macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

Planet under Pressure会議より

3月26日から29日まで、ロンドンで開かれた「Planet under Pressure」(直訳すれば「圧力の下にある惑星」)という会議(ウェブサイトは http://www.planetunderpressure2012.net/ )に出席した。

これは、ICSU (国際科学会議)が(他機関と共同で)推進している地球環境に関する科学的研究の国際プログラム

そしてその4つの連合組織である

  • Earth System Science Partnership (ESSP) http://www.essp.org/ 地球システム科学パートナーシップ

を中心とする集まりだった。

これらの研究プログラムの再編成について、移行検討チームによる案が示された。正式決定は各研究プログラムの意思決定機関による必要があるのだろうが、方向はこれで決まった感じになった。WCRPはWMO (世界気象機関)が推進する気候サービス事業との関係もあるのでそのまま残る見通しだが、その他は「Future Earth」という名の新しい研究運動のもとに統合される方向だ。

会議は、それぞれの日のおよそ前半が全体会、後半が分科会とポスターセッションという形で進められた。分科会の時間は2時間くらいごとに区切られ、それぞれ10以上の分科会が並行して開かれた。

全体会は、今年6月にリオデジャネイロで開かれる予定の国連地球サミット(20年前に同じ町で開かれたものを記念して「Rio+20」と呼ばれる)に、地球環境科学者のまとまったメッセージを届けたいということにあった。宣言文の原稿に対して、会場外の人からもツイッターを含む複数の通信手段で質問や意見をつのった。全体会では出席者がその場で質問をすることはできず、出席していても通信で質問を送る必要があった。司会者にはテレビのニュースキャスターが起用されていて、通信で届いた質問を手ぎわよく講師に向けていたが、質問の選択に主催者の思わくがはいることは避けられないだろう。

出席者は主催者の勢いにのせられていくらか修正された宣言文をみんなで承認したような感じになってしまった。ただし、宣言の文書の最初の部分をよく見ると、主語は2人の共同議長になっていて、共同議長はこれが会議の総意を反映していると思うとは言っているが、出席者が合意したはずだとは言っていない。内容については、わたしは根本的な不満はないと思ったけれども、自分ならこうは書かないと思ったところもあった。 [この段落2012-04-03修正] [次の記事参照]

会議の主題は、今後約百年にわたって、人間社会の活動が地球環境の限界の内におさまって持続するように、社会を適応させていくにはどうしたらよいか、というようなことだった。

主催者は科学者または科学者への研究資金提供者の立場から、政治は科学者の助言に耳を傾けてほしいと訴えていた。主催者を含む出席者の主力と思われる人々は、世の中に警告する役まわりを自負しているようだった。期待が大きかった2009年12月のコペンハーゲンでの気候変動枠組条約締約国会議が実質的政策につながらなかったくやしさから(2010年の名古屋での生物多様性条約締約国会議はいくらかの前進ととらえられていたが)、今度こそは政治に影響を与えたいという意気ごみが感じられた。他方、科学は政治から距離を置くべきだと思う人にはこの進行はいやなものだっただろう。ただし、主催者たちの考えでは、持続可能な社会を作る対策に対しては、科学者は、参加して、選択肢を提案したり、評価したりはするものの、意思決定は社会のみんなでするものだ。科学者の対話の相手として、政策決定者(policymaker)、産業(business)、市民社会(civil society)が並列に重視されており、パネル討論にも政治家、企業人、環境NGOの人が含まれていた。

ただし、会議の主力の人々には、地球温暖化防止を含む地球環境保全を重視するところでは一致していても、かなり大きな対立が含まれていた。パネル討論者として石油会社として知られる会社の人(その人自身は新エネルギーに取り組んでいたようだが)が紹介されたとき、聴衆の中から壇上に上がって「Greenwash」と書かれた(見かけだけ環境保全に貢献するふりをしているという意味らしい)旗を広げた人がいた。この人はまもなく主催者によって排除されたのだが、その前に会場から拍手が聞こえた。会場にはエネルギー産業(のうち環境保全を重視すると自称する部分)を身方にしようとする人々と、敵視する人々とが混ざっていて、このとき分裂したほかはあやうい連合によって会場の主力を形成していたにちがいないのだ。

持続性のためには、すでに豊かな国はもはや経済成長を続けてはいけないと考える人と、今後も経済成長が必要だという人の間も、あやうい連合になっていたと思う。これに関してはパネル討論者に両方の意見をもつ人が登場し、結論を出すところでは「GDPばかりではない豊かさの指標を持つ」といった表現で妥協がはかられたようだった。

[2012-04-11補足] ただし、この「指標」はその場の思いつきではない。会場で配られていたIHDPの雑誌Dimensions 1号をあとで読んでわかったのだが、IHDPは Inclusive Wealthという考えかたでRio+20に間に合うように報告を出す予定だそうだ。

また、全体会に関する限り、原子力に関する議論を聞いた覚えがない。福島の原子力事故への言及はあったことはあったと思うが、最近の時事のひとつとして簡単に扱われただけだった。人間社会の今後のエネルギー資源のシナリオを定量的に考えるならば、原子力をどのくらい重視するかは避けて通れない。実際、ポスター発表にはそれによる違いを論じたものも見かけた。おそらく、出席者の主力が、地球温暖化を防ぐためには原子力利用をふやすべきだという考えの人と、温暖化よりも放射性廃物のほうが大きな環境破壊だと考える人との、あやうい連合になっていて、全体会ではその対立点をおもてに出したくなかったのだろうと思う。

分科会のふんいきは、全体会とは違っていた。一部、出席者の積極性が期待される参加型のワークショップもあった。しかし大部分は、学会の研究発表会と同様、出席者がそれぞれ自分の研究について報告し質問を受けるという形で進められるセッションだった。発表の多くがその分科会を企画したグループの仕事の紹介で、他の出席者はそれにコメントしたい人とグループに参加する機会をうかがっている人、というような構成のものが多かった。ただし、研究は純粋科学的なものとは限らなかった。IPCCの評価報告書のような意味での環境問題[具体的には窒素循環]の現状や対策の評価(アセスメント)をめざすものもあった。ある技術[気候改変技術]に関する社会の意思決定をどうしたらよいかというガバナンスの課題もあった。科学を社会に役立てるために整備されようとしている制度[IPBES]についての論評もあった。[EU内の]研究資金提供機関どうしで持続的発展のための研究推進のビジョンを考える討論をしていることの報告もあった。