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領土問題は存在する。存在しないとよいのだが。

外務大臣が「尖閣諸島に関しては領土問題は存在しない」と言ったそうだ。かつてのソ連や現在のロシアの外務大臣などが「クナシリ・エトロフに関しては領土問題は存在しない」と言ったのと同じ理屈にちがいない。わたしから見ると、複数の国の領土に関する公式記述を両方認めると矛盾が生じるところには領土問題が存在するのであり、存在しないというのは詭弁としか思えない。しかし、国家という装置はこういう詭弁を言わないではいられない装置なのだろう。問題は、その装置に組みこまれている国民がそういう詭弁に従うことを求められているかどうかだ。少なくとも言論の自由のある国では、一般国民は思ったままを言ってよいのだと思う。しかし、国の予算で仕事をしている人の場合は、何を言ってよいか/いけないかは簡単ではなさそうだ。

たてまえ論にしても多少の疑問はある。クナシリ・エトロフの現状は、ロシアが実効支配していると言ってよいと(わたしは)思う。ロシアが「領土問題はない」と言えるのは「現状でよい」と認識しているからだろう。現状でよくないと思っている日本の立場では領土問題があるのだ。尖閣諸島は日本が実効支配していると言えるかもしれないが、日本の立場からみて現状でよいのだろうか? 領土問題が明示された状態よりは現状のほうがましだということなのだろう。

(話を大きくしてしまったが、この日本の外務大臣の発言が、もし特定の事件に限って「この事件は日本の領海内で(たまたま外国籍の)船が海上保安庁の船にぶつかってきたという公務執行妨害事件にすぎず、国際問題ではない」と言いたかっただけならば、日本の行政府の主張としては理解できると思う。ただし中国の側から見ればこれは領土問題の一部だし、第三者からみてもたぶんそうだろう。)

領土問題がある地域については国際的な場での判断が必要になることがある。その場合に、当事国でない国の役割が重要になると思う。

パレスチナには領土問題がある。キリスト教徒を多数とする国はユダヤ人に負い目があってイスラエルの横暴を止められないように見える。世俗国家としての実績のある(さらに言えば、国家宗教的なものをもった近代国家を作ろうと試みて失敗した実績のある)日本が、現代の国家は多宗教の自由を認めなければ持続不可能であることを、イスラエルに直言すべきではないだろうか。

南シナ海の領土主張はとても複雑だが、日本はその当事者ではない(第2次大戦中の日本を含めれば別だが)。日本は国家として「南シナ海に領土問題が存在する」ことを認めることはさしつかえないと思う。領有権の判断自体は当事国間の問題であり、日本などは、国際司法裁判所のようなしくみの一員として以外は、かかわることができないと思う。まず必要なのは安全の確保であり、これには暴力的な紛争を防ぐことと、自然災害の監視が含まれる。日本も公海を船が航行するという意味では当事者だ。問題解決の場をつくることにかかわっていくべきではないだろうか。(いわゆる東アジア共同体の機能の一部かもしれない。) 次の段階に進めるとしたら、天然資源(水産物、地下資源、自然エネルギー資源などを含む)の共同管理だろう。当事者は周辺国に限られるだろうが、日本は貿易による利害関係は大きいだろう。

さて、地球の状態を知りたいという文脈では、領土問題のあるところも例外とはしたくない。今では衛星などによる遠隔観測のデータはあるが、現地データを得ようとすると、そこを実効支配をしている国があればその国から直接または間接に得るしかない。地名の表記なども観測をしている国から提供された情報を使うことが多い。結果として、実効支配があるという事実を認めたことになってしまう。それで、その場所に権利を主張している他の国との協力関係がこわれると困る。科学文献では領土問題にふれることは避けることが多いが、地名や観測機関をあげたのは領有権を支持したものではないとことわることもある。それでもすまず、せっかくあるデータが使えなくなっている場合もあるかもしれない。