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科学者候補の就職問題

行政刷新会議の科学技術関係の事業仕分けでいちばん打撃を受けるのは、大学院博士課程を出て就職しようとしている人や、今の職の期限切れがせまっている若手研究者(研究者と似た能力を期待される技術的業務従事者を含む)にちがいない。 若手研究者を対象とした事業がのきなみ「縮減」とされている。若手研究者自身による悲痛な叫びもあちこちにあるようだが、客観的には、科学史家であり科学技術社会論者でもある kenjiito さんの記事 http://d.hatena.ne.jp/kenjiito/20091114/p1 が参考になると思う。この記事は外国出張中に日本の報道を見て書かれたものだそうだが、kenjiito さんは前から若手研究者政策について考えておられる(たとえばhttp://d.hatena.ne.jp/kenjiito/20091028/p1 )。

問題は若手研究者向けの事業だけではない。それ以外の科学技術事業でも、特別に大きな(空間的寸法よりはむしろ複雑さと新規性の意味でだが)設備を必要とするもののほかは、経費の多くは人件費なのだ。 その大きな部分は、若手研究者を雇うのに使われる。 大きな事業の代表者になる人はたいていすでに職についておりその本務もあるのでその事業にフルタイムで貢献できるわけではない。 その下でフルタイムで働こうとしている人が、いちばん不安定な立場にあるのだ。

雇用の不安定化は、日本社会全体で起こっていることだ。1980年代まで、終身雇用は日本社会の正論だった。 それがよかったかどうかは意見が分かれるところだろう(みんなが終身雇用の恩恵に浴せたわけではないので)。 ところが、(ソ連の崩壊で資本主義への歯止めがきかなくなったのだと思うが)、人件費を削って株主への配当をふやす経営がいい経営で、政府の役割もそういう経営をする会社が活動しやすくすることだというのが、正論になってしまったらしい。 これでは、景気が悪くなれば失業者が大量に出るのはあたりまえだ。 政治は景気をよくしようと努力するべきだとは言えるかもしれないが(わたしはこれには「景気」の意味しだいで賛成だったり反対だったりする)、景気がよくなるという希望的観測を前提としてはいけない。労働需要の総量が減っても失業者がふえないですむ政策が必要なのだ。

大学院博士課程を出た人の雇用は、日本社会の平均以上に激しく不安定化したと思う。それは政策の失敗だと思う。博士課程の学生の定員をふやし、しかも定員を満たさないと課程がとりつぶされるかもしれないという圧力をかけ、他方で修了生がさまざまな道に進めるような教育カリキュラムを作れという行政指導はされなかったのだ。

一方で、科学政策は、抜本的見直しが必要だ。 とくに、科学の専門教育を受けた人には、狭い意味の科学研究者以外にも社会に役立つ道があると思われるので、その道を積極的に開く必要がある。 他方で、この見直しを、まずスクラップしてから計画を作るという手順で進めると、年単位のギャップができてしまう。その間におおぜいの失業者をつくりだすことになる。さらに多くの人が現政権に不満をもちそれを公言するだろう。また多様な能力をもった人は失業はしないが基礎科学から逃げてしまうか日本から逃げてしまうだろう。 短期的な緩和策が必要だ。

(これは今回思いついたのではなく、ある研究事業の評価委員になったときに考えたのだが)、若手研究者がつく予定であった職が、本人に対する否定的評価ではなく、政治的理由、または事業を推進する組織に対する否定的評価でつぶれた場合、その若手研究者に科学の業界にとどまる機会を与えることはできないだろうか。 予算が限られているので、すべての点で満足な待遇はできないと思う。 本人の研究テーマとは違う仕事で短期的に働いてもらうとか、研究機関所属の身分はあるが雇用上は非常勤だとかの条件しか出せないかもしれない。悪い労働条件を強制することのないように注意が必要だ。

もしかすると、科学者の組合を作って、失業した科学者も組合員としての身分で学会などで活動できるようにし、また生活に困る同僚にカンパする(死語?)というのが望ましいのかもしれない。 しかしそれが近日中にできるとは思えない。 (組合づくりの方法を知る人の多くはすでに引退されていると思う。) また「適性がない」という理由による解雇では本人と雇い主のどちらの言い分が正しいかは場合によると思うが、組合ではその判断に困る事態が生じそうだ。