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電車 / 電卓

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】

【これは雑談です。知識の提供でも意見の主張でもありません。】

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わたしはよくメモをとるが、雑な字を書いてしまうことがおおくなった。ときには、自分で書いた字が自分でよめなくてこまることがある。

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手帳の ある日の予定のところに書いてあった文字が「電車」と読めた。(「電」は中国語簡体字の「电」にちかい字だった。しかし 2文字めは「车」ではなかった。) 自分が書いたにちがいないのだが、どうしてそんなことを書いたのか、思いだせなかった。

電車について何かする (たとえば、電車について書かれた本を読む) 予定がないことはたしかだった。

その日は通勤する日だから、たしかに電車にのる予定はある。しかしそれは年中の半分ぐらいの日にしていることだから、わざわざ書くはずがない。

たとえば、いつも自転車で行き来している区間があって、なにかの理由でその日は電車で行くことにしたのならば、予定表に「電車」と書くことはありうるだろう。しかし、わたしは、この数年間、自転車にのる習慣がなくなっている。通勤は電車とバスで、バスの区間には電車は走っていない。

やはり「電車」はなにかのまちがいだろう。

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「デンタク」ということばがきこえて (たしかにそう言っていたのか、わたしのききちがえかはわからないが)、気がついた。わたしは「電卓」と書いたのだった。電子式卓上計算機 (「-器」とするべきかもしれない) だ。このところわたしは、その物体をつかうことも、そのことばをつかうことも、めったになくなっているので、思いだすのに時間がかかった。数日まえ、学生から、電卓をかしてほしいといわれていたのだった。

背景は [2020-02-04 試験で計算をさせるときには「電卓もちこみ可」にするか? ] にかいたとおりで、ある先生が試験に計算問題をだすので「電卓もちこみ可」にしたのだ。三角関数、指数関数、対数などを計算できる「関数電卓」が期待されているようだった。ところが、いまどきの学生は「スマホ」をもっていてそれには「電卓」機能があるから別に電卓を買わない。しかしスマホは機能がおおくて、試験出題者としては試験中に利用可とするわけにはいかない。そこで試験のときだけ電卓が必要になって、研究室にはあまっているだろうと想像されたのだった。

ところが、わたしは 30年ぐらいまえから、筆算をする習慣はおとろえているが、電卓をつかう習慣もない。パソコンをもちあるいて、暗算でできない計算にはパソコンをつかうようになってしまったからだ。(そのとき起動するソフトウェアは、Turbo Pascal、GNU Awk、R と変遷している。電卓の形のソフトウェアや bc をつかったことはない。) ふだん手のとどくところに電卓はない。

自宅と研究室の両方で、時間がかぎられていたので徹底的にはできなかったが、さがしまわったら、1個だけでてきた。借りにきた 2人の学生のうち 1人の需要にだけこたえることができた。小さめの手帳ぐらいの大きさで、ふたつ折りになっている。開くと数字や演算子や関数のボタンと、結果を表示する液晶がある。30年ぐらいたっていると思うが、電源は太陽電池で、室内の照明でもスイッチがはいって演算ができた。

30年まえのパソコンは、たとえのこっていてもたぶん動作しないし、動作してもいまの実用にやくだちそうもない。しかし、30年まえの電卓は、いまの電卓とおなじ程度にはやくにたつのだった。

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「電卓」というのは変なことばだ。すなおに考えれば、それがさす対象は「卓」の一種のはずだ。1970年代後半ごろ、国語辞典のパロディのようなものに、「電卓: 電気いすと対になる家具」と書かれていたのを思いだす。 (ここでは「電気いす」の話にはすすまないことにする。)

わたしが ほりだした 1990年代のものに名まえをつけるのならば、それはポケットにはいる大きさだから、「電子式ポケット計算機」のほうが適切だろう。「電ポケ」という略語ができたかもしれない。

それが「電卓」とよばれたのは、それまで何十年かの歴史を背負った表現なのだ。「電子式卓上計算機」のまえに、「機械式 (歯車式) ... 」があり、そのうちには手動と電動があった。そして「電子式」の初期のものは片手では持てないぐらい大きく、「ポータブル」ではなく「卓上」が適切な表現だったにちがいない。

わたしが自分の電卓をもったのは1970年代後半の大学生のときで「関数電卓」だった。それは新書本ぐらいの大きさで、かたい材料だったから、ワイシャツのポケットにははいらなかった。「卓上」というのには小さかったが「電ポケ」ではなかった。「携帯」か「ポータブル」が適切だったと思うのだが、そういう言いかたは聞かなかった。

- (ここから 2022-10-03 追加) -
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「卓上」や「ポケット」などの限定することばがほしくなるのは、「電子計算機」 (あるいは単に「計算機」) ということばが、ふつう、いわゆる電卓よりはだいぶ大きな -- というよりもむしろ、大きい計算能力をもつ、したがって値段も高いものをさしてつかわれているからだ。

「計算機」と「計算器」で区別することもある。しかし、日本語の発音では区別できない。また、「機器」ということばもあって、それにあてはまるもののうちどれが「機」でどれが「器」かを気にかけないことも多い。区別したつもりでも、それが正しくつたわるとは期待できないだろう。

区別するならば、「機」は「機械」で、いったん起動すれば自動的に作業 (このばあいは計算) がすすむものをさし、「器」は「器具」で、人が手順をあたまで管理しながら作業 (このばあいは計算) をするのを補助するためにつかわれるものをさすだろう。

英語では computer と calculator で区別される。わたしには動詞の compute と calculate の意味のちがいがよくわからないのだが、おそらくそのちがいは大きくなく、computer が「計算機」、calculator が「計算器」に対応するのは偶然だろうと思う。なお、computer ということばは、かつて、計算をおこなう人 (日本語に訳すとすれば「計算手」) をさしていたこともある。

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「電車」のほうにうつる。

「電車」ということばは漢語の「電」と「車」からくみたてられている。基本的には「車」であって、「電」はそれを修飾している。ここで「電」は、「電気」をさし、もともとの「いなびかり」の意味ではないけれども、近代科学の知識で いなびかり が放電現象であることがわかっているから、本来の意味からあまりはずれていない。現代日本語では「電車」は鉄道を走るものをさしていて、「電気自動車」とは区別されるけれども、これは歴史的なりゆきだ。

わたしはベトナム語については入門書を走り読みしただけなのだけれど、ベトナム語の単語は、日本語と同様、漢語の要素からくみたてられているものが多い。ところが、ベトナム語は、漢語や日本語とちがって、修飾語がうしろからかかる。そこで、「電車」にあたることばは「電」と「車」からくみたてられているのだが、「車電」のような形になるのだそうだ。

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わたしは、1970年代前半の高校生のころ、電車通学をしていた。私鉄の電車だった。その高校には、国鉄でかよっている生徒もいた。国鉄のその路線は「電化」されていて、寝台列車と貨物列車は電気機関車がひく列車だったが、そのほかの旅客列車はみんな電車だった。しかし、国鉄でかようことは「電車通学」ではなく「汽車通学」とよばれていた。その地域では、その路線が電化されるまえ、おそらく蒸気機関車がひく列車がはしっていたころから、「汽車にのる」という表現が定着していたからにちがいない。

いま、鉄道が電化されていないところではたいてい、ディーゼルカー (気動車) がはしっている。それにのることを「電車にのる」というのは正しくないとされている。しかし、鉄道が主題でない会話で「気動車にのる」ということはすくないだろう。「列車にのる」がふつうだろうか。通学手段をいうばあいは「鉄道で通学する」だろうか。

ちかごろ、二酸化炭素排出削減や資源節約のために、車両をうごかすのには、内燃機関よりも、いったん電気にしてモーターで駆動するほうがよいと考えられるようになってきた。自動車のうちで電気自動車がふえている。鉄道車両も電気モーターでうごくものがふえるだろう。架線やレールから電力を供給するようになれば、電車にかわることになる。 しかし、これからはむしろ、電気自動車と同様に、蓄電池から電気を供給してモーターで動く車両がつかわれることが多いだろう。それは「電車」とよばれることになるだろうか、別のなまえが発明されることになるだろうか?