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「京速」計算機

いわゆるスーパーコンピュータの件だが、スーパーという表現は、ふさわしい対象が時代とともに変わるに決まっているので、わたしは避けたい。 「京速」は、1秒あたり1京(10の16乗)回という演算速度を略したものだ。

わたしはこの事業についてあまり詳しい知識をもっていないが、利用予定者としてかかわっている同僚の話をもれ聞いた知識と「事業仕分け」の件の報道とを組み合わせて考えたことを書いてみる。 一方で、もっと正確な知識を持ってから発言するべきだと思うのだが、他方で、もっと不正確な知識によると思われる発言をただしておきたいと思うところもある。

これまでになかった計算能力がほしいとき、手段として考えられるのは大きく2つの方向がある。 よくわかった技術を使うことと、これまでになかった技術を使うことだ。

前者の極端では、工業製品として売られている計算機を買う。大きな能力がほしければ多数個買う。それを買う予算は研究費と呼ばれるかもしれないが、それは、計算される内容に関する分野の研究費であって、計算機をつくる研究費ではない。計算機科学の先端の人にとってはよそごとだ。

後者の極端では、これまでなかった(あるいは実用にならなかった)発想による計算機を作る。もし成功すれば画期的な性能を発揮し、基礎科学としての計算機科学が大きく変わるだろう。波及効果で世の中の計算機も変わるかもしれない。しかし成功するかどうかはやってみないとわからない。 応用研究者は、従来型と新型との両方に分割投資できるだけの労働力がある場合にはかかわるかもしれないが、そうでなければ敬遠して完成を待つだろう。

GRAPEは後者の極端に近い例で、応用研究者自身が設計の発想をもち、応用目的を限定して、自分たちで作った。

地球シミュレータ(第1期)は中間の例だ。ベクトル型計算機(当時「スーパーコンピュータ」と呼ばれたもの)を百個程度並列にするという構造だ。単独のベクトル機や、それを数個並列にする技術はすでにあった。百個並列にして運用できるようにするのは新たな挑戦である部分を含む。だから応用目的が主、計算機開発が副の研究開発事業になった。

なお、地球シミュレータ第2期は前者の極端で、第1期で開発された技術をもとに商品化された機種が導入された。2〜3倍程度の能力向上と資源節約が実現された。

ベクトル機は連続体の数値シミュレーションに適している。地球のシミュレーションは連続体のシミュレーションのけっして全部ではないが、その重要な部分をしめているだろう。大気も海洋も地球内部も、物理法則は、数量が空間3次元+時間1次元の実数値の座標の関数として連続的に分布する形で表現される。実際の計算機はディジタルなので連続関数を離散的な数値の組で近似するのだが、その際には規則的にならんだ格子点での値について基本的に同じ演算(たとえば隣の格子点の値との差をとる)を一斉にすることになる。したがって一斉に同じ演算をする機能を強化したベクトル機が有効なのだ。しかし変数の個数が多くなるとひとつのベクトル機の能力を越え、複数のベクトル機に分担させたほうがよいということになった。

地球シミュレータと演算速度を争っていたアメリカの機種は、(ふつうのパソコンよりは上だと思うがスーパーとは言えない性能の)スカラー型計算機を約1万個程度並列にして使うという、いわゆる超並列機だった。 地球のシミュレーションでも、連続体型ではなく多粒子型のモデルならば、超並列機のほうが適しているかもしれない。あるいはGRAPEのような専用設計のほうが適しているかもしれない。しかし、少なくともわたしのまわりの気象のシミュレーションをする人にとってはベクトル並列型のほうがありがたかった。

地球シミュレータができて、気象のシミュレーションは、連続体の運動方程式を離散近似で解くというおおもとでは変わらなかった。しかし、その次のレベルで大きく変わった。 全地球規模のシミュレーションを数kmの格子間隔でできるようになったので、大まかに言えば、個々の積雲と全地球規模の運動とが同時に表現できるようになったのだ。 (この格子間隔で表現されるものを個々の積雲と言えるかどうかには疑問があるが、数十kmの升目の平均量を計算するよりはずっと直接的になった。) これで熱帯の天気予報や(通称)「温暖化予測」(これの意味は別の機会に論じる予定)がどれだけ改善できるかは、やってみないとわからないが、まず研究としてやってみる価値はあるだろう。ただしそのためには、今の地球シミュレータの全能力を上回る能力がこのシミュレーションだけのために使えなければならない。

もっと性能の高い計算機を作る件は計算機科学の先端研究として扱われた。そうすると斬新な設計でなければならない。そこで「京速」はベクトル並列とスカラーの超並列とをさらに組み合わせることになったらしい。そのような設計が適切な課題もあるのかもしれない。(気象の分野でもありうるとは思うが、ソフトウェアが複雑になり保守しにくくなることを上回るメリットがあるだろうか。)

気象のシミュレーションの関係者の関係者として、わたしはベクトル並列の部分が確実に動いてくれることを期待していた。その後メーカー側の都合でベクトルの部分がなくなったことは残念だが、構造が単純になったことはありがたい。(利用者としては、これまでベクトル機を使って育ててきたノウハウが活用できるのならば、ベクトル機でなくてもかまわない。)

ところがこうなると、計算機設計の研究としてはあまり斬新ではなくなる。だから、ここで計画を見直すのはよいことだ。 国がそもそも科学技術に支出するならば、そのうちいくらかを数値計算用の計算機に支出する価値は必ずある(とわたしは主張したい)が、それは主として計算機科学ではなく計算機を使う各応用分野への間接投資と考えるべきだろう。どの分野の研究をどれだけの重みで推進するかを考えていただきたい。

また、科学を支える基盤となる設備とそれを運用する人の働きにも光をあてていただきたい。(今の状況をよく知らないが、かつて国立大学の計算機センターの経費の大部分は国から直接支出されていて、小部分を応用分野が使用料として払っていた。共同利用計算機は学術活動の共通基盤として位置づけられていた。)

資源の限りのある地球上のことなので、電力を節約することや、貴重な原料資源を節約することも、あわせて考える必要があると思う。