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「第四紀学と環境保全」(小野 有五, 2016) についての個人的感想

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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第四紀研究』第55巻第3号が届いた。わたしは日本第四紀学会の会員ではあるものの、このところ完全にpassive memberになっていて、大会や行事に参加しないだけでなく、学会誌を読むこともあまりなくなっていた。しかし、小野有五さんの論文(2014年 日本第四紀学会賞 受賞記念論文、研究成果報告ではなくて「論じる文」)は読むべきだと感じた。

しかし、その内容は科学者の生きかたに関するもので、わたしには、柴谷篤弘(1973)『反科学論』について感じたのと同様に、読むのがつらい。読みはじめると、大筋で賛同したくなる。しかし、もし全面的に賛同するとすれば、わたしは生きかたを変えないといけない。国策の一環である研究機関を辞職すべきなのかもしれない。あるいは、あえて職についたまま、その立場をも利用して価値理念の達成のために働くべきなのかもしれない。しかし、生きかたを変える決意ができない。もどってみると、著者の言うことに全面的に納得できてはいないのだ。しかし、反論しようとしても、なかなか筋がとおる形に組み立てられない。それで、読み進むのがつらくなる。

小野さんの著書『たたかう地理学』が2013年に出たことも知りながら読めなかったのだ。今も、この論文をきちんと読みとおしたわけではなく、読む気になれた部分を拾い読みして感想を述べていることをおことわりしておきたい。

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小野さんの狭い意味での専門は、第四紀の、氷河によってできた地形や、土壌水分の凍結融解によってできた地形(伝統的に「周氷河地形」と呼ばれるが氷河と直接の関係はない)、そして、それらを指標として理解される気候の変遷だ。わたしは1980年代前半の大学院生のとき地理学コースが開いた集中講義をきいたことがあり、論文もいくつか読んだ。

1990年代、国際共同研究プログラムIGBP (International Geosphere-Biosphere Program)のうちのPAGES (Past Global Change)が始まった。わたしは、その成果の報告をいくつか見たし、日本の研究者もそれに参加していることを知ってはいたが、不覚なことに、小野さんがそのアジアの部分のまとめ役のような仕事をしておられたことに、これまで気づいていなかった。

また1990年代、小野さんが、開発にかかわる自然環境保全の問題、とくに千歳川放水路の問題にかかわっておられたことは、気づいていたものの、なかみに立ち入って理解していなかった。

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小野さんは今度の論文で、Pielke (2007)のHonest Brokerという本をおおいに参考にしている。その本ならば、わたしは出版されてまもなく読み、読書ノートも書いた。(大筋で賛成ではあるが全面的に賛成でないことを明確にできたので、わりあい気楽に読めたのだった。)

Pielkeの本では、学者が、政策などの社会的意思決定に対して、どのような態度をとるかを、4つに分類して論じている。小野さんは、その議論を2軸の2×2の構造で受けとめて紹介しているが、わたしはその構造をとくに意識せず4類型の列挙として受けとめてしまった。次に、Pielkeの論旨の順序にそってわたしがつけた番号、Pielkeによる英語表現、小野さんによる日本語表現をならべて示す。

  • (1) Pure scientist, 純粋な科学者。
  • (2) Science arbiter, 科学の仲介者。
  • (3) Issue advocate, 論点主張者。
  • (4) Honest broker of policy alternatives, 複数の政策の誠実な周旋者。

わたしの理解では、(2)(3)(4)はいずれも社会に科学的知識を提供する人なのだが、science arbiterは社会から問われたときに答える人、issue advocateは自発的に自分の社会に関する価値判断によって選択した知識を提供する人、honest brokerは意識的に複数の選択肢をそれぞれの長所・短所などの評価を添えて提示する人だ。

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小野さんは今度の論文で、「千歳川放水路問題」「IGBP-PAGESとエネルギー問題」「高レベル放射性廃棄物の地層処分と原発問題」の3つに分けて、それぞれ、この4つの分類からなる空間の中での「筆者の立ち位置の変化」を述べている。それをあらわす図に出てくる番号は小野さん自身の行動の順序で、3つの事例で違っている。

ただし、そのうち「IGBP-PAGES」の場合の「図7」の中の番号は、たまたま、上にわたしがあげたものと同じだ。

  • (1) 純粋な科学者 Pure Scientist: 東アジアの氷期の気候変動や氷河の平衡線高度を研究。
  • (2) 科学の仲介者 Science Arbiter: 研究成果をPAGESを通じて、IPCCに提言。"地球温暖化" 防止に向けての国際的な政策決定に役立てる。
  • (3) 論点主張者 Issue Advocate: ヴォストークのデータに二酸化炭素の過剰な増大を読み取り、温暖化の議論と切り離して、排出削減を提案。
  • (4) 複数の政策の誠実な周旋者 Honest Broker: 再生可能エネルギーの可能性について複数の案を提示、原発についての賛否両論を提示。

小野さんがPAGESにかかわり始めたときの関心は、気候や地形の変化を知ること自体への関心がおもで、pure scientistの立場だったそうだ。ただし、当時、PAGESという研究プロジェクトとしては、IPCCの問いに答えるという動機が意識されていたそうで、それはscience arbiterの立場といえる。

ところが、2001年にアムステルダムでIGBPの会議があり、小野さんは大きなインパクトを受けた。ひとつは「持続性の科学」(sustainability science)という考えを知ったこと、もうひとつは南極アイスコアによる第四紀の二酸化炭素濃度の変化のグラフを見て、産業革命後の二酸化炭素濃度の上昇が第四紀の変化の範囲をこえていることを認識したことだそうだ。

小野さんは次のように認識した (小野 2016, 77ページ)。

地球環境問題にとっては、二酸化炭素濃度の上昇が地球温暖化を招くかどうかが核心なのではなく、すでに産業革命以後、とりわけ20世紀以降、人類による二酸化炭素の排出によって大気中の二酸化炭素濃度が第四紀における自然は変化範囲を大幅に超え、さらに増大を続けていることなのだ [中略]

アムステルダム会議で提起された持続性の科学(Sustainability Science)は、過剰な二酸化炭素の排出や核廃棄物を含めた次世代への環境負荷を可能なかぎり減らし、現在の環境を将来にも持続させようという意図をもっていた。筆者は、とくにエネルギー問題に焦点を絞り、以後、再生可能エネルギーを普及・増大させるため、市民風車の普及や行政への働きかけを行った。

このとき以後、小野さんは、大気中の二酸化炭素濃度をふやすことを防ぐべきだという価値判断を重視するようになった。おそらくそれよりも前から、核エネルギー利用による放射性廃棄物の発生も環境破壊であり避けるべきだと考えていたから、エネルギー利用に関しては、再生可能エネルギー利用推進のissue advocateになった。

小野さんはさらにhonest brokerになろうとしているそうだ。しかし、その事例の説明を見ていると、再生可能エネルギー利用のうちでの複数の提案を比較する局面に限ってはhonest brokerになれているかもしれないが、原子力を再生可能エネルギーとならぶ選択肢として並列に示した局面では、原子力の利用に反対する旗色は鮮明なので、やはりissue advocateだろうとわたしには思える。

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小野さんは、第四紀学の科学者集団が全体として、また日本第四紀学会という組織としても、「たたかう」姿勢をもつこと、それとともに、honest brokerであることをも期待しているように、わたしには読めた。

しかし、「たたかう学者」は、issue advocateでしかありえないのだろうと、わたしは思う。(もっとも、honest brokerになろうとすれば、自分の内面のissue advocateとたたかわなければならないのだが、その態度のことを対外的に「たたかう学者」と言うのは適当でないと思うのだ。)

わたしは、学者の生きかたには多様性があり、ある専門(たとえば第四紀学)の学者集団はPielkeのいう4つの類型のそれぞれにあてはまる人を含んでいるのが健全なのだと思う。とくに、専門家がhonest brokerの機能をもつことは望ましいのだが、それは学者個人に期待するのではなく、専門集団がもつべき機能だと思う。専門集団の内にはいろいろなissue advocateやscience arbiterがいる。学会などがその観点を整理して社会に提示する制度をもつべきなのだ。「整理する」ことに特化した人を育てる必要もあるかもしれない。

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さて、4節の、小野さんの2001年以後の認識を述べたところで、「温暖化の議論と切り離して」「二酸化炭素濃度の上昇が地球温暖化を招くかどうかが核心なのではなく」とあるのが、わたしには奇妙に感じられる。

人間活動(化石燃料燃焼)の結果、二酸化炭素濃度が、第四紀の自然の変動の範囲をこえてふえているという事実認識から、これをそのままにしておくとたいへんなことになる、と感じたらしいのだが、その「たいへんなこと」は必ずしも温暖化ではないと考えたらしいのだ。

そういえば、英語圏でも、global warming (地球温暖化)でなく global weirding (地球不気味化(?))というべきだという人たちがいる。(この表現を広めたのはThomas Friedmanだそうだが、彼によると彼の創作ではなくHunter Lovinsに由来するそうだ。[Wiktionary英語版「global weirding」(2016-06-28現在)による。]) その人たちの考えは、二酸化炭素濃度増加が直接に起こす主要な変化は気温の上昇だと認めたうえで、それが進む結果として現われる極端現象や生物相の変化が、直線的な予想からは考えがたい形で激しくなるだろうということらしい。

しかし、小野さんの議論は、温暖化が起こることも不確かだと言っているように読める。かと言って、温暖化よりも海洋酸性化のほうが重要だと言ってはいないし、温室効果と海洋酸性化以外の二酸化炭素の効果を想定しているようでもない。

もしかすると、小野さんはあくまでも経験的(博物学的)科学者であって、物理法則に基づく気候モデルにまったく価値を認めないのだろうか。そのように視野を限定すれば、二酸化炭素濃度が経験の範囲をこえてしまうと、濃度と気候の関係についての過去の経験に基づくかぎりでは、「何が起こるかわからない」、しかし「たぶん気候にも経験の範囲をこえた大きな変化が起こるだろう」としか言えない、というのも、もっともだ。

【[2016-06-29補足] ただし、もし、現在の気温が現在の二酸化炭素濃度に見合ったところまで上がっていないことから、気候モデルの根拠になった理論的考察が信頼できないと考えているのならば、理論的考察への理解不足だと思う。気候システムには(おもに海洋の表層による)エネルギーのためこみがあるので、気温が二酸化炭素濃度の変化に応答するには、数十年の時間がかかるのだ。この時間遅れは氷期サイクルにとっては小さいが、産業革命以後の変化にとっては大きい。】

あるいは、温暖化の見通しを原子力推進の根拠として論じる人びとは実際にいるので、原子力に反対する小野さんは、温暖化の見通しを述べる議論にまでうさんくささを感じるようになってしまったのだろうか。

動機はともあれ、科学者が、二酸化炭素濃度増加を人為的環境変化として重視するならば、それがもたらしうる帰結を、さまざまな専門の知見を動員して具体的に考えるべきだろう。小野さんは、そのうちで、温暖化に関する思考を停止してしまっているように見える。

各人には、すべてのことを深く考えるだけの時間や精力がないので、何かの問題に関しては思考を停止してしまうことはやむをえないと思う。しかし、その問題に関して思考を停止した人は、明らかに、社会からのその問題に関する問いに答える適任者ではない。

小野さんは、今も地球環境科学の専門家ではあると思う。しかし、地球温暖化に関する専門知識の提供者を求めるときには、はずされるべき人なのだと思う。

文献

  • 小野 有五, 2013: Active Geography, たたかう地理学。古今書院, 392 pp. [わたしは読んでいない。]
  • 小野 有五, 2016: 第四紀学と環境保全 -- 研究者=活動者としての回顧と展望 (2014年日本第四紀学会賞受賞記念論文)。第四紀研究 (日本第四紀学会), 55: 71-90. ( https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jaqua/-char/ja/ で数か月以内に会員向け公開、1年後に一般公開予定)
  • Roger A. Pielke Jr., 2007: The Honest Broker: Making Sense of Science in Policy and Politics. Cambridge University Press, 188 pp. [読書ノート]
  • 柴谷 篤弘, 1973: 反科学論。みすず書房, 312 pp. [読書メモ]