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気候変動適応策について、まず総論的に考えてみた。

気候変動適応策について、まず総論的に考えてみた。

【根拠を示さないと説得力がないと思うが、文献参照を書き始めるときりがないのでひとまず省略する。】

【「地球温暖化」「気候変化」「気候変動」は、意味の広がりが違うが、重なる部分がある、ここでの議論のおもな対象はその重なる部分だ。文脈によって意味の広がりの違いを考えながら適切な用語を使いわけていく。】

気候は人間活動がなくても変動する。しかし、20世紀後半以後、気候変動の要因として人間活動が無視できなくなってきた。そのうちでも、化石燃料を燃やすことによって大気中に出てくる二酸化炭素の増加が、全球平均地上気温の上昇という特徴をもった変化をもたらすことがわかってきた。「地球温暖化」という用語は(単純な「暖かくなること」という意味ではなく)気候の変化のうちこの因果関係による部分をさしている。
【気候変動の要因となる人間活動を、ここでは二酸化炭素排出で代表させる。実際はそれ以外の要因もあるが、それを論じるのは別の機会にしたい。】

気候の変化の影響は、一般にはよいことも悪いこともあるが、温暖化がある程度以上強くなると、悪影響のほうが多くなると予想される。人間社会はそれぞれの地域の過去数百年の自然変動幅を含む気候に適応しているのがふつうであり、温暖化であれ寒冷化であれ、適応した範囲から外にはみだしてしまうような気候の変化は困ったことであることが多い。また、地球温暖化に伴う乾湿の変化は単純ではないが、大筋として降水量の変動幅が大きくなると予想される。大雨も渇水も困ったことだ。温暖化が進めば、海水の熱膨張と氷がとけることにより海面が上昇し、海岸付近の土地が使えなくなったり構造物の改造が必要になったりする。

気候変化に対する対策は、大きく、変化に適応することと、変化を小さく食い止めることに分けられる。後者は英語ではmitigation、日本語では「緩和」と呼ばれることが多いが、わたしは「軽減」という表現のほうが適切だと思っている。
【ここでの「軽減」は気候自体の変化を小さくすることである。「気候が変化してもその影響を小さくくいとめる」という目標設定もあるが、それは「適応」と呼び「影響の軽減(緩和)」と呼ぶことはなるべく避ける。】

適応策と軽減策は、どちらか一方でなく、両方必要だと考えられている。

軽減策をとらなくても変化に適応すればよいという理屈はありうる。温暖化の軽減策の主要部分は二酸化炭素排出量削減であり、それは現代の人間社会が大きく頼っているエネルギー資源の消費量を減らしたり内容を変えたりすることになるので、社会にとってむずかしいことだ。このむずかしさと、変化に伴って生じる損失とのどちらを重視するかは、社会としての価値判断の課題だ。しかも、将来の変化の予測やそれに伴って生じる損失の評価にはどうしても不確かさが伴う。そこで安全寄りの判断をするべきだと考えられるが、どのくらい安全を見こむべきかは各人の価値観によるだろう。このように、軽減策の必要性は自明ではないのだが、この十数年ほどの多くの研究に基づいて,多くの評価専門家が,温暖化はなるべく小さく食い止めたほうがよさそうだ、と考えるようになってきた。

軽減策の必要性を主張する人の間では,適応策は話題にされない傾向があった。適応策について述べると、軽減策の必要性、あるいはその倫理的正当性の主張が弱まると感じた人もいたようだ。

しかし、ある程度の温暖化はもはや避けることができない。少なくとも3種類の慣性のようなものがある。第1に、海の水がエネルギーをたくわえるので、温度はその上昇の原因(ここでは二酸化炭素濃度)よりも遅れて上がっていく。海面上昇はさらに遅れるだろう。第2に、二酸化炭素は大気中に蓄積していくので、濃度は排出量よりも遅れてふえていく。第3に、人間社会のエネルギー資源利用の設備(たとえば発電所)の更新に時間がかかるので、排出量削減の実現は意図よりも遅れる。したがって、適応策が必要なことは明らかだ。ただし軽減策がうまくいけば、適応すべき変化の規模が小さくてすむ。

理想化して考えると、人間社会は自然変動幅を含む自然の気候に適応しており、それに加わる人為的変化の部分(平均値がずれることや変動幅が大きくなることなど)に対応することを「温暖化への適応」として取り分けて扱うことができそうだ。

しかし実際は分けることはむずかしい。まず、気候システムは非線形であり、その変化は原因別の変化のたし算ですむとは限らない。しかも、人間社会が適応しなければならないのは各地のローカルな気候だ。ローカルな気候の変化のうちで二酸化炭素濃度増加に由来する変化を抽出することは全球平均地上気温の場合に比べてずっとむずかしい。次に、気候の変化と同時に人間社会の側にも人口増加をはじめとする変化がある。さらに、これまでの気候に適応できているとしても、それが化石燃料を消費し続けることによって成り立っているならば、温暖化軽減のために、適応のしかたを変えていく必要がある。このように考えると、人間活動に由来する温暖化への適応策よりも、自然変動を含む気候変動全体への適応策を考えたほうがよいことが多いだろう。国際的な費用負担のしくみは原因別に分けて設計する必要があるかもしれないが、分けられた予算を合わせて執行することを認める必要があると思う。

温暖化軽減策と同時に気候変動適応策を考える上で、鍵となることの一つは、化石燃料に頼る前の人々がどう気候に適応してきたかを知ることだろう。それはそのままでは変化する気候のもとでは有効ではないかもしれない。しかし、別の地域で役立つかもしれないのだ。また,社会には昔(たとえば江戸時代)の体制にもどれないことも多いだろう。そこで,各地域の暗黙の知恵だったものを、明示的な知識にし、近代科学の観点からの評価も加えて、その要素の新たな組み合わせを考えられるようにすることが有意義だと思う。

もう一つは、各地の人がそれぞれの地域の自然エネルギー(再生可能エネルギー)つまり太陽光、風力、水力、バイオマス燃料、地熱、潮汐などに関する知識を持つことだと思う。ここでも伝統的知恵と近代科学的知識をうまく結びつけることが有意義だと思う。