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「地球がこわれる」「地球をたいせつに」などというときの「地球」とは?

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも明示しません。】

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地球環境問題が重要だとうったえる人の話のなかに、「人間が地球をこわしている」「地球をたいせつにしよう」などという表現がでてくることがある。

地学をおしえる者としては、そういう言説は、地球について誤解したものだ、と言いたくなることがある。

人間は、全部あわせても、地球という惑星にくらべてずっと小さな存在だ。産業革命以後の人間は、動力をつかうことによって、生物としてのヒトができるよりも大量の物質をうごかしているけれども、それも、地球自体の物質のうごきにくらべれば、わずかなものだ。人間は地球の表面の状態をいくらかかえるけれども、それは「地球をこわす」というにはささやかな変化にすぎない。また、もしなにか別のもののはたらきで、地球が、たとえば二つに割れるようなこわれかたをしようとしているのならば、人間がいくらがんばっても、地球をまもることはできそうもない。

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地球全体ではなくて、地表面 (地面および海面)に近い層、つまり大気・水圏・陸面をさして「地球」と言っているのならば、話はすこしかわってくる。地学教師としては、それは「地球」ということばのまちがった使いかただ、と言いたくなることもある。しかし、地球を遠くから電磁波(光や赤外線)で見たとき見えるのは地表面に近い層(そこから射出された赤外線とそこで反射された太陽光)なのだから、その層をさして「地球」というのは、まちがいともいいきれないかもしれない。わたしは、それを(「地球」ではなく) 「(地球の)気候システム」とよぶ。

現代の人間は、化石燃料をもやすことによって、大気中の二酸化炭素をふやしている。二酸化炭素が赤外線を吸収し射出するはたらきをするので、二酸化炭素濃度がふえると地上気温が高くなる。「温室効果の強化」とよばれる現象の連鎖だ。これは「気候システム」をこわすことになるのだろうか。

もし、温室効果の強化がとまらず、海の水が全部蒸発して水蒸気になってしまうのならば (この因果連鎖は「暴走温室」とよばれる)、気候システムのたちばで見ても「気候システムがこわれる」という表現がふさわしいと思う。海がなくなっても大気があれば気候システムがなくなるわけではないが、地球形成初期は別としてその後40億年以上にわたって存在した気候システムとはまったく別ものになってしまうわけだから。

人間活動の結果として暴走温室がおこる可能性は、絶対ありえないとはいいきれない。ある専門家の一般向けの著書では、それがありうる可能性として書かれている。しかし、いまの専門家集団の見解を総合すると、その可能性は無視できるだろう、と、わたしは認識している。(ただしわたしはこの問題についてじゅうぶんくわしく読んでいないので、権威のあることは言えない。)

人間活動の結果としておこりそうな気候の変化は、世界平均地上気温が 5℃ ぐらい高くなる、といったものだ。(気温は場所によって時によってちがう値をとるから、場所により時によっての気温の上昇量はこれのなん倍にもなる。そのかわり、場所により時によっては気温があまり上昇しないこともあるし、下降することもあるだろう。平均はそういう複雑な変化のひとつの指標にすぎない。) これを気候システムのたちばから見れば、数量はかわるけれども、気候システムのしくみが変わるわけではない。大気には「ハドレー循環」や「温帯低気圧」があり、海洋には「風成循環」や「熱塩循環」があるという構造は変わらないだろう。(熱塩循環が、北大西洋の高緯度でしずみこむようなものでありつづけるか、という問題はあるが。) 人間は、地球をこわしていないだけでなく、気候システムをこわしてもいないのだと思う。

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しかし、人は「地球」ということばをいつも地学での意味でつかっているわけではない。

「人間が地球をこわしている」「地球をたいせつにしよう」というときの「地球」には、「人間を生かしてくれる場」というふくみがあるのだと思う。

ヒトは、気候システムがある範囲の状態にあるもとで進化してきた。ヒトにとって、気候システムの状態がその範囲からはずれれば、ヒトをささえてくれるものとしての気候システムがこわれたと言ってもよいだろう。

とくに、約1万年まえからの「完新世」の時代 (ここでは産業革命前をさす) には、大気中の二酸化炭素濃度も、世界平均気温も、約260万年間の「第四紀」の変動はばにくらべて、せまい範囲におさまっていたことがわかってきた。農業も、都市も、このせまい範囲の気候状態に適応して発達してきたのだ。(この範囲の内での気候の変動はあり、それが人間社会にとっては大きな、文明の盛衰ともよばれるような変化をもたらしてきたらしいのだが、気候システム自体にとってはわずかな変動なので、この因果関係を確信をもって論じることはむずかしい。)

産業革命以後の人間活動による大気中二酸化炭素の増加の結果として、気候の状態は、この人間社会が適応してきた範囲をはみだすものになるだろう。だからといってすぐに人類がほろびるわけではないし、文明がほろびるわけでもないけれども、世界人類の生存にとっての困難をもたらすかもしれない。人間を主体として見たときに、人間は気候をこわしているということができる。もし地球を地表面に近い層で代表させるとすれば、地球をこわしているといえるかもしれない。

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人間がこわしているのは、気候だけではない。人間は、生態系に対して、土地利用変化や漁獲などによって直接的に影響をあたえているし、大気や水や土壌の汚染によって間接的に影響をあたえている。それによっていくつかの生物種の絶滅もおこっている。生態系のたちばにたったとしても、人間生活をささえる生態系のサービスに注目したとしても、「いまの人間は生態系をこわしている」「生態系をたいせつにしないといけない」と言えるだろう。「地球」ということばで生態系をさすのは無理があるが、「緑の地球」といった表現ならば、「生物圏」つまり地球全体の生態系をさすものとして理解はできる。

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わたしは、自分のことばとしては「地球がこわれる」「地球をたいせつに」などをつかいたくないけれども、他人がつかうのは許容できるようになってきた。ただし、そこでいう「地球」は、地学でいう地球そのものではなく、人類の生存をささえてきた地球環境 (気候と生態系をふくむ) をさしている、と指摘をつづけることにする。