「縦×横」の順序に統一したくなるかもしれないが、座標平面に慣れれば「x方向の長さ × y方向の長さ」つまり「横×縦」の順のほうがふつうになるのではないだろうか。長方形も平行四辺形だから「底辺×高さ」を使うと言ってもよいのだが。

かけ算を習いはじめた小学生のうちには、言われるまで交換可能性を知らない生徒もいるし、直観的に交換可能性を認識して使ってしまう生徒もいる。最終的にはどちらの生徒にも意識的に交換可能性を使えるようになってほしいわけだが、それまでの段階で両方の生徒が混ざった学級にどう教えるかはむずかしい。わたしは子どもに教えた経験がないので自信のない発言だが、この場面では、教える側の例の順序は単元内で統一するが、生徒の答えで順序が逆になっていてもとがめない、という態度が適当だろうと思う。

[2010-12-22追記: きくちさんのkikulogでも12月9日から話題になっていて、わたしも参加しているが、このページのここから上の話題に限定している。]

話題は変わって....

ところで、かけ算の交換可能性に直観的になじんでしまうと、小学校の算数と違った数学で、うっかり交換可能性を想定してまちがえるおそれはある。

たとえば、3次元ベクトルの積には、「内積」と「外積」と呼ばれるものがある。内積には交換可能性があるが、外積にはない。むしろ「反交換性がある」というべきだろうか。外積は2つのベクトルのなす平行四辺形の面積に相当するが、ベクトルのなす角をどちら側からはかるかによって、正負の符号が逆になってしまうのだ。B×A = -A×B。なお、同じ方向を向いたベクトルどうしならば、角度は0なのでどちらを先にしても区別がつかないが、外積の値も0になるのでさしつかえない。

いろいろな数量の計算をするようになる小学校高学年くらいで、交換可能性がありそうに思えるが実際にはない演算もあるのだ、ということを知っておいたほうがよいのではないだろうか。

小学生にベクトルの外積を教えるのは現実的ではないが、関連があって小学生にもわかりそうな演算はある。3次元空間の中で物体を3つの直交する座標軸のまわりにそれぞれ直角の倍数だけ回転する操作について、回転したものをさらに回転するという組み合わせの演算だ。x軸のまわりの回転とy軸のまわりの回転の順序を変えると、結果は同じにならない。

この演算は、ブライアン・ヘイズさんの随筆集『ベッドルームで群論を』[読書メモ]の表題となっている作品の主題でもある。マットレスの向きを変えるには、水平を保ってまわす(つまり鉛直軸のまわりに回転させる)こと、頭と足を結ぶ軸のまわりにまわすこと、おなかのところを横にのびる軸のまわりにまわすことができる。それを組み合わせてどういう結果になるかは、組み合わせる順序にもよる。

ヘイズさんの、マットレスを一部分だけがいたまないようにまんべんなく使うために、可能なすべての配置をめぐるような回転操作のルールを知りたい、という動機には、わたしはあまり興味を感じない。
[2010-12-02追記: ここ以後、この記事を書いた当初かんちがいをしていたので、書きなおした。]

地球上の3次元空間に分布する数量を示すデータが、東西、南北、上下についてそれぞれどちら向きに記録されているか確認する、という作業ならば、わたしの職業上の日常茶飯事であり、どの順序で何回裏返したら全部の可能性を確かめたことになるのか、というのは切実な問題だ。しかし、この数値データを「裏返す」作業は座標を反転させる(符号を変える)ことであり(鏡像になる)、物体の形を保って回転させる(鏡像にはならない)こととは違う。

回転操作の話を続けると、「ルービックキューブ」はまさにこの結合演算の実験なのだが、興味をもつ人ともたない人が鋭く分かれるようだ。わたしはあまり興味をもてなかったほうだ。もともと対称性のよい立方体なので回転しても変わるのは色だけであり、しかも色がそろうことがそれ以外にとくに意義をもたないので、つまらないと感じる人にはつまらないのだ。

しかし、地球科学を専門としたわたしにとっては、回転に関する演算が苦手のままきてしまい、うっかり交換可能性を仮定してしまいがちなのは、まずいことだ。(地球の自転軸の細かい変動に関する力学の話題とか、3次元ベクトルの観測値の座標軸変更のための演算処理の説明とかについていけないことがある。) そして、回転操作に関する感覚と数学的理屈とが結びついていることは、地球科学者に限らず、機械を扱う人、あるいは自分のからだをうまく動かしたい人にとっても、有意義なことだと思う[この段落は2010-12-12に追記したもので、さらに2010-12-22に補足した。]。

3次元の、対称性のあまりよくない物体を、左右、上下、前後の軸のまわりに回転するとどう見えるか、という問題にして、実際に作図してみれば、小学生でもおとなでも興味がもてるのではないだろうか。